Yahoo!ニュース

小4児童虐待死事件 市教委の罪【補訂】

園田寿甲南大学名誉教授、弁護士
写真は本文と関係ありません。(写真:アフロ)

 千葉県野田市で起きた悲惨な児童虐待死事件。事実が明らかになるにつれて、多くの大人たちの不適切な判断、行動が問題になってきました。中でも信じられないのは、学校が秘密を前提に児童に書かせ、父親から暴力を受けていると訴えた心愛(みわ)さんのアンケートを、事もあろうに市教委がその父親本人に渡していたことです。私は、いくつかの自治体の個人情報保護審査会の委員として、個人情報保護条例の運用に携わってきていますが、この事件についてどこの担当者と話しても、みんな異口同音にこれはまったく考えられない対応だといった声を聞きます。

 この市教委の誤った対応によって、日本中の子どもたちは学校が行うアンケートそのものに絶望的な不信感をもったのではないかと危惧します。この市教委の対応は、個人情報保護条例における重大な違反行為です。マスコミはその点について報道していませんが、全国の子どもたちの不信感を考えると、その点についてははっきりとしておく必要があるのではないかと思います。

 まずは事実経過を確認します(太字は筆者)。

(1)2017年11月6日、(冒頭に「ひみつをまもりますので、しょうじきにこたえてください」と書かれている)「いじめ」に関するアンケート調査に、女児が「お父さんにぼう力を受けています。夜中に起こされたり、起きているときにけられたりたたかれたりされています。先生、どうにかできませんか」と記入し、「父親によるいじめ」を訴える。

(2)女児は、約50日間、児童相談所(以下、「児相」)に一時保護された後、12月27日に両親の元へ返される。

(3)2018年1月12日、父親と母親とが、学校、市教委指導課が今後の対応を話し合った際、父親が、アンケートのコピーを渡すよう強く要求。

(4)それに対して、市教委は「個人情報であり、本人の同意がない」との理由で拒否。

(5)1月15日に、父親と母親が「子供の字で書かれた同意書」を持参して、アンケートのコピーを渡すよう要求。

(6)女児に確認せず、市教委担当課長の判断でコピーを渡す

(7)アンケートには自筆の書き込み以外に、担任だった女性教諭が聞き取りした「なぐられる10回(こぶし)」「きのうのたたかれたあたま、せなか、首をけられて今もいたい」「口をふさいで、ゆかにおしつける」「おきなわでは、お母さんがやられていた」といった内容も書き込まれていたが、この教諭の書き込みは消して渡した。

出典:郷原信郎:小4女児死亡事件、「個人情報」の“法令遵守” が市教委の対応の誤りを招いた

 以上のような事実経過を踏まえて、改めて野田市個人情報保護条例の該当箇所を読んでみます(太字は筆者)。

(本人開示請求権)

第15条 何人も、この条例の定めるところにより、実施機関に対し、当該実施機関の保有する自己に関する個人情報〈略〉の開示を請求することができる。

2  未成年者〈略〉の法定代理人〈略〉は、本人に代わって前項の規定による開示を請求することができる。

(開示しないことができる個人情報)

第17条 実施機関は、本人開示請求に係る個人情報が次の各号に掲げる事由〈略〉のいずれかに該当するときは、当該個人情報を開示しないことができる。

 〈略〉

(5) 未成年者の代理人により本人開示請求が行われた場合であって、開示することが当該未成年者の利益に反すると認めるとき

(罰則)

第40条 実施機関の職員〈略〉が、正当な理由がないのに、個人情報ファイル(一定の事務の目的を達成するために特定の個人情報を電子計算機を用いて検索できるように体系的に構成したもの。その全部又は一部を複製し、又は加工してものを含む。)を提供したときは、2年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処する。

出典:野田市個人情報保護条例

 この条例の中身を見ると、野田市の条例はごく一般的な内容であり、同じような規定はどこの自治体の個人情報保護条例にもあることがわかります。

 父親の要求に対して(実施機関である)市教委が「個人情報であり、本人の同意がない」との理由で拒否し、1月15日に、父親が改めて「子供の字で書かれた同意書」を持参して、アンケートのコピーを渡すよう要求したというのは、条例の第15条に従った手続であって、とくに問題はありません(条例上は「本人の同意書」は必ずしも必要ではありません)。問題は、このアンケートのコピーが、条例第17条5号に該当することです。

 この点について、同じく野田市の「個人情報保護条例の解釈及び運用の手引き」を見てみます。そこでは、第5号の解釈として、次のような説明がなされています(太字は筆者)。

 ・未成年の代理人による本人開示請求の場合は、対象文書の内容によっては代理人との利益相反も有り得ることから、未成年者がなぜ当該個人情報を必要とするのかに注意すること。

 また、未成年者の利益を保護するため、利益相反が少しでも疑われる場合は、本号を適用すること

≪不開示情報の例≫

・代理人から未成年者への虐待が疑われる場合の「未成年者から市への虐待に関する相談記録

出典:「野田市個人情報保護条例の解釈及び運用の手引き」

 「利益相反」とは難しい言葉ですが、相反する両立しえない利益が同一人物の上に重なっているような状態のことです。本件でいえば、子どもを守るべき父親が、その子どもから虐待を訴えられているという両立しえない状況にあるわけです。ですから、心愛さんが書いた「アンケート」は、まさにここで挙げられている「不開示情報の例」そのものといえます。したがって、いくら父親の威圧的要求があったにせよ、これを開示した市教委の対応は、この規定に明らかに違反していると考えられます(提供された客体が「個人情報ファイル」であれば、「2年以下の懲役又は100万円以下の罰金」(条例第40条)が科せられる)。

 では市教委としてはどうすべきであったのか。

 このアンケートは「不開示情報」そのものですから、市教委としては頑として「不開示」の決定を行い、それでも父親がなお不服だとするならば、野田市個人情報保護審査会に諮問することになります。個人情報保護審査会は、そのようなときのための第三者機関です。諮問を受けた個人情報保護審査会では、両当事者(市教委と父親)の意見を聴取し、実施機関(市教委)が下した「不開示」の決定が妥当かどうかを慎重に審査することになります(本件ではもちろん、「実施機関が行った不開示の決定は妥当である」との審査結果が予想されます)。

 心愛さんは、市教委がアンケートを父親に渡した後、別の小学校に転校し、虐待を訴えることはなくなりました。その間の彼女の心の変化を想像するだけでも、胸が痛みます(想像ですが、虐待はエスカレートしていったのではなかったでしょうか)。せめて市教委が条例に則って冷静な対応を取ってくれていたら、と思わざるをえません。(了)

【追記】

 地方公務員法第34条の守秘義務違反の罪が成立するという見解もあります。

 心愛さん虐待死事件 父親にコピー渡した市教委担当者に罪は?

 野田市長:小学女子児童虐待事件についてのお詫び

 教育長:小学女子児童虐待事件についてのお詫び

【補訂】(2019.02.09)

 市教委の対応は、条例第17条5号に明らかに違反していると考えられますが、罰則(第40条)では、客体が「個人情報ファイル」となっています。この点で、誤解を与える表現となっていましたので、本文を修正しました。訂正して、お詫びいたします。

甲南大学名誉教授、弁護士

1952年生まれ。甲南大学名誉教授、弁護士、元甲南大学法科大学院教授、元関西大学法学部教授。専門は刑事法。ネットワーク犯罪、児童ポルノ規制、薬物規制などを研究。主著に『情報社会と刑法』(2011年成文堂、単著)、『改正児童ポルノ禁止法を考える』(2014年日本評論社、共編著)、『エロスと「わいせつ」のあいだ』(2016年朝日新書、共著)など。Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。趣味は、囲碁とジャズ。(note → https://note.com/sonodahisashi) 【座右の銘】法学は、物言わぬテミス(正義の女神)に言葉を与ふる作業なり。

園田寿の最近の記事