Yahoo!ニュース

大麻使用罪は本当に必要なのか

園田寿甲南大学名誉教授、弁護士
大麻関連商品の展示会 米NYで開催(写真:ロイター/アフロ)

■はじめに

 大麻取締法(1948年)には使用罪がありません。大麻栽培農家が作業中に自然と大麻を吸い込むことがあるからだといわれていました。したがって、大麻吸引が強く疑われても使用罪がないので、違法な所持や栽培などの事実が確認できなければ検挙できないことになります。厚労省の「大麻等の薬物対策のあり方検討会」ではその点が問題になり、来年大麻使用罪が新設される可能性が出てきました。

 街で「大麻使用罪の新設」について100人に聞いたとしたら、おそらく98人くらいは「賛成!」のボタンを押すのではないでしょうか。

 しかし、大麻使用を犯罪として処罰することは本当に必要なのでしょうか。

 「犯罪として禁止する」ということは、なによりも薬物政策において警察が中心になることであって、基本的に警察が大麻使用者を刑事司法過程(処罰するためのベルトコンベア)に乗せることを意味します。逮捕による自由の拘束や犯罪者というラベリング(烙印)、そしてその結果としての失職や退学、家族離散など、個人や家族、関係者に対する深刻な不利益が不可避的に生じてきます。

 つまり、大麻使用罪創設の議論においては、依存性物質のまん延防止という保健衛生上の利益(公共の福祉)と(犯罪者として検挙されるという)個人的な不利益との比較検討、これが重要な論点だといえます。

■依存性と社会的(刑罰的)コントロール

 依存性物質について社会的なコントロールが必要な場合があるというのは、その通りだと思います。ギャンブル依存やアルコール依存、ゲーム依存やスマホ依存の問題などについても、社会として取り組むべき課題はたくさんあると思います。

 大麻についても(強弱はともかく)依存性があるというのはその通りだと思いますし、害悪性があるというのもその通りだと思います。しかし、だからといって、大麻のコントロールに刑罰を使うというのはかなり飛躍があります。

 依存性の強弱でいえば、国際薬物政策委員会による「精神作用物質の分類ー科学が取り残されたときー(報告書2019)」(日本語のpdf)がネットで公開されていて、その23頁に「薬物有害性の加重スコア」の表があります(赤が他害性、紫が自損性)。これを依存性の強い順で並べなおすと、次のようになります。

(タバコ)→(クラック・コカイン)→(ヘロイン)→(アルコール)→(メタンフェタミン)→(コカイン)→(アンフェタミン)→(大麻)→(LSD)→(キノコ)

 死亡率からいっても、アルコールやタバコは大麻のかなり上ですし、トータルな〈害悪性〉という観点ではアルコールが最上位です。

 タバコやアルコールよりも依存性他害性ともに低い薬物が重い刑罰で規制されている理由は何なのでしょう?

 依存物質だからということで、無条件に刑罰で禁止し、その使用を犯罪とするということには、かなりの飛躍があるのではないかと思うわけです。たしかに大麻は中枢神経に作用して脳の働きに影響を与える点が特徴ですが、中枢に作用するようなものをみずからの自由な意思で摂取している者は、なぜ「犯罪者」なのかということを考えたいのです。

 もちろん、暴力的行為の強い誘因になったり、環境や人体に有害な物質などは、他害性ゆえに禁止することに疑問はありませんし、最終的に刑罰を使うことも合理的だと思います。

 しかし上の表を見れば、大麻のトータルな害悪性は低いとされていて、もっぱら自傷性の文脈で問題になっています。

 たとえば国連薬物犯罪事務所(UNODC)の「世界薬物報告」(2006年)も、大麻摂取と暴力的犯罪との関係を次のように述べています。

「大麻は依然として強力な薬物である。大麻の使用は、中枢神経から心臓血管、内分泌、呼吸器、免疫システムまで、人体のほとんど全ての器官に影響を与える。使用者の精神及び行動に及ぼす影響は大きいと考えられる」としながらも、「他の薬物とは異なり、大麻の過剰摂取による死亡例は極めてまれであり、大麻の常習が原因で路上の犯罪や売春を行う人の数は少ない。多くの国では大麻は暴力行為と無関係であり、人々の頭の中では事故と大麻の関連性ははっきりしていない」。(太字は筆者)

 これらの報告書を読めば、成人がみずからの自由な判断で大麻を摂取することが、なぜ処罰に値するのかという根本的な疑問が解消されないままなのです。飲んだあとの豚骨ラーメン、ケーキバイキング、ジャンクフードなど、日常的に悪魔の誘惑はありますが、脂質や甘いものの摂りすぎで社会に肥満が増えるのに比べると、大麻に犯罪として処罰されるほとの理由があるのでしょうか? ここで「依存物質だから処罰する」というのは、堂々巡りになってしまいます。

 厚労省の検討会議事録や、大麻規制論者の意見などを見ましても、この辺りの議論については積極的な理由はあいまいで、害があるから犯罪とするのは当然だというような短絡的な意見が目につきます。また、覚醒剤や麻薬などの他の規制薬物と比較した単なるバランス論(大麻取締法にだけ使用罪がないのはおかしいという理由)で、大麻使用罪の創設が主張されていたりします。

■ゲートウエイとしての大麻?

 保健衛生上の理由として、よくいわれるのが「ゲートウエイ論」です。ゲートウエイとは「入り口」という意味で、大麻に手を出すとより強烈な覚醒剤やヘロイン、コカインなどに手を出すから、入り口で規制する必要があるという考え方です。

 この考えには依存症研究者の間でも賛否両論があるようですが、少なくとも犯罪統計を見るかぎり、大麻がゲートウエイ・ドラッグだとは断定できません。なぜなら、下記の表から明らかなように、大麻の検挙者数(上図)は増加しているにもかかわらず、覚醒剤の検挙者数(下図)は減少しているからです。

大麻取締法違反検挙者人員の推移(『令和2年版 犯罪白書』より)
大麻取締法違反検挙者人員の推移(『令和2年版 犯罪白書』より)

覚醒剤取締法検挙人員の推移(『令和2年版 犯罪白書』より)
覚醒剤取締法検挙人員の推移(『令和2年版 犯罪白書』より)

■まとめ(犯罪として禁止することの問題)

 「犯罪として禁止する」ということは、事案を警察が中心になって刑事司法に乗せることですから、自由の拘束や犯罪者としてのラベリングなどの問題は不可避的に生じてきます。

 健康被害の原因となる物質の使用を「犯罪」として厳罰に処し、個人的な嗜好を禁じ、使用者を「犯罪者」とすることで得られる利益とは、具体的に何なんでしょうか?

 依存症に対する医療的福祉的な対策が必要なことはいうまでもないことですが、使用者に対して国が犯罪として対決することは必要で正しい政策なのでしょうか?

 大麻を使用した芸能人やアスリートが、警察署の玄関前で土下座したり、その後の活動が封じられ、過去の作品が葬られたり、また、大学生が退学処分を受けたり、就職内定が取り消されたりと、大麻使用に対するバッシングには、その後の人生が激変するほどのたいへん厳しいものがあります。彼らを犯罪者として糾弾することは本当に正しいことなのでしょうか。

 以上、大麻使用罪の創設について疑問を述べてきましたが、禁じられた場所等での大麻使用を、たとえば駐車違反とか一旦停止違反、軽微な速度違反などと同じように反則行為とし、罰則も刑罰(懲役や罰金)ではなく、前科のつかない(少額の)反則金のような制裁とするならばまだ許容できるのではないかと思います。

 また、(飲酒運転と同じように)大麻使用中の運転を厳罰に処するということでよいのではないでしょうか。個人の自宅あるいは(喫煙所のような)許された一定の場所での大麻使用を犯罪として禁止することは不要ではないでしょうか。(了)

【参考文献】(最近のもののみ)

  • 松本俊彦『薬物依存症』(ちくま新書、2018年)
  • 佐久間裕美子『真面目にマリファナの話をしよう』(文藝春秋、2019年)
  • 松本俊彦編『アディクション・スタディーズ 薬物依存症を捉えなおす13章』(日本評論社、2020年)
  • ヨハン・ハリ『麻薬と人間 100年の物語』(作品社、2021年)
  • 松本俊彦『誰がために医師はいる』(みすず書房、2021年)
  • 正高祐志『お医者さんがする大麻とCBDの話』(彩図社、2021年)
  • 大麻博物館『日本人のための 大麻の教科書』(イースト・プレス、2021年)
  • 山本奈生『大麻の社会学』(青弓社、2021年)

【拙稿】

甲南大学名誉教授、弁護士

1952年生まれ。甲南大学名誉教授、弁護士、元甲南大学法科大学院教授、元関西大学法学部教授。専門は刑事法。ネットワーク犯罪、児童ポルノ規制、薬物規制などを研究。主著に『情報社会と刑法』(2011年成文堂、単著)、『改正児童ポルノ禁止法を考える』(2014年日本評論社、共編著)、『エロスと「わいせつ」のあいだ』(2016年朝日新書、共著)など。Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。趣味は、囲碁とジャズ。(note → https://note.com/sonodahisashi) 【座右の銘】法学は、物言わぬテミス(正義の女神)に言葉を与ふる作業なり。

園田寿の最近の記事