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情報化の進展とストーカー現象

園田寿甲南大学名誉教授、弁護士
(写真:ロイター/アフロ)

■はじめに

リンデン・グロスの『ストーカー/ゆがんだ愛のかたち』(秋岡史[訳])(祥伝社)が1995年に出版されて、以来「ストーカー」という言葉が急速に広がり定着します。「ストーク(stalk)」とは、「忍び寄る」「(疫病や死が)まん延する」「いばって歩く」こと。意味的には矛盾する内容を含んでいますがが、「相手に不安を与える異常なつきまとい」として使用されます。

もちろん、95年に突如としてこの社会に「ストーカー」が出現したわけではありません。しつこく尾行し、無言電話をかけ続け、不可解な手紙を送り続ける事案は前からありました。しかし、「異常なつきまとい」が殺人にまでエスカレートしたケースが現実に起こり、闇の向こうに潜む恐怖の実態を「ストーカー」という言葉が照らし出して、ストーカー被害の深刻化が社会問題となり、2000年に異例の速さで「ストーカー規制法」が成立したのでした。

この法律の制定によって、現実には多種多様な個別の事例として存在した不気味な社会現象にひとつの範囲設定がなされ、多数の事象に統一性があることが承認されたのでした。安定した秩序や人間関係を得体の知れない力が侵犯し、和解を拒否して生き生きと闊歩(かっぽ)する悪が存在することを法が認めたのでした。

■ストーカー行為に共通するもの

ストーカー行為に共通し、他の事件から際立たせるものは、なにか。

それは、つきまといの「反復継続」と「行為の増幅」です。一般にストーカー事件では、個々の行為を取り上げれば、明確に犯罪として把握することが難しいものがあります。

街角で静かにたたずみ、被害者をただ見つめるだけの行為。

女性が帰宅し、灯りをつけたとたんにいつも電話がなる。受話器から、「おかえり」とささやく男の声。

自分が出したゴミだけがだれかに持ち去られている。

ビンに入った精液が送られてくる。。。

被害者を絶望的な不安に陥れる行為は、無限にあります。個別に取りだせばその多くが犯罪ではありません。しかし、その反復継続が、被害者の平穏な生活を決定的に狂わせるのです。軽犯罪法に若干のストーキング的な行為は規定されていますが、罰則が軽く、また何よりも反復継続されることによる被害者の不安の深さ、精神の失調は予定されてはいません。ストーカー行為が〈軽犯罪法以上、刑法未満〉といわれてきたのはこの点でした。

また、ストーカー行為の中には犯罪として立件可能な行為もありましたが、警察が動こうとはしなかったという問題性もありました。戦後民主主義の流れの中で、警察法第2条2項は、警察の活動について「いやしくも日本国憲法の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあつてはならない」と規定した結果、特に金銭・男女間・家庭内トラブルの3つについては、明らかに犯罪となる以外、警察はあえて積極介入しないとしてきた、いわゆる「民事不介入」の原則が不文律として現場の警察官の意識にあったことは事実でしょう。しかし、家庭内暴力、児童虐待など、介入のタイミングを読み違えたために悲惨な結果に終わったケースもありました。ストーカー行為もこれと同じ文脈で再考すべき点があったことも事実です。

■ストーカー規制の問題点

ストーカー行為の規制にとって最大の問題は、取り扱う事実の性質と位置づけです。

私たちは、だれかに手紙を書き、街中を散歩し、好きなときに立ち止まる自由があります。それをいつでも好きなときに行う自由もあります。片想いの相手に愛を告白する自由もあります。

「異常なしつこさ」を「正常なしつこさ」から、なにによって分化するのか。

犯罪要件が狭すぎないか、あるいは逆に広すぎないか。

被害者が救済されるのか、あるいは逆に一般私人の自由が制限されすぎないのか。

法律は、規制対象を恋愛感情等に起因するストーカー行為に限定しました。「悪質つきまとい事案」のほとんどが交際や復縁の要求、性的関心によって引き起こされており、このようなケースは特に悲惨な結果にいたる危険性が高いと考えられます。法がこの点でストーカー行為を目的犯として構成し、規制対象を限定列挙することによって他のつきまといから区別したことは評価できると思います。

ともあれ、今や「異常な恋愛」を「正常な恋愛」から的確に分化する力量が警察に問われています。現場の警察官に対する法律の理念に沿った教育と訓練や研究、そして何よりも人情の機微をうがつ豊かな人生経験が要求されるだろうと思います。

ストーカーは刑事事件ですから、警察が主たる窓口になるのは仕方がありません。しかし、〈ゆがんだ愛情〉に突き動かされた行為が、将来傷害や殺人などの行為に発展するかもしれないという危険性の判断を行うのはとても難しいことだと思います。現在は、専門家によって作成されたチェックシートを使って、ストーカーの危険性が判定されているようですが、はたしてこれで十分に対処できるのかは検討の余地があります。精神医療や臨床心理などの専門家と警察官が協働で判断するような仕組みが必要なのではないかと思いますが、法の理念をどのように制度化すべきかについて改めて早急に議論してほしいと思います。

■情報化の進展とストーカー現象

ストーカー現象は、上述のように、90年代後半以降になってにわかにクローズアップされてきました。そして、この時期は、インターネットが大ブレイクする時期とちょうど重なるのです。私は、そこには重大な関連性があるのではないかと思っています。

ネットを楽しんでいると、情報が情報を呼んで、あたかもすべての情報が自分の周りに配置されているかのような錯覚に陥ることがあります。世界のすべての情報にいつでも手が届き、自分は世界の中心にいるのだという〈幸福な錯覚〉に満たされることがあります。

現実の世界では絶望的なまでに遠かったアイドルとの距離も、今やネットの世界では、アイドルの日々の行動から食事内容にいたるまで把握することができます。アイドルではなくとも、多くの人がツイッターやブログなどのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を利用し、自らの行動範囲や交友関係、食事の内容までをも不特定多数に向かって公開しています。特定の人にターゲットを絞れば、〈その人のすべてを知り尽くしているのだ〉という〈幸福な錯覚〉に満たされることができます。

また、SNSは基本的に〈1対多〉のメディアですが、それを見ているストーカーにとっては〈1対1〉のメッセージとして受け取られることもあります。メッセージにコメントを書けば、それを返してくれるときもある。ときには、直接語りかけてくれることもあり、〈幸福な錯覚〉はより深くなっていきます。つまり、〈ゆがんだ愛情〉はどんどん深まっていくわけです。そして、それが満たされなくなったときには、〈ゆがんだ愛情〉が〈強烈な憎悪〉に容易に変質することになります。

■情報化で進む精神の〈貧しさ〉について

インターネットは、人の意識を変革し、社会を強烈に揺さぶる革新的テクノロジーです。人の意識や制度的な枠組みの構築が遅れがちだからといって、加速度のついた情報化の流れを収めることはもはやできません。しかし、その勢いに流されないために、忘れてはならないことがあります。

実は、われわれが人間としての存在の根を張る現実空間は、匂いや味、肌触りなど、コンピュータによるデジタル化を頑固に拒み続けている無数のみずみずしい情報(アナログ情報)で満ち溢れています。情報のデジタル化とは、このデジタル化できない情報をすべてそぎ落としてしまい、その部分を巧妙にごまかす技術でもあるのです。

画面に映しだされているバラの花からはもちろん〈香り〉は伝わってきませんが、進化した液晶の画面から出る光りの粒は、あたかもそこから誘惑的な香りが漂ってくるかのような〈幸福な錯覚〉を与えてくれます。スタジアムの鮮やかな緑の芝生も、液晶の光りにすぎません。迫力ある重低音も、ウーファーの振動にすぎません。すべてデジタル化による〈幸福な錯覚〉の中での出来事です。つまり、ネット空間に散りばめられた情報は、世界のごく一部の、しかもかなり偏った、奥行きのない、貧しい情報なのです。

どんなに社会の情報化が進んでも、手で直接さわるもの、舌で味わうもの、肌で感じるものを大切にしたいと思います。現実あるいは本物を体験させ、それがネットの世界でどのように〈変形〉されていくのかを、つねに子どもたちにも教えていかなければならないと思います。

かつて物質的貧しさが犯罪原因となった時代もありましたが、今や人間関係の貧しさが重大な犯罪原因となっています。しかし、その根底には、情報化社会という情報過多の時代にあって、人間としての行動判断の基礎となる情報そのものの貧しさがあるように思われてなりません。ストーカーによる凶悪で残酷な事件に接するにつれ、このような気持ちがますます強くなっていきます。(了)

甲南大学名誉教授、弁護士

1952年生まれ。甲南大学名誉教授、弁護士、元甲南大学法科大学院教授、元関西大学法学部教授。専門は刑事法。ネットワーク犯罪、児童ポルノ規制、薬物規制などを研究。主著に『情報社会と刑法』(2011年成文堂、単著)、『改正児童ポルノ禁止法を考える』(2014年日本評論社、共編著)、『エロスと「わいせつ」のあいだ』(2016年朝日新書、共著)など。Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。趣味は、囲碁とジャズ。(note → https://note.com/sonodahisashi) 【座右の銘】法学は、物言わぬテミス(正義の女神)に言葉を与ふる作業なり。

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