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「公立高・部活週休2日」へのバックラッシュ──日刊スポーツ論説「授業を減らせばいい」の問題点

松谷創一郎ジャーナリスト
(写真:アフロ)

「部活のために授業を減らせ」

 24日、スポーツ庁の有識者会議において、「中学・高校の部活の休養日を週2日以上とする」ガイドラインがまとめられた。しかし、それに対して日刊スポーツの金子航記者(編集局野球部次長)が、「部活でなく、授業を減らせばいい」との論説を発表し、物議を醸している。

 教員の働き方改革が待ったなしの状況なのは理解できる。多忙でどうしようもないならば、部活でなく、授業を減らせばいい。学業指導は学習塾にかなりの部分を依存している現状で、仮に授業時間が3分の2になって、勉強ができなくなって困る生徒は、果たして、どれほどいるのだろう。ゆとり教育の失敗を反省し、学習指導を改革すれば、授業時間削減の再挑戦も可能ではないか。無駄な会議や報告書類の作成など、負担の源はさまざまとも聞く。改革のメスを入れるべき点が、そもそも間違っている。

出典:金子航「野球手帳:順番を間違ってないか、公立高の部活週休2日に疑問」 日刊スポーツ2018年2月27日付

 部活のために授業を減らせ──炎上商法かと見紛うこの金子記者の主張の是非について考えていこう。

大義とされる「生徒の気持ち」

 あらためて確認するまでもないが、学校は勉強をするところだ。義務教育ではないとは言え、高校も第一は勉強のためにある。これは教育基本法を前提とするからだ。

 対して部活は、中学・高校の学習指導要領では「生徒の自主的、自発的な参加により行われる」ものだとされており、「学校教育の一環として、教育課程との関連が図られるよう留意すること」との注意もある(文部科学省「学習指導要領『生きる力』」第1章4-2-(13))。

 もちろん、高校野球をはじめとする部活動がそれを大きく逸脱していることは筆者をはじめ多くの論者が指摘してきたが、なかなか改善はなされない。また、社会学者の内田良氏を中心に教員の部活動負担の大きさを問題視し、スポーツ庁も昨年5月から「運動部活動の在り方に関する総合的なガイドライン作成検討会議」を開いてきた。

 スポーツ庁のガイドライン骨子(案)には、内田氏も指摘するように多くの課題があるが、金子記者の提案「教員が部活で多忙なら、授業時間を減らせばいい」は、かなり質の異なる意見である。

 学習指導要領の理念としては、あくまでも教育(授業)が「主」であり部活は「従」の関係だ。だが、金子記者の主張は「従のために主を弱めろ」というもの。以上を踏まえれば、「順番を間違っている」のは金子記者のほうだ。もしかしたら「学校」がなんのために存在するか、よく理解していないのかもしれない。

 金子記者がこうした主張をした理由は、「子供たちの気持ちを後回しにしている」という部分から読み取れる。実は、この点こそが彼の論説でもっとも興味深い部分だ。なぜなら、「多忙な教員」に対し「生徒の気持ち」という大義で対抗しているからだ。

 しかし、強制入部の学校が増えてきた昨今、部活動をやりたい生徒ばかりではない。このことも内田良氏がさんざん指摘してきたことでもある。

広島観音高サッカー部の革命

 金子記者の主張には、もうひとつの難点がある。それは部活動日数=練習時間を重視していることだ。そして、練習時間が短くなることが部活においてマイナスだと捉えている。しかし、本当にそうなのか。

 ここでひとつ興味深い事例を出そう。

 2006年、高校総体サッカーにおいてそれまで無名だった公立高校が優勝をした。広島県立広島観音高校である。その数年前から全国大会に出場する実力をつけ、ついに全国制覇を成し遂げた。以降も、全国で有数のサッカー強豪校として知られる。

畑喜美夫『子どもが自ら考えて行動する力を引き出す──魔法のサッカーコーチング ボトムアップ理論で自立心を養う』2013年/カンゼン
畑喜美夫『子どもが自ら考えて行動する力を引き出す──魔法のサッカーコーチング ボトムアップ理論で自立心を養う』2013年/カンゼン

 この広島観音は、それなりの進学校としても知られる。戦前は旧制二中として知られ、むかしほどではないが難関大学への進学者も少なくない。それもあって、この躍進は大きな注目を浴びた(※)。

 このとき注目されたのが、練習時間だ。部活は、週に2回。練習テーマとして掲げるのは、「量より質」だ。現在の同校サッカー部のHPでも「主体性を尊重する観音サッカー」を追い求めると謳われているように、生徒たちの自主性が強く重んじられる。

 全国制覇をも成し遂げたこうした方針は、当時サッカー部顧問だった畑喜美夫教諭(現・安芸南高校勤務)によるものだ。指導者による体罰と過度な練習による怪我を強く問題視する畑教諭は、「自主自立の人間育成」を自身のモットーとし、生徒たちの主体性を尊重する。その指導法が「ボトムアップ理論」だ。

 これは上(指導者)から下(選手)へのトップダウンではなく、「下から上へ組織を吸い上げて構築していく」方法論で、もともとは企業や組織におけるマネジメント方法である。そのとき例に出されるのはアップル社であり、これを広島観音サッカー部に取り入れて成功したのである。

 そこでは「生徒の自主性」、言い換えれば「生徒の気持ち」はとても尊重される。実際に畑教諭はこう述べている。

 なぜなら、「ボトムアップ」は、サッカーのテクニックを指導するものではなく、子どもたちや選手の能力を認めてリスペクトする、いわゆる「心」の指導なのです。ですから、子どもが好きで、人を大切にする気持ちさえあれば、誰にでもできる指導法なのです。

 逆に「トップダウン」の指導法は、指導する側自体に、かなりハイレベルの指導ノウハウが必要となります。誰にでもできるというわけにはいかないでしょう。

出典:畑喜美夫『子どもが自ら考えて行動する力を引き出す──魔法のサッカーコーチング ボトムアップ理論で自立心を養う』2013年/カンゼン

 週2回の部活動は、そのなかで考案された。上意下達ではなく、生徒たちに自分たちの頭で考えさせてサッカーをさせる。そのとき指導者に求められるのは「ファシリテーター(調整役)」としての役割だ。生徒たちが練習メニューを考え、指導者は客観的な評価を軸に疑問を投げかける。そうして修正していくのも生徒の役割だ。

 このように、畑教諭の考える「生徒の気持ち」と、金子記者の考える「生徒の気持ち」は、とても対照的である。

※……ただし、日刊スポーツは当時の記事で観音高校を「広島県内屈指の進学校」として紹介しているが、実際は「県内屈指」というほどでない(日刊スポーツ2006年8月8日付「広島観音、左山の2発で総体初制覇!」)。だが、むかしから自由と自主性を重んじる校風であることは間違いない。なお、筆者の母校でもある。

「メシの種」としての部活

 ここまで見てきたように、やはり金子記者の論説はスポーツの専門家としてはかなり問題が多い内容だ。高校野球の専門家なのでサッカーについては明るくないかもしれないが、学習指導要領をも無視したその内容はやはり問題外と言わざるをえない。専門家であるならば、もう少し基礎的な勉強をしたほうがいい。広島観音高校サッカー部のように、部活時間を減らしても実力が落ちないことは、これまでにも指摘されてきたからだ。

 こうした反論をされると、もちろん金子記者に思うところもあるだろう。広島観音のような指導法は、もともと自主性のある生徒たちが集まる学校だから可能だと思うかもしれない。

 たとえば、昨年夏に甲子園に出場した山口県の下関国際高校は、監督が明確に生徒の自主性を否定して物議を醸した。入部時に携帯電話は解約させ、練習時間も朝5時から夜の9時まで、遠征費もアルバイトをさせて捻出させる(『日刊ゲンダイ』「『文武両道あり得ない』下関国際・坂原監督が野球論語る」2017年8月12日)。坂原監督は、荒れ放題だった野球部をこうしたスパルタ教育で改革して甲子園に導いたそうだ。まるで、80年代の大映ドラマ『スクール☆ウォーズ』のような話である。取材経験も多いであろう金子記者の頭のなかには、こうした高校の姿もあるはずだ。

 また、スポーツ新聞にとって部活動が弱体化することは、“メシの種”をなくすことでもある。高校野球や高校サッカーは、彼らにとって紙面を構成する重要な題材だ。教員の働き方改革によって“美味しいネタ”が失われるのを怖れたのかもしれない。

 その不安は理解できなくもないが、その解決策が「授業を減らせ」なのはいくらなんでも思考しなさすぎだ。ふつうに考えれば、畑教諭のように「自主的かつ効率の良い部活動をする」が正解だ。

 高校野球を中心とする日本の過度な部活動は、スポーツ新聞や朝日新聞をはじめとするメディアが煽ってきたところも大きい。もっと言えば、積極的に関与することによって報道機関(ジャーナリズム)としての機能を弱体化させてきた。高校野球や高校総体が灼熱の炎天下で連日続く状況が改善されないのも、スポーツジャーナリズムが機能しにくい構造があるからだ。

 こうしたとき、しばしば「脳筋」──「頭のなかも筋肉でできている」といった揶揄が彼らに向けられるが、そうした蔑視を振り払う努力と勉強を金子記者には期待したい。スポーツや部活は、身体だけでやるものではなく、頭も使ってやるものだからだ。広島観音サッカー部は、それをやったのだ。

ジャーナリスト

まつたにそういちろう/1974年生まれ、広島市出身。専門は文化社会学、社会情報学。映画、音楽、テレビ、ファッション、スポーツ、社会現象、ネットなど、文化やメディアについて執筆。著書に『ギャルと不思議ちゃん論:女の子たちの三十年戦争』(2012年)、『SMAPはなぜ解散したのか』(2017年)、共著に『ポスト〈カワイイ〉の文化社会学』(2017年)、『文化社会学の視座』(2008年)、『どこか〈問題化〉される若者たち』(2008年)など。現在、NHKラジオ第1『Nらじ』にレギュラー出演中。中央大学大学院文学研究科社会情報学専攻博士後期課程単位取得退学。 trickflesh@gmail.com

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