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大麻取締法制定の裏事情―大麻使用の犯罪化を考えるまえに―

園田寿甲南大学名誉教授、弁護士
(写真:PantherMedia/イメージマート)

はじめに

 昨日(5月14日)、厚生労働省の大麻等の薬物対策のあり方検討会で、大麻取締法を見直して医療大麻の使用を可能にすると同時に、大麻の乱用を取り締まるための「大麻使用罪」の新設を提案する取りまとめ案が示されました。

 次の記事は、この会議の状況を非常に分かりやすく伝えていて必読です。

 大麻使用罪を新たに設けることについては、今までのわが国における大麻規制の方向が大きく変わるだけではなく、国際的には嗜好としての大麻を認める国や地域が増えていることから、非常に大きな問題です。そこで、最低限、現行の大麻取締法の制定過程について整理しておきたいと思います。

大麻とは何か

1. 大麻を話題にする場合、〈植物としての大麻〉と、〈薬物としての大麻〉を区別した方が分かりやすいと思います。

2. 〈植物としての大麻〉は、人類が栽培してきた最も古い植物のひとつとです。1万年にも及ぶといわれているその付き合いの中で、人類は大麻から繊維を取り、布に加工したり、食用として利用してきました。

 大麻草は、中央アジアが原産とされています。茎皮の繊維は、麻紙や糸、布などに、実(種子)は食用や生薬の麻子仁(マシニン)として、また実から取った油は食用や燃料など様々な形で用いられてきました。大麻の実(種子)は、大豆に匹敵する栄養価があるといわれています。

3. 〈薬物としての大麻〉は、アサの葉を乾燥させたり、樹脂化、液体化させたものをいいます(カンナビス、ハシシ、マリファナ)。そこには約60種類の〈カンナビノイド〉が含まれ、特にテトラヒドロカンナビノールTHC) には薬理作用があり、何千も前から幻覚、鎮痛などに用いられてきました。

 しかし、THCの発見(抽出は1964年、合成は2006年)は割と最近のことで、アメリカが大麻を規制しだした1930年代、そして日本の大麻取締法が制定された1948年にはその薬理成分はよく分かっていなかったことになります。

4. 大麻の扱いは国によって大きく異なり、日本では規制薬物ですが、ポルトガルやアメリカの一部の州、カナダ等では嗜好品としても合法化されており、医療用として限定的に大麻を容認する国も増えています。

 なお、規制の根拠が科学的に疑問があるとして、2016年より世界保健機関(WHO)による見直しが進められ、2020年には国連麻薬委員会が大麻を「最も危険な薬物」リストから除外しました。

 このように薬物としての大麻に関しては、世界は緩和傾向にあるといえます。

麻取締法の制定をうながしたもの

1. 戦前(昭和20年)までの状況

 日本では、明治時代は大麻がぜんそくの薬として一般に使われていましたが、昭和4年の万国阿片(あへん)条約の発効にともなって麻薬取締規則(昭和5年)が制定され、幻覚成分の含有量がとくに高いインド(印度)大麻が「麻薬」に指定されました。

明治時代に販売されていた「ぜんそく煙草」(印度大麻煙草)
明治時代に販売されていた「ぜんそく煙草」(印度大麻煙草)

 その後、麻薬取締規則等の法令が整理統合されて(旧)薬事法が制定されましたが、ここでもインド大麻が規制され、日本古来の在来種は規制の対象外でした。むしろ、戦時中は大麻布をパラシュートに使うために、政府や軍部は大麻の栽培を国策として奨励していたほどでした。

 現行の大麻取締法は、昭和23年(1948年)に制定されましたが、ここには当時日本に対して強力に占領政策を展開していたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の大麻に関する考え方が強く影響しており、このときから日本の大麻に関する考え方が大きく変わることになります。

2. 戦後の状況(アメリカの強い影響)

 戦後の大麻規制に関する動きを考えるためには、当時のアメリカの状況を振り返る必要があります。

 もともとアメリカ大陸には「インディアン・ヘンプ」と呼ばれる(THCを含まない)アサが自生しており、ロープや布地の原料として使われていました。マリファナは、16世紀にスペイン人がチリに持ち込み、それが徐々にアメリカ大陸に伝わりました。

 アメリカ人の間には本来マリファナを吸引するという習慣はありませんでしたが、1839年に大麻の医療効果が発見され、医学会で大麻への関心が一挙に高まり、リウマチや痛み止め薬が開発され、人びとの間に広がります。

 そこで1906年、アメリカは医薬品の課税に乗り出し、1914年に麻薬税法(ハリソン法)を制定します。さらに万国阿片条約(1912年)を受けて、条約履行のためにアメリカ国内のアヘンやコカを規制する連邦法を制定しますが、大麻の規制については反対意見が強く、規制から外されています。

 ただし、メキシコ人に大麻の花冠を吸うという習慣があったため、この頃よりマリファナを使用するのはマイノリティであるとの世論形成が行われます。

財務省は、マリファナを嗜好品として使用しているのは「メキシコ人、時としてニグロ、そして白人の低所得者層」だとして、ドラッグに気が触れたマイノリティたちが上流階級の白人女性たちに危害を加える可能性があると〈警告〉する。

1917年の報告書

 1920年代になると、メキシコからの大量の移民とともにメキシコ産の大麻草がアメリカに流入し、メキシコ人労働者の流入が著しかったカリフォルニアやコロラド、ネバダなどの州で、大麻草の非合法化が始まります。

 1925年の第二次万国阿片条約によってドラッグ規制に関する国際的協調がいっそう高まり、マスコミは反マリファナキャンペーンを繰り返し報道し、「マリファナ使用→発狂」というストーリーが何度も語られるようになります。

「未亡人と4人の子供が、庭で育っていたマリファナの植木を食べ、彼らを診察した医師によると、子供たちの命は救いようがなく、未亡人は残りの一生を発狂したまま過ごすことになる。」

1927年7月6日のニューヨークタイムズに掲載された「メキシコ系の一家が庭の大麻を食べて発狂」という記事(佐久間裕美子『真面目にマリファナの話をしよう』(2019年)より)

 そして1929年の大恐慌がこの傾向に拍車をかけ、メキシコ人労働者がアメリカ人の仕事を奪い、治安を悪化させているという歪んだ世論が強くなり、彼らが使用していたマリファナが糾弾され始めます。

 このようなマリファナに対する一般市民の恐怖・不安感(モラル・パニック)が、連邦麻薬局の設立を後押ししました。1930年のことでした。

 マリファナの歴史を調べると必ず出てくるのが、当時禁酒局副長官だったハリー・アンスリンガーです。彼は、多数の禁酒局エージェントを引き連れて、麻薬局の初代長官に任命されます(1933年に禁酒法撤廃)。

ハリー・アンスリンガー(Wikipediaより)
ハリー・アンスリンガー(Wikipediaより)

 アンスリンガーは、統一麻薬法令(1934年)を制定させ、反マリファナ・キャンペーンを強力に展開します―〈マリファナは人を発狂させ、性欲を刺激する、とくに黒人やヒスパニック系の移民たちがマリファナをやっていて、彼らの性欲が刺激される〉―。キャンペーンは、人種問題に過敏になっていたアメリカの恐怖感を煽ったわけですが、他方では「マリファナ=悪」という図式に反対し、〈マリファナの医療効果の研究を深めるべきだ〉といった医師の意見も目立つようになりました。

 そこで、アンスリンガーは、大麻を完全に禁止するのではなく、大麻の医薬利用や取引に税金をかけるという道を選択し、大麻課税法(1937年)の成立に尽力しました。この結果、次第にカンナビスは使われなくなっていきました。大麻課税法は、当時発明されたばかりの合成繊維を広めるという石油化学産業界の思惑と一致したともいわれています。

 ただし、第二次世界大戦中は、アメリカ政府はむしろヘンプ(麻繊維)の生産を軍事用として農家に奨励していました。

プロパガンダ映画「勝利のための大麻草」

 以上が昭和20年(終戦)までのアメリカの大麻事情です。

 そして上記の大麻課税法をモデルに、「大麻=悪」という色に染まっていたアメリカ(GHQ)の意向によって日本の大麻取締法が制定されたのです。

大麻取締法制定の違和感と戸惑い

1. 大麻取締法にいたるまでの戦後の動きを、時系列で整理すれば、次のようになります。

  • GHQにより、麻薬成分を有する植物(ただし、日本古来の在来種を含む)の栽培、製品の製造、販売、輸出入が禁止される。―昭和20年ポツダム緊急勅令(勅令第542号)「麻薬原料植物ノ栽培、麻薬ノ製造、輸入及輸出等禁止ニ関スル件」(厚生省令第46号)―
  • 昭和21年(1946年) ポツダム省令に基づく麻薬取締規則(厚生省令第25号)が公布、施行
  • 昭和22年(1947年) ポツダム省令に基づく大麻取締規則(農林・厚生省令第1号)が公布、施行
  • 昭和23年(1948年) 大麻取締法公布、施行

2. このように大麻取締法の向こう側にはアメリカの大麻課税法が見えるのですが、GHQから大麻規制の方向性を伝えられた政府に大きな違和感とともに戸惑いが生じます。

国会の審議では、竹田国務大臣が「大麻草に含まれている樹指等は麻薬と同様な害毒をもっているので、従来は麻薬として取締ってまいったのでありますが」(第2回国会参議院厚生委員会第15号昭和23年6月24日)と説明しており、意図的かどうか、あたかも在来の大麻草も当然規制されていたかのような説明を行っているし、政府委員も「併しながら終戦後関係方面の意向もありまして、実は大麻はその栽培を禁止すべきであるというところまで来たのでありますが、いろいろ事情をお話をいたしまして、大麻の栽培が漸く認められた。」(第2回国会参議院厚生委員会第16号昭和23年6月25日)といったように、GHQとの間に難しい折衝があったことを吐露しています。(太字は筆者)

 また、当時の内閣法制局長官であった林修三氏が次のように述べています。この率直な感想が当時立法に携わった者の偽らざる心境であったと思います。

「大麻草といえば、わが国では戦前から麻繊維をとるために栽培されていたもので、これが麻薬の原料になるなどということは少なくとも一般には知られていなかったようである。したがって、終戦後、わが国が占領下に置かれている当時、占領軍当局の指示で、大麻の栽培を制限するための法律を作れといわれたときは、私どもは、正直のところ異様な感じを受けたのである。先方は、黒人の兵隊などが大麻から作った麻薬を好むので、ということであったが、私どもは、なにかのまちがいではないかとすら思ったものである。大麻の『麻』と麻薬の『麻』がたまたま同じ字なのでまちがえられたのかも知れないなどというじょうだんまで飛ばしていたのである。私たち素人がそう思ったばかりでなく、厚生省の当局者も、わが国の大麻は、従来から国際的に麻薬植物扱いされていたインド大麻とは毒性がちがうといって、その必要性にやや首をかしげていたようである。従前から大麻を栽培してきた農民は、もちろん大反対であった。

 しかし、占領中のことであるから、そういう疑問や反対がとおるわけもなく、まず、ポツダム命令として、『大麻取締規則』(昭和22年厚生省・農林省令第1号)が制定され、次いで、昭和23年に、国会の議決を経た法律として大麻取締法が制定公布された。この法律によって、繊維または種子の採取を目的として大麻の栽培をする者、そういう大麻を使用する者は、いずれも、都道府県知事の免許を受けなければならないことになり、また、大麻から製造された薬品を施用することも、その施用を受けることも制限されることになった。」(太字は筆者)

林修三「大麻取締法と法令整理」(「時の法令」財務省印刷局編1965年4月)

まとめ

 以上、大麻取締法の制定過程について整理してきましたが、まとめとして次の2点はいえるかと思います。

  1. 日本が「麻薬」として取締対象にしてきたのは、インド大麻であって、もともと日本の在来種は規制対象ではなかった。大麻取締法の制定によって、一挙に在来種にまで規制が拡大されたが、その点の理由が明らかでないまま法律ができてしまった。
  2. 大麻の〈有害性〉について、とくに在来種の大麻草規制について十分な議論のないままに、日本の大麻規制がスタートした。

 大麻使用罪を設けることの是非については、今後さまざまなところで議論が進むと思います。本稿がその際の参考になれば幸いです。(了)

文献】大麻規制については渉猟できないほどのおびただしい文献がありますが、ここでは比較的入手しやすい文献をあげておきます。

  • 渥美東洋「自傷行為の規律と規制緩和」判タ562号1985年
  • 吉岡一男「大麻の有害性を肯定して大麻取締法の違憲論を退けた最高裁決定」法学教室67号1986年
  • 栗本慎一郎「アメリカにおける『麻薬』と法、およびその社会的影響をめぐる一考察」明大法律論叢60巻2-3号1987年
  • 丸井英弘「大麻取締法の立法根拠を問う 伊那判決の意味するもの」1987年
  • 山本郁男「大麻文化科学考(その3)」1992年
  • 足立昌勝「麻薬特例法の問題点:適正な運用を目指して」法経論集67-68号1992年
  • 小林司『新版 心にはたらく薬たち』人文書院1993年
  • 加藤久雄「ボーダーレス時代における犯罪と刑事政策」法学教室162号68頁1994年
  • 飯田英男「大麻の有害性について」刑事法ノート判タ652号60頁1998年
  • 宮尾茂「大麻(マリファナ)規制の是非について」社会医学研究31巻2号2014年
  • 井樋三枝子「【アメリカ】マリファナ規制に関する動向」(外国の立法)2015年
  • 松井由紀夫「大麻をめぐる国際的な議論について」警察学論集71巻11号2018
  • 佐久間裕美子『真面目にマリファナの話をしよう』文藝春秋2019年
  • 山本奈生「大麻に関する世界的な動向」犯罪社会学研究NO.44、2019年
  • 「特集 大麻―国際情勢と精神科臨床―」精神科治療学Vol35.No.1.2020年
  • 山本奈生「1930年代米国における大麻規制:ジャズ・モラル・パニック・人種差別」2020年
  • ヨハン・ハリ『麻薬と人間 100年の物語』作品社2021年

―なお、次の拙稿もお読みいただけば幸いです。―

甲南大学名誉教授、弁護士

1952年生まれ。甲南大学名誉教授、弁護士、元甲南大学法科大学院教授、元関西大学法学部教授。専門は刑事法。ネットワーク犯罪、児童ポルノ規制、薬物規制などを研究。主著に『情報社会と刑法』(2011年成文堂、単著)、『改正児童ポルノ禁止法を考える』(2014年日本評論社、共編著)、『エロスと「わいせつ」のあいだ』(2016年朝日新書、共著)など。Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。趣味は、囲碁とジャズ。(note → https://note.com/sonodahisashi) 【座右の銘】法学は、物言わぬテミス(正義の女神)に言葉を与ふる作業なり。

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