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賭博罪についての簡単な注釈 ー勝手な思い込みは大ケガのもとー

園田寿甲南大学名誉教授、弁護士
(写真:アフロ)

■はじめに

最近、賭博が話題になっています。特に明治以降、賭博は厳重に取り締まれれてきましたが、明治時代に作られた刑法がイメージする社会と、現実の社会とのズレはますます大きくなっているようです。しかし、公営ギャンブルが存在するとはいえ、またいかに古くなった刑法とはいえ、あくまでも現行法ですから、素人の勝手な解釈で「これは犯罪ではない」と思い込んで実は賭博行為を行っている場合もあると思われ、それは大変危険なことです。そこで、刑法における賭博罪について、簡単な注釈をまとめました。

■刑法185条(単純賭博罪)

(賭博)

第185 賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。

ー趣旨ー

本条は、国民一般の健全な勤労道徳を守ることが目的だとされていますが、競馬や競輪、サッカーくじなどが公認されていることから、このような理由は妥当だろうかと疑問に思います。本条は削除し、暴力団等が人の射幸心に付け込んで、賭博に引きずり込み、その人の生活を破綻させ、違法な活動資金源にするといった〈違法な賭博経営〉という点に着目して、賭博罪を再構成すべきだと思います。

ー賭博とはー

人が支配できない〈偶然〉に関して、財物を賭けることです。サイコロやトランプ、麻雀、競馬、競輪、スポーツの勝敗などが典型的ですが、囲碁・将棋なども賭けの手段になります。ただ、力の差が歴然である場合は、勝敗が偶然であるとはいえません。

判例は、当事者双方にとって〈偶然〉であることが必要であると理解していますので、詐欺賭博の場合は詐欺罪が成立します(被害者に賭博罪は不成立)。

ー財物ー

財物とは、財産的価値のある物ですが、金銭はもちろんのこと、広く財産上の利益でありばよく、債権なども含みます。ただ、個人の性的行為などの場合は、財物を賭けたとはいえません。

ー財物の得喪を争うー

勝者が財産を得て、敗者が失うことです。宝くじの販売は、販売者が財物を失うことがないので、賭博とは区別されます(刑法187条の富くじ発売罪が成立)。

ゲーム機賭博や違法カジノの場合も、全体としては店主は経済的な損をすることはないので、そのような場合でも「財物の得喪を争う」かどうかが問題となります。判例は、このような場合、常習賭博罪の成立を認めますが、むしろ賭博場開帳図利罪(刑法186条2項)を認める方が妥当なように思います(ただし、後述のように、ネットカジノの場合には問題あり)。

また、たとえば会費制のパーティでビンゴゲームを行う場合のように、主催者が参加者から事前に会費を得て、その合計金額の範囲内の金額の賞品を勝者に与えるような場合が問題となりますが、金銭の所有権が事前に主催者に移転していると見られ、また、主催者は常に財産を失うという危険を負担しませんので、このような場合に賭博罪を否定した判例はたくさん見られます。

ー一時の娯楽に供する物ー

価格の少なさと、消費の即時性や娯楽性などから判断されます。たとえば、コヒー代や昼食代を賭けたりする場合です。金銭の場合は、いくら額が少額であっても娯楽と認めるべきではなく、賭博になるという見解がありますが、コーヒー代や食事代に相当するような金額の場合は賭博を否定すべきだと思います。

ー賭博罪の成立時期ー

賭博行為が開始された時に成立します。花札やトランプが配られりしたときですが、ゲーム機賭博などの場合は、いつでも賭けることができるような状態にしたときです。もちろん、結果として負けた場合も賭博罪は成立しています。

ー海外での賭博ー

違法か合法かにかかわらず、外国での賭博行為には刑法の適用はありません。したがって、外国への賭博ツアーの企画については刑法上の問題は生じません。ただし、国内から外国のカジノサイトにアクセスして賭博を行う場合は、それが現地で合法なサイトであっても賭博行為の一部が国内で行われたとして、国内犯として処罰されます。

■刑法186条(常習賭博及び賭博場開帳図利(とり)罪)

(常習賭博及び賭博場開張等図利)

第186条 常習として賭博をした者は、3年以下の懲役に処する。

2 賭博場を開張し、又は博徒を結合して利益を図った者は、3月以上5年以下の懲役に処する。

ー趣旨ー

常習賭博罪は、賭博の常習性のある者を重く処罰するためのもので、刑法典で唯一の常習犯処罰規定です。

賭博場開帳図利罪と博徒結合罪は、いずれも自らは財物を失う危険を負担せずに、人の射幸心を利用して、人を賭博に誘い込んで不法に利得をはかることを処罰するための規定です。

ー常習ー

反復して賭博をする習癖のことです。暴力団員(ヤクザ)であるとは限りませんし、いわゆるギャンブル依存症と呼ばれるほど、賭博が常態化している必要もありません。賭博の種類や賭金の額、期間、前科などを総合的に常習性は判断されます。

ー賭博場開帳罪ー

自らが主催者となって、客が賭博を行う場所を提供し、客から入場料や参加費などと称して利益を取得する行為です。

ゲーム機賭博に関しては、判例は設置者に常習賭博罪を認めますが、設置者は大数的には負けることはなく、全体としては常に儲かる立場にありますから、これに人格的特性である〈常習性〉を認めることには疑問があります。むしろ、賭博場開帳図利罪を認めるべきだと思いますが、ネットカジノの例を考えるとこれも問題であるように思います。

つまり、本罪において一定の物理的な場所の設置が必要かどうかが問題で、事務所に設置した電話を利用して野球賭博の受付を行った事案で本罪を認めた最高裁判例(昭和48年)がありますが、この判例が、さらに物理的な場所という観念が希薄なサイバー空間で行われるネットカジノにも妥当するかについては疑問があります。むしろ、営業賭博罪という新たな犯罪類型を設けるべきではないかと思います。

ー博徒(ばくと)結合罪ー

本罪は、もはやほとんど死文化してしまった犯罪類型です。賭博開帳と密接に関連し、その準備段階という性格をもっています。博徒を集めることで成立します。

博徒とは、常習的・職業的に賭博を行う者であって、親分子分の身分関係やこれに類似した関係のある者です。

結合とは、自分が中心となって博徒との間に親分・子分の関係を結び、一定の区域(縄張り)において賭博を行う便宜を提供することです。

■まとめ

かつては賭博罪は、善良な勤労意欲を削ぎ、勤労という美徳に反し、財産を失うおそれがあるとして、厳重な取締りの対象にされてきましたが、このような考えは明らかに現代の社会や国民の意識に反します。

今、読売巨人軍選手による「賭け」が問題になっていますが、これも彼らの行為が形式的に賭博罪の規定に当てはまること(善良な勤労道徳に反し、財産を失うおそれがあること)が問題の本質ではなく、八百長につながるおそれがあり、暴力団の資金源となり、ひいては国民の娯楽であるプロ野球そのものに大きな失望を与えてしまい、国民経済におけるマイナスの効果ははかり知れないものがあるのではないかということが問題になっています。

ネットカジノの利用者も摘発されましたが、これも、勤労の美徳に反するからという問題でとらえることは筋違いではないでしょうか。

「賭博場開帳」とか「博徒」といった条文で使われている言葉も、今の社会ではほとんど使われていませんし、賭博罪全体をそろそろ見直すべきではないかと思います。(了)

なお、賭博の問題性については、次の拙稿も合わせてお読みいただければ幸いです。

甲南大学名誉教授、弁護士

1952年生まれ。甲南大学名誉教授、弁護士、元甲南大学法科大学院教授、元関西大学法学部教授。専門は刑事法。ネットワーク犯罪、児童ポルノ規制、薬物規制などを研究。主著に『情報社会と刑法』(2011年成文堂、単著)、『改正児童ポルノ禁止法を考える』(2014年日本評論社、共編著)、『エロスと「わいせつ」のあいだ』(2016年朝日新書、共著)など。Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。趣味は、囲碁とジャズ。(note → https://note.com/sonodahisashi) 【座右の銘】法学は、物言わぬテミス(正義の女神)に言葉を与ふる作業なり。

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