創られちゃう伝統――「夫婦別姓」最高裁判決を受けて生じる無邪気な言説

1896年の最高裁判所(提供:MeijiShowa.com/アフロ)

竹田恒泰さんのツイート

 12月16日、夫婦別姓を認めない民法の規定について、最高裁が合憲の判断を下し、原告の訴えが却下されました。女性差別の撤廃を求める国連の勧告などもあり、かねてから注目されていたこの裁判ですが、15人の裁判官のうち女性3人全員と男性2人の5人が「違憲」としたように、その判断は大きく一致しませんでした。

また、判決文には「この種の制度の在り方は、国会で論ぜられ、判断されるべき事柄にほかならない」と記されているように、法改正をする立法府(国会)の仕事ではないか、とも指摘されています。これを受け、自民党法務部会や公明党・山口代表などから議論すべきだという意見も生じており、もしかしたら今後さらなる動きがあるかもしれません。

 さて、こうした判決にはさまざまな方が意見表明をしておりますが、昨日から注目されているのは、明治天皇の玄孫(やしゃご)として知られる竹田恒泰さんです。ツイッターで以下のような発言をして、波紋を呼んでいます。

Twitter - 竹田恒泰
Twitter - 竹田恒泰
Twitter - 竹田恒泰
Twitter - 竹田恒泰

 いくつか主張をなされていますが、ここで注視するのは4番目「日本の伝統的家族制度が崩壊することにつながる」です。この竹田さんの主張は、本当に正しいのでしょうか?

夫婦同姓は伝統?

 さっさと結論を言えば、この竹田さんの認識は歴史学的にはかなり怪しいものです。

判決が出た翌日、各紙は大きくこの裁判を扱いましたが、そのなかで家族社会学が専門の山田昌弘さん(中央大学教授)が以下のような解説を寄せていました。

 明治時代の半ばまで、日本は夫婦別姓の国でした。

 源頼朝の妻は北条政子と呼ばれ、足利義政の妻は日野富子のままでした。結婚で夫婦の一方が姓を変え、同じ姓にする現在の制度は、明治政府が西洋化政策の一環として、法律で強制したものです。

 戸籍制度ができるまでは、名前じたい桂小五郎が木戸孝允になったりと、もっと自由でのびのびしたものでした。

 「伝統を守れ」というなら夫婦別姓に戻せという意見が出てしかるべきでしょう。

 夫婦別姓に反対する理由として、家族が壊れるという人もいます。しかし、日本と同様、儒教の影響を受けた中国や韓国はずっと別姓の原則でやってきましたが、そのために家族が壊れている、仲が悪いなど、ということは聞いたことがありません。

 夫婦別姓への反対は結局、理屈ではなく感情なのでしょう。その底にあるのは、この社会の同調圧力です。多数と同じでない人は変だ、けしからん、皆と同じにしろという無言の圧力です。

出典:朝日新聞デジタル2015年12月17付「社会の同調圧力の象徴 山田昌弘さん(中央大学教授)」

 山田さんのこの話は特段意外なものではなく、ある程度日本の歴史に明るいひとであれば既知の知識です。近代化は、明治元年から完全に始まったわけではなく、段階的に時間をかけて進んでいきました。近代の国民国家としての制度が概ねまとまったのは、19世紀後半(明治20~30年代)です。現在にまで繋がる夫婦同姓が施行されるのは、明治民法の始まりでもある1898年(明治31年)のこと。そこには、以下のようにあります。

第七百八十八絛

妻ハ婚姻ニ因リテ夫ノ家ニ入ル

入夫及ヒ壻養子ハ妻ノ家ニ入ル

出典:明治民法(1898年)

 よく知られているように、夫婦同姓とは家長相続を基礎とした近代家父長制を支えるものとして欧米に倣って整備されたもので、決して日本の伝統ではありませんでした。そもそも明治以前は、家父長制は武士階級(家族も含めると人口の10%)においてのみ見られたものに過ぎず、豪農や豪商などでは母系相続(姉家督)や末子相続などが広く見られていました(※1)。つまり、江戸時代の家族制度は多様だったのです(このあたりは、過去にも「同性パートナーシップ条例から考える『結婚』の未来」という記事で触れたので、そちらもご参照ください)。

 ことほどさように、竹田恒泰さんの「夫婦同姓は伝統である」という認識は、歴史的には誤りです。

『創られた伝統』

 それにしても、明治時代に明治天皇の名の下に行われた社会政策について、その明治天皇の玄孫を標榜している竹田さんが存じないのは、どうしてなのでしょうか。謎はつきません。

エリック・ボブズボウム、テレンス・レンジャー編『創られた伝統』。
エリック・ボブズボウム、テレンス・レンジャー編『創られた伝統』。

 そこでひとつ補助線を引いておくことにします。取り上げるのは、エリック・ボブズボウムとテレンス・レンジャーが編んだ『創られた伝統』(1983=1992年/紀伊國屋書店)という本です。その内容はタイトルそのまま。実は伝統ではないのに、近代になって伝統と見なされるようになった文化や社会制度について、研究・分析した専門書です。具体的には、ヨーロッパやインド、アフリカにおいての事例が7章で取り上げられています。専門書ではありますが、読み物として非常に面白い一冊です。

 そのなかでとても印象に残ったのは、ヒュー・トレヴァー=ローパーの「伝統の捏造――スコットランド高地の伝統」という論文です。スコットランドと言うと、タータンチェックのスカートを履いた男性がバグパイプを吹く民族的な文化が日本でもよく知られています。しかしあれこそが、近代の産物でした。

そもそも17世紀後半まで、スコットランドの高地に住むひとは「アイルランドからあふれた野蛮人」として認識されており、それ以降にタータンチェック柄のキルトを自らの「伝統」として位置づけ、普及させていったのです。

Inazo Nitobe
Inazo Nitobe "Bushido:The Soul of Japan"

日本にもこうした「創られた伝統」は多く存在します。いまでも一般に広く知られているところでは、10年ほど前には藤原正彦『国家の品格』でもブームとなった「武士道」が挙げられるでしょう。この言葉が日本で広く伝わったのは、20世紀以降のこと。きっかけは、1900年(明治33年)に新渡戸稲造が英語で発表した” Bushido: The Soul of Japan”でした。日本では、1908年に『武士道』のタイトルで出版されベストセラーとなります。後に新渡戸の肖像は2007年まで5000円紙幣にも使われるようになりますが、それもこれもこの『武士道』があったからこそです。

しかし、日本文化研究者のバジル・ホール・チェンバレンが早い段階で指摘したように、「武士道」という言葉は1900年以前のいかなる辞書にも載っていませんでした(※2)。それでも新渡戸が、(キリスト教の影響をふんだんに盛り込んで)「武士道」をでっち上げたのは、日本を見下す西洋諸国に対しての強い反発があったからです。英語で書かれたのも、アメリカやイギリスの読者を想定していたためです。チェンバレンはそんな「武士道」を「新宗教のイノベーション」とまで断じますが、実際に日露戦争後に日本で出版され大ヒットしたように、このコンセプトは日本人にも大受けしたのです。なんだか昨今の「クールジャパン」という言葉を連想してしまいますね。

伝統は無邪気に“創られちゃう”

 話を最初に戻しますが、竹田恒泰さんの意見はかなり恣意的なものですが、そこに強い作為性を感じるものでもありません。ツイッターの文脈を見るかぎり、どうやら本当に知らないのでしょう。そこにあるのは、自分が望む社会制度を「伝統」だと信じたい願望です。伝統は「捏造される」というよりも、竹田さんのように無邪気な姿勢から「創られちゃう」わけです。

必要なことは、このような無邪気な言説によって「創られちゃう伝統」をひとつずつ整理し、そしてより多くのひとに望まれる日本社会の有り様を講じ、議論のための道筋を整備ずることでしょう。今回の夫婦の姓についての議論では、われわれの選択肢は大きく分けると以下3つになります。

  • 1:夫婦同姓制(現行制度)
  • 2:夫婦別姓制(韓国や中国と同様)
  • 3:選択的夫婦別姓(同姓・別姓どっちもOK)

 冒頭で触れたように、自公連立与党も議論する道に進みそうです。それは上記の3を踏まえてのものです。

安倍政権下で社会における「女性活躍」を推進する自民党では、現在は要職に就く女性議員が何人かいます。稲田朋美政調会長や高市早苗総務相、野田聖子議員などです。このなかでは稲田議員と高市議員が現行の夫婦同姓制(1)を支持し、野田議員は選択的夫婦別姓(3)を支持しています。このように、自民党の女性議員でも立場が異なるのです。

今後も国会において、冷静かつ有益な議論を望みたいものです。

※1……上野千鶴子『近代家族の成立と終焉』(1994年/岩波書店)。

※2……Michele M. Mason ”Empowering the Would-be Warrior: Bushido and the Gendered Bodies of the Japanese Nation” =ミッシェル・メイソン「日本国家における武士道とジェンダー化された身体――サムライ志願者への檄文」 サビーネ・フリューシュトゥック、アン・ウォルソール編 『日本人の「男らしさ」――サムライからオタクまで「男性性」の変遷を追う』(2013年/明石書店)所収。

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