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リトアニアに渡った2015年NBAドラフト7位のPG

林壮一ノンフィクションライター
ユタ・ジャズ時代のムディエイ(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 1996年3月5日、ザイール(現コンゴ共和国)、キンサシャで生まれたエマニュエル・ムディエイは、まだ乳飲み子だった頃に父親を失っている。2001年、母親がムディエイの兄と後のNBA選手の手を引き、アメリカに移住。祖国の戦火から逃れるためだった。

写真:代表撮影/USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

 米国に移り住むまでは主にフランス語を喋っていたが、ムディエイ兄弟は米国での生活に馴染む。多くのクラスメイトと同様にバスケットボールを愛し、テキサス州ダラスで注目選手となった。

 複数の大学からスカウトされるものの、ムディエイ弟は高校卒業後に中国のプロリーグで1シーズンのみプレーし、翌2015年、全体7位でデンバー・ナゲッツにコールされNBA選手となる。

写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

 以後、ナゲッツで3シーズン、ニューヨーク・ニックスで2シーズン、ユタ・ジャズで1シーズン、プレー。2015年から2020年までの間に、300試合以上コートに立ったが、昨シーズンは受け入れ先が決まらなかった。

 NBAでの復活を目指すムディエイは、今月催されたサマーリーグに、ポートランド・トレイルブレイザーズの一員として参加したが、契約には至らなかった。

写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

 そんなムディエイに手を差し伸べたのが、リトアニアのプロリーグに属するジャルギリスである。このほど、1年契約を結んだ。

写真:代表撮影/USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

 苦労人であるムディエイは、リトアニアのバスケットボール普及に貢献するに違いない。彼が異国の地でどんな爪痕を残すかに注目だ。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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