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なぜマツケンはバイクに乗ったのか?──未来へのアイロニーとノスタルジー

松谷創一郎ジャーナリスト
photo: PxHere

 昨年大みそかの『NHK 紅白歌合戦』、そのひとつのハイライトは松平健による「マツケンサンバⅡ」だった。

 17年前のヒット曲が『紅白』に選ばれたことにはそれなりに理由がある。昨年夏、直前まで大混乱だった東京オリンピックの開会・閉会式において、どこからともなくマツケン待望論が生じていたからだ。

 『紅白』のパフォーマンスもおそらくそれを意識したものだ。劇団ひとりによるオリンピック開会式の寸劇のセルフパロディから始まり、マツケンがバイクとスケートボードに乗って東京の街を走り、オリンピックスタジアムを経由して会場である有楽町の東京国際フォーラムにやってくる──そうした内容だ。

 なぜマツケンはバイクに乗ったのか?

2021年12月31日、『第72回NHK紅白歌合戦』における松平健の登場シーン。
2021年12月31日、『第72回NHK紅白歌合戦』における松平健の登場シーン。

『AKIRA』に登場するバイク

 おそらくそのヒントは、幻となった振付演出家・MIKIKO氏によるオリンピック開会式案だ。オリンピックが始まる3ヶ月前に『文春オンライン』がスクープしたその内容には、大友克洋の『AKIRA』で描かれたバイクが登場する。

 劇団ひとりのセルフパロディといい、マツケンがバイクに乗ってオリンピックスタジアムを経由したことといい、そこには降板させられたMIKIKO氏への思いが込められていたのかもしれない。

 1982年からマンガ連載が始まり、1988年にアニメ版の映画が公開された『AKIRA』は、翌年に東京オリンピックを控えた2019年を舞台とする近未来SFだ。偶然ではあるが、現実の2020年の五輪開催を予言していたことになる。

 しかし『AKIRA』で描かれた世界は、東京に落とされた新型爆弾をきっかけとした第3次世界大戦後の未来だ。東京湾の埋め立て地に新都市・ネオ東京が造られ、一方で旧市街は廃墟と化している。そして、爆心地の上では新たなオリンピックスタジアムの建設が進められていた。

 『AKIRA』の主人公・金田は、流線型のフォルムをした赤いバイクに乗り新都市と廃墟を行き来する。そこでバイクは、若者たちの刹那的感性を示すのと同時に、退廃した未来を突き進むイメージを表していた。

映画『AKIRA』北米版DVDのジャケットにもバイクは採用されている(画像:Amazonより)。
映画『AKIRA』北米版DVDのジャケットにもバイクは採用されている(画像:Amazonより)。

TWICEのバイクは「止まれない」

 近年のポピュラー音楽では、しばしばこうした『AKIRA』の表象と重なる作品が目立つ。それが顕著だったのは一昨年(2020年)のことだった。

 たとえば2020年10月に発表されたTWICE 'I CAN'T STOP ME' は、そのタイトルどおり自分自身が制御不能であることが歌われている。それは、禁断の恋愛に突き進む心象を描いた内容として捉えられる。

 この曲で象徴的なのは、そこに止まらないバイクや電車が登場することだ。メンバーたちはそれらの乗り物でひたすら突き進む。「止まらない」のではなく、「止まれない」。

TWICE 'I CAN'T STOP ME' (2020年)MVより。
TWICE 'I CAN'T STOP ME' (2020年)MVより。

 映像のイメージもさることながら、曲調は80年代前半から中期を思わせるシンセポップだ。テクノをより一般化させたその電子サウンドは、デジタルメディア(CD)が普及する直前期に未来的なイメージで世界を包んだ。

 こうした楽曲とイメージがK-POPに登場したのは、TWICEが最初ではない。その1ヶ月前に発表されたEVERGLOWの 'LA DI DA' も同様の方向性だ。MVでは一瞬だが赤いフェラーリが登場し、メンバーたちは上海や香港のような中華圏を思わせる街で踊る(このグループには中国人が1名いる)。

ザ・ウィークエンドのアイロニー

 K-POPでは、10年以上前からレトロサウンドがメジャーシーンでヒットし続けており、最近ではそれらが「ニュートロ(New+Retro)」として再定義されつつある。前述の2曲もその文脈に含まれるが、具体的に強い影響を与えたのはカナダ出身のザ・ウィークエンド(The Weeknd)が2019年11月に発表した 'Blinding Lights' だ。

 メルセデス・ベンツのCMタイアップだったこの作品は、80年代を思わせるシンセポップで2020年に世界でもっともヒットした曲となった。MVではザ・ウィークエンドが『バットマン』の悪役・ジョーカーのような格好で、赤いベンツ車で夜の都市を疾走する。

 タイトルの「Blinding Lights=まばゆい光」は、MVではラスベガスのネオンやハイウェイの外灯、あるいは自動車のヘッドライトなどで表現されている。詞では「君が触れてくれないと眠れない」と恋人への想いを歌うが、それは夜でも煌煌と光を放ち続ける都市(ラスベガス)を「寒くて空虚」と感じることの反動でもある。

 ざっくり言えば、そこで表現されているのは都市における孤独だ。まばゆい光を浴びながら自動車で疾走するのも、破滅的な未来に突き進む刹那的な感性を表している。きらびやかな未来都市で孤独を感じ、そこにアイロニカルに浸るイメージだ。

ザ・ウィークエンド 'Blinding Lights'’ (2019年)MVより。
ザ・ウィークエンド 'Blinding Lights'’ (2019年)MVより。

シティポップが描く都市の孤独

 'Blinding Lights' の元ネタであるシンセサウンドは、70年代のテクノミュージックを起点に、80年代前半にはニューウェイヴなどさまざまなジャンルで全世界的に流行した。ザ・ウィークエンドは、その当時ヒットした曲のさまざまな要素を用いてこの曲を構築している。

 なかでももっともサウンド的に連想されるのは、1984年に発表されたa-haの 'Take on Me' だろう。ノルウェーのポップバンドが生み出したこの曲は、グラフィックノベルのバイクレーサーが現実世界に飛び出してくるMVで、MTV黎明期に世界的なヒットとなった。それは極めて明るいポップスだが、やはりバイクで疾走する青年が描かれる。

 また、ザ・ウィークエンドに直接的な影響を与えたとは言えないが、現在の世界的な80年代リヴァイヴァル文化に強い影響を与えてきたのは日本のシティポップだ。

 なかでも竹内まりやが1984年に発表した「PLASTIC LOVE」は、都市を生きる女性の孤独をアイロニカルに表現している。2019年には、その感性を上手く表現したMVも制作された。そこにはビルの明かりや自動車のヘッドライトなど、まばゆい光があふれる都市で寂しさと開き直りの狭間で揺れる女性が描かれている。

 「シティポップ」という表現は80年代当時はほとんど使われず、2010年以降に(海外を中心として)遡行して見いだされた概念だ。当時の日本では、AOR(Adult-Oriented Rock)や、大きくニューミュージックとして括られていた。それが都市の音楽と見なされるのは、「PLASTIC LOVE」が代表するように都市社会を生きるひとびとの感性が描かれているからだ。

 「PLASTIC LOVE」をはじめとするシティポップは、'Blinding Lights' が生まれる土壌となった2010年代のヴェイパーウェイヴやフューチャーファンクのムーヴメントに強い影響を与えてきた。この両者は、冷戦後に苛烈化し続ける資本主義へのアイロニーと、80年代サウンドへのノスタルジーを混在させながら、分派を繰り返してムーヴメントを拡大していった。ザ・ウィークエンドは、これらの文脈をメジャーシーンで最大化させたとも捉えられる。

デュア・リパと『クリィミーマミ』

 こうした80年代サウンドのリヴァイヴァルを考えるときに決して外せないのは、ザ・ウィークエンドとともに2020年に世界でもっともヒットしたイギリスのデュア・リパ(DUA LIPA)だ。グラミー賞では年間最優秀アルバム賞にも輝いた “Future Nostalgia” は、「未来のノスタルジー」という表題どおり80年代シンセポップを中心とした楽曲で構成されている。

 もっともヒットしたのは 'Don't Start Now' だが、ここで注目するのはその次にヒットした 'Levitating' だ。ディスコサウンドのこの曲は、恋をして宇宙に浮遊するイメージを描いている。

 面白いのは、昨年9月に発表されたこの曲のアニメ版MVだ。そのキャラクターデザインや雰囲気は、1983~84年放送の『魔法の天使クリィミーマミ』や、1992~97年放送の『美少女戦士セーラームーン』を思わせる。創ったのは、日本の映像制作グループ・NOSTALOCKだ。

 デュア・リパがあのときの日本の子供向けアニメを採用したのは、それが全世界に拡がる80年代的ポップカルチャーのテイストと合致するからにほかならない。『クリィミーマミ』や『セーラームーン』は「未来のノスタルジー」ということである。

都市化、モビリティ、テクノロジー

 以上に見てきた80年代前半から中期の表現をリソースとする作品群には、都市におけるバイクや自動車など、類似したイメージが頻出する。都市化やモビリティ(移動)、テクノロジー(シンセサイザー)などによって生じる社会状況の変化と、それによってもたらされるひとびとの孤独や不安が描かれているケースが目立つ。

 それは、80年代前半に広く感受されていた感性だ。そこには、先進国がまだ“未来”に向かっていた背景がある。

 高度経済成長はすでに終わり、70年代にオイルショックも経験したが、冷戦構造のなかで先進国は安定成長を続けていた。ひとびとの生活空間にはウォークマンやファミコンが普及し、ワープロやCDなどデジタル製品も徐々に浸透していた時代でもある。米ソによる核戦争の不安などを頭の片隅に置きながらも、それを振り切るようにキラキラとした明るく楽しい未来を構想していた時代とも言い換えられるだろう。

 政治においては、80年代前半はG5のうちの3カ国が新自由主義に大きく舵を切った時代でもある。マーガレット・サッチャーとロナルド・レーガン、そして中曽根康弘は、財政健全化などを目的に規制緩和を進め、市場の自由度を高めてひとびとの競争を促進していった。そして、その後生じた共産圏の崩壊を経て、資本主義の過剰化はさらに加速したことは説明するまでもないだろう。

“未来へのアイロニー”に対するノスタルジー

 近代化以降、次々と新たなテクノロジーが誕生し、ひとびとの生活も豊かになっていった。だが核兵器や原子力発電のように、かならずしも人類に良い結果をもたらすとはかぎらない。先送りされ続ける「未来」を準拠点として、常に刷新されて“進化”を求めるヴェイパーな「熱い社会」は、果たしていつまで続くのか。

 そんな疑問を抱えながらもしかし、とにかく進む。その先に待ち受けるのがたとえ絶望であろうとも、どんどん加速して突き進む──それはアイロニー以外のなにものでもない。つまり “未来へのアイロニー”だ。

 ザ・ウィークエンドが描くイメージは、そうした80年代前半に漂っていたその感性に強いノスタルジーを寄せている。

 シンクタンクのローマクラブが、100年以内に「成長の限界」が訪れると提言したのは1972年のことだった。そこでは、人口増加やそれによる食糧難、環境問題など、その後の人類が直面するであろう問題が提起され、その翌年に生じるオイルショックと相まって大きな注目を浴びた。

 それからちょうど50年後の現在は、いよいよ「成長の限界」が本格的に認識されてSDGsが世界的な思潮となっている時代だ。しかも80年代まで資本主義の暴走を抑止してきた共産主義は、もう機能不全となっている。“未来へのアイロニー”に対するノスタルジーは、こうした現代だからこそ先進国を包み込んできた反動的な感性だ(※1)。

若者が憧れる“エモい孤独”

 一方で、若者を中心にそうした80年代前半をレトロフューチャーとして捉え、ストレートな憧憬を感じている層も少なくない。複雑化した現代と比べると、あの時代はとても素朴にも感じられるからだ。

 実際、デジタル技術とインターネットが広く浸透した現在は、ひとびとは日常的に膨大な量のコミュニケーションの処理を求められる。スマホとSNSをやめられない“ウザい日常”は、Facebookもひた隠しにしてきたようにメンタルヘルスに悪影響を与える社会問題としてやっと認識されつつある。

 こうした現代を生きる若者たちにとって、80年代前半の世界は憧れの“シンプルな未来(的な過去)”として理想化されている。そこにはスマホもSNSもなく、Twitterでクソみたいな絡み方をしてくる者もいない。コミュニケーションのインフレ化によって「つながっているのに孤独」な若者たちにとって、80年代の都市で感じる孤独は純然なものと想像されている。

 現代の孤独感が膨大なコミュニケーション(情報)の飽食ゆえの感覚だとすれば、80年代の孤独感はフィジカルな生々しさ=“エモさ”を漂わせる感覚と捉えられている(フィルムカメラのブームもこれとつながる感性だ)。

 こうした感覚は、デュア・リパが表現してきた方向に近い。あの時代へのアイロニーはほどほどに、シンプルにあの当時の未来観にノスタルジーを抱いている。だからこそ、彼女は 'Physical' で「身体で感じよう(Let's get physical)」と歌って踊る。ザ・ウィークエンドのように破滅的な未来にあえて向かうのではなく、身体性を取り戻してモダンへの回帰を主張するかのように。

 この 'Physical' にも元ネタがある。それが1981~82年に全世界的にヒットしたオリヴィア・ニュートン・ジョンの明るいポップスの 'Physical' だ。その歌詞は性的関係を暗示する内容だが、歌詞も「身体で感じよう(Let's get physical)」と同じだ。デュア・リパは40年前のこの曲をヒントに、ソーシャルディスタンスが求められた2020年に身体性をノスタルジックに歌ったのである。

  • ※80年代リヴァイヴァルは、近年映像作品でも多くのヒットを生んできた。代表的なのは、劇伴にシンセサウンドを使い、80年代アメリカの郊外を舞台にした少年少女を描くホラー作品群だ。映画『IT』2部作(2017/2019年)や、Netflixドラマ『ストレンジャー・シングス』(2016年~)、あるいは映画『サマー・オブ・84』(2018年)に連なる文脈である。

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ジャーナリスト

まつたにそういちろう/1974年生まれ、広島市出身。専門は文化社会学、社会情報学。映画、音楽、テレビ、ファッション、スポーツ、社会現象、ネットなど、文化やメディアについて執筆。著書に『ギャルと不思議ちゃん論:女の子たちの三十年戦争』(2012年)、『SMAPはなぜ解散したのか』(2017年)、共著に『ポスト〈カワイイ〉の文化社会学』(2017年)、『文化社会学の視座』(2008年)、『どこか〈問題化〉される若者たち』(2008年)など。現在、NHKラジオ第1『Nらじ』にレギュラー出演中。中央大学大学院文学研究科社会情報学専攻博士後期課程単位取得退学。 trickflesh@gmail.com

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