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あいつもこいつも狙っている中国映画マーケット――『SBMドラえもん』が大ヒットも、出遅れた日本

松谷創一郎ジャーナリスト
中国本土版『STAND BY ME ドラえもん』チラシ

依然として活発な日中文化交流

昨年公開された日本のCGアニメ映画『STAND BY ME ドラえもん』が、先月末から中国で大ヒットとなっているようです。

『アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン』を押しのけて堂々映画ランキングのトップに立ち、5月28日の公開から11日間で興行収入93億円と、早くも日本の興行収入(83.8億円)を上回りました。最終的にどこまで伸びるかはわかりませんが、今年の中国映画産業ランキングのトップ10圏内に入る大ヒットは確実な情勢です。

しかし、中国における日本映画の公開は、約3年ぶりのことでした。2012年9月の尖閣諸島・国有化により日中関係が悪化し、それ以降は日本映画の公開はされていなかったのです。それ以前は、映画における日中関係は比較的良好なものでした。2006年に公開された高倉健主演『単騎、千里を走る。』のように、日中合作もさほど珍しくありません。昨年末に中華圏で公開された日中韓合作『太平輪(The Crossing)』にも、長澤まさみと金城武が出演しています。政治関係が冷えきっていても、民間での文化交流は依然として活発なのです。

今回の『SBM ドラえもん』のヒットも、その下地には80年代から長らくマンガが中国で大人気だったことがあります(当初それは海賊版でしたが)。

右肩上がりの中国映画市場

そんな中国の映画マーケットは、ここ数年で大きく拡大しています。2012年に中国の映画市場は日本を抜き世界第2位になりましたが、2014年の総興行収入は296億元(約5624億円)と 前年比36%の成長を遂げました。日本の総興行収入は、この15年ほど約2000億円で推移しているので、ダブルスコアどころかトリプルスコアに近い差となっています。

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こうした右肩上がりの成長の大きな要因として挙げられるのが、ハリウッド映画です。国内のマーケットが頭打ちとなっているハリウッドは、以前にも増して国外を意識しています。そのときもっとも重要なマーケットが中国です。

その象徴的な例として挙げられるのは、昨年の『トランスフォーマー ロストエイジ』でしょう。香港や重慶を舞台にトランスフォーマーが暴れまくる人気アクションシリーズですが、その特徴は、中国を舞台とし、不自然に中国人俳優や中国の商品が出てくるところでした。なぜなら、中国の企業も多く出資している米中合作だったからです。

結果として、その戦略は大成功に終わりました。最終的な全興行収入は11億404万ドル(1325億円)、そのうち30.6%にあたる3億2000万ドル(384億円)を中国で稼ぎました。それは北米を7500万ドルも上回る額だったのです。

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いまやハリウッドにとって、中国市場はなくてはならない存在となっているのです。

ハリウッドと韓国映画界の中国進出

こうしたハリウッドの中国シフトは、各スタジオだけで成し遂げられたとは言えません。そこには、アメリカ政府による市場開放圧力があったのです。

よく知られているように、中国では現在も政府が映画をはじめとする各マスメディアを統制しています。日本映画が3年間公開されなかったように、外国映画の公開も簡単ではありません。フランスや韓国のように、文化保護政策として外国映画の公開を制限している国もありますが、一党独裁体制の中国においてそれは言論統制として機能しています。

しかしアメリカは、2007年に映画輸入の緩和を求めて世界貿易機関(WTO)に中国を提訴しました。この訴えが2009年に認められ、2012年に習近平副主席(当時)とジョー・バイデン副大統領の会談によって、年間20本だったアメリカ映画の輸入枠は34本にまで広がりました。『トランスフォーマー』の大ヒットは、こうした通商交渉のうえに成立したものです。

これによって、中国市場は現在ハリウッド映画に大きく揺さぶられています。昨年の中国の映画ランキングは、上位20作のうち9本をハリウッド映画が占めたほどです。そのほとんどは、中国映画では見られないふんだんにCGを使ったアクション映画やSF映画です。それは、70年代後半から80年代にかけて、日本人がスピルバーグとルーカスのSFX(特撮)やに魅了されていったたことを思い起こさせます。

黄色印はハリウッド映画
黄色印はハリウッド映画

右肩上がりの中国市場を狙っているのは、アメリカだけではありません。なかでも積極的なのは韓国です。昨年夏、韓国と中国の両政府は映画共同製作協定を締結しました。これは、中韓合作であれば外国映画ではなく中国映画として扱われ、輸入制限を受けないという協定です。

それ以前から韓国映画界は中国への進出に積極的で、実際に成果をあげてきました。たとえば、韓国の最大手の映画会社・CJエンタテインメントが製作した2013年公開の『最後の晩餐』もそのひとつです。この作品は、中台の俳優を使って韓国人のスタッフが創った中国語の恋愛映画ですが、中国での興行収入は1.92億元(約30.3億円=当時)にもなりました。

また、今年1月に公開された『20歳よ、もう一度』は、昨年公開された韓国映画『怪しい彼女』のリメイクで、これも韓国のスタッフが製作に携わっています。これは、3.64億元(約72.9億円)の大ヒットとなりました。

韓国のこうした実績を見ると、『SBM ドラえもん』はたしかに大ヒットしましたが、日本はかなり出遅れたという印象をぬぐえません。民間の交流はあっても、政府間の関係悪化によって文化面の通商交渉は進む気配を見せません。たとえばマンガにおいては、10年ほど前から年間2タイトルほどしか許されていません。その一方で海賊版が出回っており、日本の出版社はずいぶん前から頭を悩ませています。

日本政府がもしクールジャパン政策をより進展させたいのであれば、現状の日中関係は即座の改善が必要となります。とくに中国(や韓国)にとって、今年は日本から解放されてから70周年の記念すべき年です。安倍総理がかなり本腰を入れないかぎり、文化輸出の道は遠いように思えます。

ソフト・パワーの種痘効果

周知のように、中国はいまだに言論統制が敷かれており、国民が土地の所有を認められていない社会主義国です。しかし、そこにハリウッド映画を通じてアメリカ的価値観が流入している様子は、はたから見ているとなんとも奇妙に思えます。なぜなら、アメリカが映画で一貫して伝え続けているのは、“民主主義”や“自由”という価値観だからです。

アメリカの国際政治学者のジョセフ・S・ナイは、2000年代前半に「ソフト・パワー」という概念を提示しました。これは政治力や軍事力ではない文化力のことを指します。ナイは自著のなかで、「ハード・パワー」との違いを明示しながらソフト・パワーを以下のように定義します。

ソフト・パワーとは自国が望む結果を他国も望むようにする力であり、他国を無理やり従わせるのではなく、味方につける力

出典:ジョセフ・S・ナイ『ソフト・パワー――21世紀国際政治を制する見えざる力』p.26/2004年/日本経済新聞社

ジョセフ・S・ナイ『ソフト・パワー――21世紀国際政治を制する見えざる力』p30
ジョセフ・S・ナイ『ソフト・パワー――21世紀国際政治を制する見えざる力』p30

ソフト・パワーとはつまり、良く言えば自国を好きなってもらう魅力、悪く言えば洗脳力のことです。ハリウッド映画のみならず、軍事力や経済力に頼らない広報文化外交(パブリック・ディプロマシー)における概念です。なお、日本のクールジャパン政策にも、その背景にソフト・パワー概念の影響が色濃く見えます。

軍事力や経済力と異なり、ソフト・パワーの特徴は、影響が即時に現れない点にあります。青い芝生にプール付きの白い家に住み、自家用車で私服のまま学校に行く――そういったイメージ(価値観)が、ゆっくりと刷り込まれていくのです。メディア研究ではこれを種痘効果、あるいは予防接種効果(inoculation effect)と言います。徐々に文化的な免疫をつけていくのです。

アメリカがソフト・パワーを使って世界中に伝えてきたのは、常に“民主主義”や“自由”(さらに加えるならば“豊かさ”)でした。ハリウッド映画では、それらは当たり前のように描かれています。そして、いまの中国人民が、映画館でそれを楽しんでいるのです。

そう、中国政府はハリウッド映画の怖さを知らないのです――。

17年オープンの中国版ハリウッド

一方、中国も映画産業にはとても積極的です。2017年には、世界最大級の映画スタジオ・青島東方影都が完成予定です。これは、総工費500億元(約8170億円=当時)をかけて、青島(チンタオ)の376万平米(東京ドーム80個)の敷地に、映画スタジオ20個をはじめ、リゾートホテルやショッピングモール、アミューズメントパークを併設した文化観光都市を造るというもの。一昨年の起工式には、レオナルド・ディカプリオやニコール・キッドマンを招くなど、狙っているのは完全に「中国版ハリウッド」です。オープンと同時に青島国際映画祭も始まる予定で、東アジアの映画拠点が完成しそうな気配です。

これを手がけているのは、中国の大手不動産会社・ワンダグループです。この会社は、2012年にアメリカ第2位の映画館チェーン・AMCを買収しており、ハリウッドにも積極的に進出しています。さらに、聞こえてくるのはハリウッドの映画スタジオであるライオンズゲートやMGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)をワンダグループが買収するという噂です(※)。まだ実現には至っていませんが、1989年にソニーがコロンビア映画を、翌90年に松下電器(現・パナソニック)がユニバーサルを買収したように、十分にありうる話でしょう。

ただし、あのときの日本と中国が決定的に異なるのは、政治体制です。繰り返すまでもなく、中国のもっとも大きな不安定要因は共産党の一党独裁体制にあります。すでに格差の拡大によって人民の不満は高まっていますが、現状はなんとかそれを好調な経済成長よって収めている状況です。数年内に現状の高度経済成長は収束するとの見方もあり、これが10年続くとは思えません。

中国の政治体制が揺らいだとき、ハリウッド映画による“種痘”が中国人民にどのように働くのか、今後のポイントはそこにあります。

※……「ハリウッド、巨大市場になびく-検閲懸念も中国から出資募る」Bloomberg・2014年12月3日「中国企業、次の買収目標はハリウッド」新華ニュース・2015年1月8日

ジャーナリスト

まつたにそういちろう/1974年生まれ、広島市出身。専門は文化社会学、社会情報学。映画、音楽、テレビ、ファッション、スポーツ、社会現象、ネットなど、文化やメディアについて執筆。著書に『ギャルと不思議ちゃん論:女の子たちの三十年戦争』(2012年)、『SMAPはなぜ解散したのか』(2017年)、共著に『ポスト〈カワイイ〉の文化社会学』(2017年)、『文化社会学の視座』(2008年)、『どこか〈問題化〉される若者たち』(2008年)など。現在、NHKラジオ第1『Nらじ』にレギュラー出演中。中央大学大学院文学研究科社会情報学専攻博士後期課程単位取得退学。 trickflesh@gmail.com

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