未成年者誘拐の犯人と被害者が結婚したら

(写真:アフロ)

■はじめに

 朝霞市の女子中学生誘拐事件の報道に接して、むかしの興味深い事件のことを思い出しましたので、それについて紹介します(朝霞市の事件とはまったく関係はありません)。

 事案は、次のようなものでした。

 Hは、自分が日本航空のパイロットであると偽り、S子(16才)に対して「エアガール」(当時は、客室乗務員のことをこう呼んでいました)の試験に合格するように推薦するとだまして温泉を連れ回し、関係をもった。

 その後、被害者がHをわいせつ目的誘拐罪(刑法225条)で告訴し、Hは起訴されたが、判決が出るまでにHとS子は結婚した。

■何が裁判所を悩ませたのか

 わいせつ目的誘拐罪(刑法225条)は、被害者や親などの告訴(処罰要求)がなければ処罰できない親告罪(刑法229条)です。しかし、刑法229条はただし書きで、誘拐の被害者が「犯人と婚姻をしたときは、婚姻の無効又は取消しの裁判が確定した後でなければ、告訴の効力がない。」と規定しています。したがって、いったん告訴した後に結婚したならば、その結婚が法的に問題がなければ、なされた告訴は当然無効になってしまいます。

 だとすると、起訴後に結婚した場合であっても、その告訴は効力を失うと考えるべきではないか、というのが1つの考え方です。そしてこの場合は、裁判所は形式的な条件が欠けることを理由にその後の手続きを打ち切る〈公訴棄却〉という判断を行うことになります(刑事訴訟法338条4号)。

 ところが、刑事訴訟法には別の規定もあって、「告訴は、公訴の提起があるまでこれを取り消すことができる」(刑訴法237条1項)とされているのです。これは〈取消し〉に関することですので、最初から効力がなかったことになる〈無効〉とは違いますが、この規定の趣旨を重視すると、起訴後に告訴が無効になっても、起訴それじたは有効であり、起訴するときになされた告訴の効力に対しては、何も影響がないということになります。つまり、この立場からは、本件でもHとS子の婚姻は起訴後のことだから起訴は有効であるという結論になります。

 検察官は、HとS子も結婚するならもっと早く結婚すべきであり、手遅れだったということを主張しました。弁護人は、最初の考えに立って公訴棄却とすべきだと主張しました。

 さて、裁判所はどう判断したのでしょうか。

 「少くとも現行法のもとにおいては公訴権なるものは、これが一旦発動行使されたときは司法秩序維持の原則が私人の意思の優位に立ち、爾後(じご)公訴権の維持遂行を不可能ならしめるような一切の私人の意思行為の介入を排除し独自の国家的立場から行使さるべき本質をもつものである。」として、被告人(H)に懲役1年の実刑判決を言い渡したのでした。

出典:富山地方裁判所昭和31年10月1日判決

 表現はたいへんいかめしいものですが、簡単に言えば、公訴権は大変厳粛なものであるから、いったん検察官(国家)が起訴すると決めた以上は、私人の意思によってこれが左右されることがあってはならないという、古めかしい国家主義的な発想が、この判決文の背後にうかがえます。

当然、被告人は控訴しました。

■控訴審の判断

 控訴審である名古屋高等裁判所は、誘拐の被害者が犯人と婚姻した場合には、その婚姻の成立が、公訴提起の前であると否とを問わず、いやしくも婚姻の無効又は取消の裁判が確定した後に為されたものでない限り、当該犯罪に対する告訴はすべて無効であり、既に為された告訴の効力は、ことごとく消滅するものと解すべきである。〈およそ刑事訴追によって婚姻が破綻することがあってはならない〉と判示して、原判決を破棄し、公訴棄却としたのでした(名古屋高裁昭和32年3月12日判決)。

 法律家はよく形式的な論理にとらわれるあまり、一般の市民からすれば〈血も涙もない判断〉と批判されることもあります。そもそも誘拐の被害者が犯人と結婚するということは、その犯人のことをすべて許し、受け入れるということです。また、被害者も周りの家族もそうすることが犯人の社会復帰のために最善だと考えた結果でしょう。第一審判決は、このような二人の思いを引き裂くものだと言えます。起訴が間違っていたと判断された検察官にとっては面白くない判決だったでしょうが、控訴審判決は、刑法が処罰するまでもないとする被告人を手続にこだわって処罰すべきではないという、至極当然の判断ではないかと思います。(了)

*参考:植松正『刑法ノート』(昭和32年、有信堂)