稀代のポピュリストを描く『女帝 小池百合子』は、読者を興奮とドン引きに突き落とす

2020年3月25日、「3密」を説明する小池百合子都知事(写真:つのだよしお/アフロ)

カイロ大学は学歴詐称を否定

 6月8日、エジプト・カイロ大学は、1976年10月に小池百合子都知事が同校を卒業しているとの声明を出した。これは、来月の都知事選を前に再燃した小池氏の学歴詐称疑惑を受けてのものだ。

 この疑惑の発端となったのは、先月末からの『週刊文春』による一連の報道だ。カイロ大学時代に小池氏と同居していた女性が、かなり具体的な証言をした(「『カイロ大学卒業は嘘』小池百合子東京都知事の学歴詐称疑惑 元同居人が詳細証言」5月27日)。

 これらの記事を手掛けたのは、ノンフィクション作家の石井妙子氏だ。それらは5月29日に『女帝 小池百合子』(文藝春秋)として出版された(『週刊文春』の記事はそのダイジェスト版といったものだ)。

石井妙子『女帝 小池百合子』(2020年/文藝春秋/画像:Amazonより)。
石井妙子『女帝 小池百合子』(2020年/文藝春秋/画像:Amazonより)。

 現在、この『女帝 小池百合子』が各所でかなり話題となっている。しかし、そのとき強く注目されているのは学歴詐称疑惑だけではない。むしろ怪物的な山師として描写される小池百合子というキャラクターそのものだ。

 政界進出を目論むもかなわなかった父親の存在、兵庫・芦屋での生い立ち、エジプトでの生活、テレビ番組のキャスター時代、そして政界進出──。資料と取材から入念に洗われる小池氏の68年間は、現職の都知事である政治家としてはあまりにも通俗的だ。それゆえに、多くの読者は興奮とドン引きに突き落とされる。

政治家の評伝らしからぬ通俗性

 同書の前半は、これまであまり知られていない生い立ちからキャスター時代までが描かれる。興味深いのは、父親・勇二郎氏(故人)が“政界ゴロ”であったとする描写だ。石井氏は幾度も彼を大法螺吹きだと表現し、百合子氏はその血筋を受け継いでいるかのように物語を紡ぐ。

 そこから、私立甲南女子中・高校を経て、関西学院大学に入学するもすぐに中退してエジプトに渡り、カイロ大学に編入する。本書の肝は、この時期に延べ2年間同居をしていた10歳年上の早川玲子氏(仮名)の証言だ。日々遊び回り、一時期は結婚していた小池氏の様子は、早川氏が当時記した日記なども引用されながら描写される。

 その後、日本に戻った小池氏は、日本テレビ『竹村健一の世相講談』のアシスタントを経て、テレビ東京『ワールドビジネスサテライト』の初代キャスターとなり知名度を上げていく。政界入りする前のここまでが前半だ。

 日本新党から出馬して政治家となった中盤から後半は、ひとむかし前なら「風見鶏」と揶揄された変節を多く見せて階段を上がっていく。1992年・日本新党、1994年・新進党、1997年・自由党、2000年・保守党、2002年・自民党、2016年・都民ファーストの会、2017年・希望の党──その過程では細川護熙、小沢一郎、小泉純一郎と、ふたりの総理を含む時の権力者のもとを渡り歩いた。

 一般的にもこの後半部は広く知られていることだろう。とくにその存在が強く意識されたのは、2005年の郵政選挙(総選挙)の際に小池氏が刺客として東京10区に鞍替え立候補したときだろう。この選挙区に長く在住している筆者も、とてもよく覚えている。

 こうした本書は、政治家の評伝とは思えないほど通俗的な内容だ。だからこそ多くのひとが興味を惹かれ読んでいるのだろう。それはノンフィクション作家としての石井氏の資質でもあるのだろうが、一方で、小池氏を対象としたときにこうした通俗性は避けられないのかもしれない。なぜなら多くの変節を繰り返してきた小池氏には、明確な政治的ポリシーがほとんど見られないからだ。

 つまり、俗物を描けば通俗的になることは避けられない。実際、55年体制以降に登場したポピュリストには、石井氏の通俗的な描写はとてもマッチしている。本書が放つ危うい魅力は、この的確な方法論にある。

有名性を求める稀代のポピュリスト

 この本を読んでいて筆者が思い出したのは、20年近く前にインタビューしたある女性芸能人のことだ。当時そこそこ売れていた彼女に、将来のことを聞いたらボソッとこう言った。

「もっとモテたい……」

 もう十分モテてるじゃん──と当時は思ったが、その飽くなき願望に得体の知れないものを感じた。

 芸能人にかぎらず、人前に出て不特定多数に好かれたがる(=モテたい)ひとはいる。業績よりもひとがら(パーソナリティ)で人気を獲得することに躍起となるタイプだ。YouTubeやTwitterなどで多くの反応を受けて一喜一憂しているひともそういう志向性だろう。彼らは、アディクションかのごとく有名性の快楽に身を溶かしている。

 小池百合子氏は、そうしたタイプのトップに位置するひとだ。しかも彼女は芸能人ではなく、政治家だ。加えて世界最大規模の自治体の首長であり、総理大臣候補とも目される。それが意味するのは、政治的ポリシーが乏しくても、政局を読み、有権者マーケティングに長けてさえいれば、政治家としてここまで大物になれる日本の現実だ。だからこそ、本書は黒光りする魅力を放つ。

 政治家・小池百合子における最大の特徴は、派手で巧みな有権者マーケティングにある。最近では、新型コロナウイルス対策において「NO!!3密」や「感染爆発・重大局面」といったプロモーションで注目されたことは記憶に新しい。布マスクの配布と使用に固執し続ける安倍首相とは、明確なコントラストとなった。こうしたわかりやすいコピーとパフォーマンスで有権者に訴求し、選挙や世論調査で確実に数字(票)を獲得してきたのが小池氏だ。

 石井氏の同書では、こうした小池氏の戦略は批判的に描かれる。しかし、実際のところ小池氏のプロモーションはきわめて巧みだと評価するのが妥当だろう。そこで石井氏が何気なく対立させているのは、政治的ポリシーとパフォーマンスだ。中身と外見と言い換えてもいい。

 しかし、両者はかならずしも対立するわけではなく、両立も可能だ。小池氏の場合、その片方(ポリシー)は空虚であっても、もう片方(パフォーマンス)は日本ではトップクラスの水準だ。

 21世紀のこの20年、日本の政治はパフォーマンス勝負だった。小泉純一郎氏も橋下徹氏も、そして小池百合子氏もそれで勝ち続けてきた。身なりに気をつけ、仮想敵を見つけ、大きな声で正義のコピーを唱えれば、それで数字(票)は取れる。身も蓋もないが、それが市民(有権者)が選択してきた日本の政治の現実だ。彼女は間違いなく、稀代のポピュリストだ。

21世紀型・政治ゲームの攻略法

 選挙は、単純なルールで競うゲームだ。有権者は、能力や学歴や収入の有無に関係なくひとり一票。そうしたこのゲームで確実に勝つためにはどうするか──各国のポピュリストたちはそれに注力する。

 入念に有権者マーケティングをしたうえで、政策をろくに評価しない極右を含む保守層を固めればそれだけで25%は取れる。あとはときおりの政局に気をつけながら15~25%上積みすれば、支持率および政権基盤は安定する。小池知事も安倍首相もトランプ大統領も、みんなそうしてきた。それが現在の政治ゲームの攻略法だ。

 真面目なリベラル勢は、こうしたポピュリストたちの有権者マーケティングを過小評価し続けてきた。結果、いまだに負け続けている。ポリシーとパフォーマンスが対立するものだとする彼らは、バラク・オバマ氏がどのような戦略でアメリカの大統領になったかを知らないのかもしれない。

 話は変わるようだが、いま野球ではセイバーメトリクス=統計を使った戦略が当たり前のものとなっている。その先進国はもちろんアメリカ・メジャーリーグだ。

 しかし、たとえば映画『マネーボール』(2011年)で描かれたような内容は、すでにかなり古い。OPSやWHIPなど新たな指標で選手を評価するのは、メジャーリーグではどこもやっている。となると、そうした工夫だけで他チームとの差異化はできない。

 すでにゲームは次のフェイズに移っている。近年流行りなのは、守備シフトとフライボールだ。守備シフトは、むかし日本でもあった「王(貞治)シフト」を全打者でやるようなものだ。打者の特徴に応じて、内野を中心に極端な守備陣形を採る(たとえば内野手全員が1・2塁間だけを守るような)。フライボールは、この守備シフトをさらに攻略するものとして考案された。内野ゴロを打たずに、とにかくアッパースイングで外野にフライを打ち上げる単純な戦術だ。日本では、前者は日本ハムファイターズが、後者は巨人の坂本勇人選手などが取り入れている。

 こうしたなかで、「そんなのは本来の野球ではない!」と意固地になり、従来の守備位置をかたくなに守って、打撃ではダウンスイングを繰り返していればどうなるか。

 負ける──。

 現在、多くのリベラル勢が弱体化している要因も、これだ。ポピュリストに対抗できていない彼らは、選挙ゲームが次のフェイズに進んでいることを重視していないか、その現実から目を背けている。あるいは、ポリシーとパフォーマンスが両立することを理解できていないのかもしれない。

 選挙ゲームの攻略法は、21世紀に入って先に進んだ。有権者マーケティングは必須で、パフォーマンスはとても重要だ。現在はそのゲームを熟知した政治家が、ポピュリストとして世界中で跋扈している。彼らの辞書には「コモンセンス」や「ノブレス・オブリージュ」といった語はない。ゲーム(制度)のルールが変更されないかぎり、20世紀同様の戦い方をしていれば負け続けるだけだ。残念ながらそれが現実だ。

「名誉男性」としての小池百合子

 『女帝 小池百合子』には、「女性作家による女性政治家の評伝」としての特徴もある。そこで石井氏は、小池氏を「名誉男性」として描く。男性社会での「紅一点」的状況を利用しながら、彼らの権力を利用して成り上がり、周囲の女性を見下すという分析(物語化)だ。これもきわめて通俗的ではあるが、女性作家であればこその着眼だ。

 こうしたなかで印象的だったのは、石井氏の取材に応じたフェミニストの田嶋陽子氏の発言だ。田嶋氏は、「中身は男性」と小池氏を評したうえでこう続けている。

「フェミニズムの世界では『父の娘』というんですよね。父親に可愛がられて育った娘に多い。父親の持つ男性の価値観をそのまま受け入れてしまうので彼女たちは、女性だけれど女性蔑視の女性になる。男性の中で名誉白人的に、紅一点でいることを好む。だから女性かといえば女性だけれど、内面は男性化されている」

出典:石井妙子『女帝 小池百合子』(2020年/文藝春秋)第四章:Kindle版位置No.2287-2290より

 マイノリティがマジョリティにすり寄り、みずからの存在性を利用して体制側につき、そのうちマジョリティと化す。こうした光景は、女性にかぎらず歴史的に多く見られてきた。石井氏が鋭く切り込むのは、こうした小池氏のキャピキャピとした鈍感さだ。本書が女性層にも広く訴求しているのはこうした分析にもある。

 しかしその一方で、『女帝 小池百合子』は、最後まで読むと読者を落胆させる結論も見せる。石井氏は、小池氏の同居人だった早川氏の証言をもとに学歴詐称を主張したが、直接カイロ大学にも確認をとっている。その結果は、今回の公式発表と同じく、カイロ大学は卒業を認めている。つまり、早川氏の証言とカイロ大学の公式声明が食い違っている。他のマスコミ(とくに新聞)がこの件に追従しないのもおそらくそのためだ。裏が取れないのだから、そうなる。

 もちろん石井氏は、小池氏のアラビア語力や実際の学業などについて状況証拠で対抗している。しかし、独裁国家の国立大学が公式に声明を出した以上、それを覆すのは難しい。たとえ就学実態が乏しくとも、卒業は卒業だ。よって、この学歴詐称の一件はかなりの新証拠が提出されないかぎり、石井氏の分は悪い。

 そして今後、石井氏の分析が的確ならば、この件も含めて同書で書かれた内容は、小池氏にとっては新たな燃料になる可能性がある。ネガティブな評価も票に変換する稀代のポピュリストにとって、同書には十分な力があるからだ。それは、ポピュリズムを超克する困難さを示している。

 都知事選は、6月18日に告示、7月5日に投開票される。小池氏も近日中に立候補を表明すると見られる。しかも、前回激しく対立した自民都連も小池氏の応援に回る予定だ。

 67歳の小池氏は、政治家としてのキャリアも終盤に差し掛かりつつある。常に上を目指してきた彼女が、今度の選挙ではなにを発言し、どのようなパフォーマンスをするか。『女帝 小池百合子』にそのヒントは多く描かれている。