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世界ヘビー級チャンピオンと11年ぶりの再会~15年後の『マイノリティーの拳』~

林壮一ノンフィクションライター
ロッキーが駆け上がった階段で、三女を抱え上げるティム・ウィザスプーン 撮影:著者

 1999年秋、私はティム・ウィザスプーンをインタビューする為にフィラデルフィアに飛んだ。5カ月前の試合でティムは7ラウンド終了時に棄権を申し入れ、TKO負けを食らった。41歳となり、5連敗した彼は引退するに違いないと思っていた。

13人の孫を持つグランパとなった元世界ヘビー級チャンピオン  撮影:著者
13人の孫を持つグランパとなった元世界ヘビー級チャンピオン  撮影:著者

 ティムは1984年3月9日、WBCヘビー級タイトル空位決定戦においてグレッグ・ペイジを判定で下してタイトルを獲得。1986年1月17日にはトニー・タッブスからWBAのベルトを奪った。WBAタイトルの初防衛戦は敵地、ウェンブレ―での闘いとなったが、英国の人気選手であるフランク・ブルーノを第11ラウンドでKOして、その実力を知らしめた。

 しかし、契約していたプロモーターであるドン・キングにファイトマネーを搾取され続け、ボクシングへの情熱を失っていく。惰性でリングに上がり、王座から転落。後にキングとは法廷で争った。

 キングから支払われた100万ドル強の慰謝料及び和解金を手にするものの、直ぐに使い果たし、元チャンピオンは40歳を超えてもリングに上がっていた。

44歳で世界9位まで復活した実力者だったティム・ウィザスプーン 撮影:著者
44歳で世界9位まで復活した実力者だったティム・ウィザスプーン 撮影:著者

 5連敗したティムの体が心配だった。この時、元世界ヘビー級チャンピオンはアパートを追い出され、5人の子供と一緒に母親の家に居候していた。

 試合開催地やキャンプ地で何度かインタビューしていたが、彼の故郷を共に歩くのは初めてだった。私は、ティムの家族と「ロッキーの階段」に向かった。どうしてもそこで彼を撮影したかったのだ。

1999年の1枚  撮影:著者
1999年の1枚  撮影:著者

 フィラデルフィア美術館前の72段ある階段を上り、街を見下ろしながら、ティムは語った。

 「フィクションはいいよな、気楽で。ボクサーの本当の苦しみなど、何も分かっちゃいない」

 普段は笑顔を絶やさない、彼の淋し気な表情に息を飲んだ。

 その日、ティムはこんな言葉も吐いた。

 「俺は奴隷に過ぎなかったのさ。搾取されて搾取されて、一体誰のために闘ったのか分からないぜ」

 ティムの言葉は私の耳にいつまでも残った。彼の思いを書き留めたいーーーいや、物書きとなった以上、ティム・ウィザスプーンを書かねばならない。私は全身でそう感じた。そして、数年後に刊行したのが『マイノリティーの拳』である。

 一方で、家族を心から気遣うパパであるティムの姿が微笑ましかった。月曜から金曜まで、必ず自分がハンドルを握って子供たちを学校に送り、そして迎えていた。

 階段の上で、パパそっくりの顔をした三女を抱き上げてほしいと頼むと、チャンピオンは笑いながら娘を担いだ。それが、頭の1枚である。

左からティム・ジュニア(長男)、孫のティム3世、10歳の娘シャナイヤ、ティム・ウィザスプーン 撮影:著者
左からティム・ジュニア(長男)、孫のティム3世、10歳の娘シャナイヤ、ティム・ウィザスプーン 撮影:著者

 2000年に入って間もなく再起したティムは、それから3年余り現役を続け、ラストファイトの半年前には、IBFランキングで9位にまで"復活"した。

 当時、契約していたプロモーター、ダン・グーセンに「この試合に勝てば、次は世界タイトルに挑戦させる」と言われながらも1ラウンドのスパーリングもこなさずにリングに上がり、5回KO負けでチャンスを失う。

ジュニアの家で寛ぐウィザスプーン一家  撮影:著者
ジュニアの家で寛ぐウィザスプーン一家  撮影:著者

 今回、私はティムに会うためにフィラデルフィアを訪れた。11年ぶりの再会だった。5人の子供たちはそれぞれ成長し、元チャンピオンは13人もの孫に囲まれていた。私と会っていない間に6人目の子供が誕生し、その10歳の末っ子と暮らしていた。

 長男のティム・ジュニアはプロボクサーとなった後、10勝5敗で引退し、現在はTim Witherspoon Boxing & Fitness Gymのオーナーとしてビジネスを軌道に乗せている。

 あの時階段で抱え上げられた三女も二児の母となっていた。彼女はテンプル大学のジャーナリズム学部ブロードキャスティング学科を卒業しており、「インタビュー」について、話が弾んだ。

ジムの経営者となった36歳のティム・ジュニア  撮影:著者 
ジムの経営者となった36歳のティム・ジュニア  撮影:著者 

 ティムは息子、娘、孫たちに柔らかな眼差しを送りながら、しみじみと話した。

 「引退間際の5ラウンドKO負けは、仕方なかったと思っている。グーセンにはトレーニングキャンプを用意すると言われたが、あの頃小学生だった子供たちを放り出す訳にいかなかった。学校への送迎、食事の支度、洗濯、掃除、宿題の手伝い…父親としての仕事を重視した。他に選択肢は無かったし、後悔も無い」

 当時も今も、家族に愛されるティムの姿は変わらない。

 「子供たち、孫たちにいつも言い聞かせているのは教育の大切さだ。俺はフットボールの推薦で大学に入ったのに中退してしまった。学がいかなる意味を持つか分かっていなかったんだ。本当にバカだった。

 教養こそが我々ブラックを守ってくれるのにな。子供や孫には俺と同じ思いをさせたくないんだ。だから、学業こそお前たちの最優先課題だと伝えている」

 私もほぼ同じセリフを息子と娘に話している、と告げるとティムは笑った。

 「小学4年生の末っ子は、オンラインで学ばせている。俺が小中学生だった頃のフィリーには、ブラックに何を教えても無駄だと考える教師が少なくなかった。そんなタイプには、丸無視されたもんだよ。オンラインなら生徒を無視できないだろう。今はそんな教師も減ったしさ……。

 常に娘の横に座って、俺も授業を受けているんだぜ。今更だけど、知識が増えていくことが楽しい。だから宿題も一緒にやっているよ」

このところネットでの会話が多かったが、直接会うとやはり話が弾む    撮影:Marvin Woods
このところネットでの会話が多かったが、直接会うとやはり話が弾む    撮影:Marvin Woods

 ティムの自宅に、彼が現役時代に獲得したWBC、WBAのベルトは無い。

 「リングで勝利者インタビューを受けた折に渡されたような気もするんだが、実際にはもらっていないんだよ。複製すら受け取っていない。まぁ、汚い人間たちに囲まれていたから。でも、そんな物はどうだっていい。家族の幸せの方が大事さ。

 現役のファイターは一試合に人生を懸ける。勝利は尊いし、かつ重い。でも、人生の闘いはずっとずっと続くんだ。終わりなんて無いんだよ」

 深い言葉だ。元世界ヘビー級チャンピオンからまた一つ、人生のレッスンを受けた。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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