ゴーン容疑者らに対する〈金融庁のアドヴァイス〉の意味

(写真:ロイター/アフロ)

■はじめに

 日産自動車前会長のカルロス・ゴーン容疑者は、金融証券取引法における有価証券報告書に退職後に受け取ることにした高額の役員報酬について記載しなかったとして、有価証券報告書虚偽記載罪の容疑で東京地検特捜部に逮捕されていますが、この逮捕容疑に関して衝撃的なニュースが入ってきました。

 共同通信によると、「退任後に受け取ることにした役員報酬を報告書に記載しなかったことについて、側近の前代表取締役グレゴリー・ケリー容疑者(62)が『金融庁に相談し、記載する必要はないとの回答を得た』と周囲に説明していることが29日、関係者への取材で分かった。」ということです。

共同通信:金融庁の「お墨付き」主張(2018/11/29 07:17)

金融庁:金融商品取引法について

 ゴーン容疑者としては、当然、金融商品取引法を所管する金融庁から「記載する必要はない」との、いわば「お墨付き」を得たので、虚偽記載の認識(故意)はなく無罪だと主張するでしょう。金融庁のアドヴァイスは犯罪性を否定する決定的な事実(証拠)であるかに見えますが、しかし記事は、東京地検特捜部が、ゴーン、ケリー両容疑者ともに「記載義務を認識していた」とみて調べていると報じています。

 記事からはわかりにくいですが、両者の主張、考え方におけるこの齟齬(そご)について、何が問題になっているのでしょうか。とくに、「記載義務を認識していた」との検察の主張は、刑法的にどのような意味をもっているのでしょうか。

■故意(犯罪事実の認識)と違法性の意識について

 刑法では、とくに過失犯を処罰する規定がない限り、故意犯の処罰が原則です。そして「故意」とは、〈普通の人ならば今から自分が行おうとしている行為は違法だと気づかせるだけの事実の認識〉だとされています。というのは、自分が今から行おうとする行為が〈違法〉だと気づいた場合には、〈それをやめるべきだ〉という規範意識(良心)が生じるはずで、その良心の声にあえて逆らって犯罪を実行したというその犯罪的エネルギーの強さに、処罰を正当化する根拠が認められるからです。

 このような考えから、最高裁は、故意犯が認められるためには犯罪事実の認識(と認容)さえあればよく、行為者にみずからの行為が違法であるという認識は必要ないとしています。東京地検特捜部が「(ゴーン、ケリー両容疑者が)記載義務を認識していた」と述べているのは、彼らには少なくとも犯罪事実の認識はあったのだから、金融庁のアドヴァイスは故意の成否には関係ないという主張だと理解することができます。

 ところが個々のケースによっては、客観的には刑罰法規に該当する行為であっても、本人がまったく違法とは気づかないこともあり、また一般の人の立場になって考えても、それもやむを得ないと考えられる場合もあります。そのような場合、行為者には心理的に犯行の抑止が働かなかったわけですから、「なぜ、そのようなことをしたのか」という非難ができず、処罰することはできません。

 記事によると、ゴーン容疑者らは「金融庁に相談し、記載する必要はないとの回答を得た」と述べています。これは、確かに「(役員報酬を報告書に)記載していない」という認識は自分たちにあったが、金融庁からのこのようなアドヴァイスがあれば、だれでもその行為が違法な虚偽記載だと認識することはないという主張だと理解できます。

 このような主張をどのように考えるべきなのでしょうか。実は、〈百円紙幣模造事件〉と呼ばれる先例となる判例がありますので、それを参考にこの点について考えたいと思います。

■百円紙幣模造事件(最高裁昭和62年7月16日決定)

 飲食店を経営していた被告人が、店の宣伝のために、百円紙幣と大きさ、色や図柄もほぼ同じで、店名や電話番号とともに上下に「サービス券」と小さく記載した「サービス券」を作成しました。しかし、出来上がりがあまりにもリアルだったので、印刷所からの指摘を受けた被告人は最寄りの警察署で知り合いの巡査らに相談したところ、その巡査から通貨及証券模造取締法の条文を示され、紙幣に紛らわしいものを造らないよう具体的な助言を受けました。ただ、警察官らの態度が好意的だったことから、被告人はその助言を重大に思わずに「大丈夫だろう」と楽観して「サービス券」を作成し、それを警察署で配布したところ、とくに注意も受けなかったので、さらに大量に作成した、というのが被疑事実です。

 第一審、控訴審は、それぞれ被告人が自らの行為についてうかつにも適法だと認識したことについて、それなりの理由があったとは認められないとして有罪としました。また、最高裁も、被告人が違法性の意識を欠いたことについてそれ相応の理由があったとはいえず、原審の判断は妥当である、と判断しました。

 この判例をどのように読み解くべきかについては議論がありますが、裁判所が認定した事実は、被告人は警察から「紙幣と紛らわしいものを作成してはならない」との具体的な助言を受けたにもかかわらず、安易に百円紙幣そっくりの「サービス券」を作成し、警察署で配布した際にも特段の注意を受けなかったので、さらに大量に作成したというものです。そして、最高裁は、このような軽率な被告人の態度から、本件では違法性の意識がなかったことについて、それ相応の納得できる理由があったとはいえないと判示したのでした。

 では、この判例を前提に、今回の金融庁のアドヴァイスはどのように考えればよいのでしょうか。

■まとめ

 〈百円紙幣模造事件〉では対応に当たった警察官が被告人に注意を促していたのですが、かりに「この程度は模造紙幣ではないから、適法だ」とアドヴァイスを行っていたとしたら、それを聞いた被告人はもとより、一般人もまたそれが法的に禁止されている「模造紙幣」だと認識できないでしょうし、その場合は故意はなかったとして処理されるべきだと思われます。しかし、警察官が「この程度なら形式的には条文に該当するが、処罰されることはない」と説明していたならば、模造紙幣製造罪の故意は認められることになりますが、結果的に刑事責任を問うべきかどうかはかなり微妙な判断になってくるように思われます。

 このように考えると、ゴーン容疑者らの場合は、ケリー容疑者が金融庁に対して行った質問の具体的な内容と、金融庁からの回答の具体的な中身が問題になってきます。この点の詳細は不明ですので断定的なことはいえませんが、全体の報酬額を含めて作成について問い合わせをしていたとすれば、その金額の大きさから判断すると、金融庁が、有価証券報告書の虚偽記載罪に形式的に該当する(つまり、故意はある)が刑事責任を問われるおそれはないと回答したとは考えにくく、端的に「虚偽記載には当たらない」と回答したのではないかと推測されます。だとすれば、彼らが「記載義務を認識していた」とする特捜部の主張には無理があるように思われますし、有価証券報告書虚偽記載罪の故意を認めることじたいが、かなり難しくなってくるのではないかと思います。(了)

【補足】

 本文で、最高裁は、故意犯の処罰には違法性の意識は不要であるとの立場だと書きましたが、これは、違法性の意識は故意の成否には影響を与えず、かりに被告人に違法性の意識がまったくない場合であっても(刑が軽くなることはあるが)犯罪の成立が否定されることはないという、きわめて厳格な立場です。しかし、このような立場に対しては下級審は否定的であり、違法性の意識を欠いたことについてそれ相応の理由がある場合には故意そのものが否定されるとする裁判例も多く見られます。最高裁も、このような判断に親和的な判決を下したこともあり、学説からは判例変更の一歩手前まで来ていると評されることもあります。

 しかし、最高裁が判例を変更し、違法性の意識を欠いたことについて、それ相応の理由がある場合に刑事責任の免責を認めるとしても、そのような判断の効果が及ぶ影響の重大性から、免責が安易に認められることを懸念して、きわめて限定的なものにするのではないかとも思われます。