■実力さえあれば出世できるというのは幻想

私も若い頃は、実力をつけて実績さえ残せば、よいキャリアを歩めるし、出世もできると思っていました。企業は有能な人材を確保し、活用することは必須。この世は実力主義の社会であり、実力あるものは各所の要職に当然に抜擢されていくであろう、と。

しかし、大人になっていくにつれ、有能な人が必ずしも出世しないのを何度も見て、少なくとも日本では「力さえあればいいわけではない」のかと徐々に思うようになりました。

そしていろいろな人のキャリアに触れることで、ある一つの仮説にたどり着きました。それは「出世をする人には、必ず誰かその人のことを買っていて、その地位まで引き上げてくれる人がいる」ということです。

■「昇格基準」は単なる必要条件でしかない

人手不足時代になり、会社に入ること自体は以前よりは楽になっているかもしれません。しかし、入社してからの競争はそれほど変わっていない。むしろ「担当部長」「担当課長」的な組織長ではないポジションが減ったことで、出世競争は激化しているともいえます。

あるポジションに誰かをつけるとき「あの人でもこの人でもどちらでもよい」なら、引き上げてくれる味方が決裁者の中にいる人が選ばれるだけ。一つの席には一人しか座れません。一番でなければ、二番手の候補はその他大勢の候補と同じです。

私は様々な会社で、人事評価制度を作るお手伝いをしているのですが、制度で決められる「昇格基準」は、単なる必要条件でしかないことを知っています。

しかも学校の入学試験のように、何点というレベルで精緻に順位づけられているわけではありません。ほとんどの会社が「上司の推薦」や「評価会議での承認」というような、特に基準を定めないブラックボックスのプロセスを挟んでいます。

同じ能力や実績でも、誰かがそれを認めて「この人を出世させたい」と明確に意思を持たなければ、自動的に出世することなどない。力や実績があれば昇格候補にまではなれますが、たどり着けるのはそこまで。最後の最後は、決裁者の判断によって決まるのです。

■アピールがなければ誰もあなたを気に留めない

そう考えると、出世をしたいと考える人は、自分を認めてくれて、自分をそれなりの地位につけてあげて、力を発揮して欲しいと考えてくれる人を見つけなくてはなりません。あるいは、決裁者にそう思ってもらえるように、自己アピールをすることが必要です。

このようなことを言うと「上司にゴマスリをしろ、おべんちゃらを言え。あれはオレがやったんだと何でも自分の手柄にしろ、ということか」と、若い人は嫌な気分になるかもしれません。しかし、何もそんなに悪く考えることはないと思います。私が伝えたいのは、

「お天道様が見ていると、何のアピールもせずに陰徳をただ積んでいるというのでは、あの世では報われるかもしれませんが、この世では報われることはないですよ。自分のしていることをきちんとアピールしなければ、誰もあなたのことなど気にしませんよ」

ということです。きちんと「上」に対して、自分をアピールしたり、場合によっては気に入ってもらえるように動いたりすることで、ようやく相応の出世ができるのです。

無論、「自分は出世なんて興味がない」という人もいるでしょう。一匹オオカミ的な生き方も悪くありません。かく言う私も、大組織では出世できずに独立しています。

しかし、『踊る大捜査線』の名台詞「正しいことをしたければ偉くなれ」(いかりや長介演じるベテラン刑事、和久平八郎による)のように、優秀な人には「きちんと出世」して欲しい。それ相応の地位を得て、組織の力を使って世の中に高い価値を提供して欲しいものです。

■出世して組織の力を使って欲しい

今の権力構造や経営思想が気に入らなくても、出世してその権力の中枢に入らねば、それを変えることもできません。そのためには小さな美意識を捨て、上司に対してアピールしたり、気に入ってもらえる努力をしたりするぐらいのことはしてはどうでしょう。

私自身、若い頃は血気盛んで、上司に反抗ばかりしていました。清濁併せ呑まず、正義感を振りかざし、自分だけきれいでいて、社会に何の価値提供もできていないのに、会社のせい、組織のせい、上司のせい、周囲のせいにしていました。

そんな青臭いだけのスタンスでなく、もっとうまくしなやかに、出世に対し貪欲になればよかったかもと、たまに思います。せっかく組織に入ったのであれば、若い皆さんは偉くなって組織の力を存分に使ってみることに、一度はガツガツ挑戦してみてはいかがでしょうか。

キャリコネニュースにて人や組織についての連載をしています。こちらも是非ご覧ください。