天皇の「ご意向」と憲法の関係──人気の高い今上天皇の生前退位議論が向かう方向とは

2016年1月4日、通常国会開会式における今上天皇(写真:Natsuki Sakai/アフロ)

NHKの“スクープ”

 7月13日、NHK『ニュース7』の“スクープ”で始まった、天皇の「生前退位」報道は、それから3日経った現在も見通しのつかない状況が続いている。この間、さまざまな報道が見られたが、なかでも注目すべきは、やはり宮内庁と官邸の対応だろう。宮内庁の山本信一郎次長は同日中に否定し、菅官房長官も「生前退位の検討はしていない」と明言した。

 とは言え、これらの言葉をどれほど額面どおり受け止めればいいかもわからない。なぜならこの一件には、当然のことながら憲法の問題も強く関係しているからだ。

 今上天皇を中心に、宮内庁、政府、そしてマスコミ──この4者が絡みあったシナリオは今後どこに向かうのか。

「ご意向」を汲めば憲法違反

 まず確認する必要があるのは、日本国憲法に明記された天皇の立場だ。憲法は主権者(国民)による統治権力への命令だが、その第一章に天皇について7条が記されている。そのなかで今回の一件において重要視しなければならないのは、第一条と四条だ。

第一条  天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

(略)

第四条  天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。

出典:e-Gov「日本国憲法」

 これらは天皇の立場を「国民統合の象徴」とし、政治参加を禁止する条文だ。義務教育課程で教わることなので、日本の学校で教育を受けてきた者はほとんど知っているはずだ。

 宮内庁が天皇の「ご意向」を否定するのも、この憲法を重々理解しているからだ(※1)。なぜなら、もし天皇が「生前退位のご意向」を表明すれば、それは憲法違反になるからだ。

 生前退位を可能とするためには、法律である皇室典範の改正が必要となる。憲法第二条に「皇位は(略)国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」とあるように、天皇個人の判断で退位や皇位継承はできない。

 では、皇室典範には退位についてどう書いてあるか。それが以下である。

第四条  天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。

出典:e-Gov「皇室典範」

 これはつまり、「天皇が亡くなったら、すぐに皇太子が天皇になる」という意味だ。しかし、皇室典範を隅から隅まで眺めても、生前退位についての項目はない。明治、大正、昭和の過去三代の天皇がそうであったように、天皇は崩御してはじめて皇位を継承することが前提とされており、生前退位の規定は一切ない。

 規定がないなら生前退位は可能だ──ということには、おそらくならない。これほどまでに重要な事案である以上、法改正あるいは条文の付加といった手続きが必要となる。

 ここで問題となってくるのが、天皇の「ご意向」だ。もし、天皇が生前退位の「ご意向」を持ち、それによって国会で審議を経て皇室典範の改正が議決されるのであれば、それは天皇が政治に強い影響を与えたことを意味する。つまり、先に確認した天皇の政治参加を禁止する憲法第四条に違反してしまうことになる。

 宮内庁が天皇の「ご意向」報道を否定したのは、この憲法違反の可能性を理解しているからだ。たとえ自らの進退に関することであっても、政治に関係する「ご意向」を表明することは、憲法違反なのである。これは宮内庁だけでなく、憲法の知識をある程度有する者にとっては、驚くべき認識ではないだろう。

 天皇は歴史的にはその半数以上が生前退位して上皇(あるいは法皇)になっているが、明治以降の近代においては崩御と退位がひとつになっている。これには一定の機能がある。ひとつが上皇の院政を防ぐためであり、もうひとつが政府などによる天皇の政治利用を防ぐためだ。

 院政については、11~12世紀の白河上皇から後白河上皇の時代について日本史の授業で習ったひとも多いはずだ。天皇の立場を譲位した後、上皇は院庁を開いて政治の実権を握り続けた。現在の皇室典範では上皇の規定そのものがなく、皇室にとどまっても皇族である以上は政治参加はできない。ただし、皇籍離脱をすれば政治参加への道も開かれる可能性がある。そんなことはおそらくありえないが、その可能性を踏まえて譲位後の立場を規定する皇室典範の改正が必要だ。

 もうひとつの天皇の政治利用とは、時の政権などが天皇本人の意志に関係なく政治的な目的で退位させるリスクのことだ。これは今回の事案にも関係してくる。政権側が天皇の存在を快く思わず追い出しにかかるような事態は、可能性の問題として考慮しなければならない。もちろん今回の件がそれに適合する可能性は極めて低いが、将来的にそのような事態が生じうる前提で、規定を設ける必要があるだろう。

宮内庁とマスコミのシナリオ

 ここまで憲法と皇室典範の確認をしてきたが、そこで生じる疑問はやはり報道にある。具体的には、なぜNHKはあのような報道をしたのか、ということだ。これまで見てきたように、天皇がそのような「ご意向」を示すことが憲法違反なのは、NHKの宮内庁担当者も重々承知しているはずだ。

 そのNHKの第一報では、気になる点もある。それが、憲法について触れている以下の箇所だ。

天皇陛下は、「憲法に定められた象徴としての務めを十分に果たせる者が天皇の位にあるべきだ」と考え、今後、年を重ねていくなかで、大きく公務を減らしたり代役を立てたりして天皇の位にとどまることは望まれていないということです。

出典:NHKニュース2016年7月13日「天皇陛下 『生前退位』の意向示される」

 憲法一条の「象徴」や四条・六条・七条にある「国事行為」を強調しながらも、生前退位の「ご意向」が憲法違反であることには一切触れていない。これは非常に不自然だ。

 これは、おそらく宮内庁との同意のうえでNHKが上げた観測気球だと推測される。この報道の直後、宮内庁が即座に「ご意向」を否定したことも、おそらくシナリオに織り込まれているはずだ。

 それによって、タテマエとしてはマスコミ(ここではNHK)が勝手に報道し、一方宮内庁は否定することで憲法違反であることが避けられ、同時に、政府には皇室典範の改正をうながす──そういうシナリオである。

 実際、いまのところそのとおりの状況にある。官邸側では、安倍総理はまだこの件に関して言及しておらず、閣僚でも態度が分かれており、今後内閣でどのような態度を示すかは不透明だ。ただ、菅義偉官房長官が皇族減少のための皇室典範改正チームはあるものの「生前退位」の検討はしていないと明言し(※2)、石破茂地方創生担当大臣が「天皇陛下から直接そのようなご意思が表明されていない段階で、閣僚が軽々に発言することは厳に慎むべきだ」と述べて憲法違反のことをまったく含意していないように(※3)、どうも官邸には寝耳に水だったようだ。

 一方、国民に目を向けると、生前退位に対して肯定的な意見が目立つ。高齢の今上天皇の国事行為を多さを知り、「まるでブラック企業だ」とする意見も見られるほどだ。また、今上天皇は自身のルーツが百済と関係していることを表明したり(※4)、国旗・国歌の強制を望まないという意見を表明したりするなど(※5)、リベラル派からの人気も高い。こうしたひとたちからも、賛同の声が上がっている。

 とは言え、今回の一件を天皇の「ご意向」を重視して進めると、やはり憲法違反となる可能性はかなり高い。「天皇自身が、そう思っているから、法律を改正すべきだ」という事態は、現行の憲法下では決してあってはならない。

人気が高い今上天皇

 以上のことを踏まえ、今後のシナリオで考えられるのは、以下の二つだ。

 ひとつは、国民および国会が、タテマエではあるがあくまでも“自発的に”生前退位の選択肢や退位後の立場を皇室典範に加え、天皇はそれに則ることだ。おそらくそれは、宮内庁が描いたシナリオに乗ることでもあるが。

 その逆に、これまでどおり崩御まで皇位継承はなく、摂政の制度で乗り切るという考え方もある。実際、安保法制を合憲と判断した数少ないひとりであり、安倍政権の支持母体でもある日本会議の主要メンバーでもある憲法学者の百地章氏は、明治時代に作られた皇室典範の理念を重視して生前退位を否定する(※6)。ただ、皇室典範第十六条には、摂政を置く要件として「天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないとき」と明記されており、現状をそう捉えるのは難しい。

 なんにせよ、このふたつのどちらを選ぶにしろ、重視しなければならないのは、日本国民が天皇を「国民統合の象徴」としていることだ。肯定するにしろ否定するにしろ、現行憲法を改正しないかぎりそれは変わらない。よって今後必要となるのは、主権者である国民およびその代表者である国会議員が、その象徴にどうあって欲しいかという議論だろう。

 そのときに気をつけなければならないのは、天皇の「ご意向」は決して尊重してはならないということだ。国会で議決が必要な政治的な議論に、天皇は決しては参加させてはならない。憲法を遵守するなら、天皇の「ご意向」は無視して、たとえタテマエでも“自発的に”議論する必要がある。

 しかし、今回の一件の反応を見ていると、天皇に対して同情的な意見が目立つ。右からも左からも、政治的立場に関係なく発せられている印象だ。それは、人間としては非常に真っ当な感情ではある。82歳の高齢者に大量の仕事をさせることを、良いと感じるひとは少ないだろう。

 ただ、理性的に考えれば、天皇はそもそも基本的人権が剥奪された存在だ。生まれながらに人生は規定されており、選挙権はなく、職業選択や表現の自由は制限されている。昭和天皇による1946年の「人間宣言」によって、天皇が現人神ではなく人間であることは広く認知されたが、それは「象徴」という「基本的人権を有しない人間」として設定し直されたことを意味する。

 そんな昭和天皇が20年間の現人神時代があったのに対し、今上天皇は1989年の即位のときから「(基本的人権を有しない)人間」だ。今回の一件が「ご意向」をめぐるある種の感情的な議論に陥りやすいのは、天皇に対する日本人の認識が変わったという背景もある。

 実際に、NHK放送文化研究所が5年おきに調査している「日本人の意識」調査では、天皇に対する日本人の感情が昭和天皇と今上天皇では大きく変化したことを現している。

 昭和天皇が在位していた1988年には22%だった「好感をもっている」という回答は、2013年には減少傾向にはあるが35%の高さだ。また「尊敬の念をもっている」も88年の28%から34%にまで上がっている。対して、「特に何とも感じていない=無感情」は47%から28%にまで減った。

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 つまり、88年は昭和天皇に肯定的だった日本人は全体の約50%に過ぎなかったのに対し、13年には約70%が今上天皇に肯定的だった。

 これを踏まえても、現状はおそらく天皇に親しみを覚え尊敬するからこそ、国民は「お年寄りに優しく」といった感情で「生前退位」を支持する傾向にある。

 しかし、やはりそうした感情だけで決着すべきことではないことも憲法上は自明であり、今後はどこまで有益な議論に進むかが注目される。同時に、衆参ともに改憲勢力が三分の二に達したばかりの安倍政権が、どれほど憲法について言及するかも注目されるだろう。