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アルゼンチン人コーチが語る「内田篤人さんには、1986年W杯優勝のビラルド監督を目指してほしい!」

林壮一ノンフィクションライター
引退スピーチで「また会いましょう」と結んだ鹿島の背番号2(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

 実兄のピチは、あのディエゴ・マラドーナと共にワールドユース東京大会(1979年)で世界一となった右ウイング。息子は、栃木SC所属のエスクデロ競飛王。

 自身は、元アルゼンチンユース代表&ビーチサッカーアルゼンチン代表であるセルヒオ・エスクデロ。

 昨年末から、川越市のフットサル場で自らスクールを始め、この程、埼玉県のジュニアユース、トリコロールFCのコーチとなった彼が、内田篤人の引退について語った。

撮影:著者
撮影:著者

 内田篤人さんの引退は残念ですね。昨日のガンバ大阪戦を見る限り、まだやれるように思います。でも、ベストなプレーはもう出来ないと判断し、引退という結論に至ったのでしょう。右膝に幾重にも巻かれたテーピングが印象的でした。

 彼と長友佑都選手は、サイドバック、あるいはウイングバックとして、日本サッカー界に大きく貢献しましたね。

 

 内田さんのキャリアを見れば分かるように、シャルケのレギュラーとして世界の第一線で活躍した選手です。彼のスピードとクロス、オーバーラップ、そして戦う姿勢はヨーロッパで充分通用しました。もし、僕の国、アルゼンチンを選んでいたとしても、リバープレートやボカ・ジュニアーズといったトップクラブでレギュラーになって、リベルタドーレス杯で活躍するレベルでしたね。

 大怪我をしてしまったことが、本当に悔やまれます。

 選手としてあれだけの経験をした人ですから、僕としては、指導者になって日本サッカー界をリードしてほしいです。ドイツ人よりも体格的に恵まれていない日本人が、どうやってブンデスリーガで生き残ったのか。日本人が世界と渡り合うには、いかなる戦いをすればいいのか。育成には何が必要なのか。

 内田さんはそれを肌で理解している数少ない人間です。現役選手じゃなくなっても、彼は日本サッカー界の宝物ですよ。

 内田さんは、進学校である静岡県立清水東高校を卒業していますね。サッカー部のレギュラーが、東大をはじめとした一流大学に進む名門校なんですよね。内田さんの人間性の土台は、そういう素晴らしい土壌で培われた部分も大きいんじゃないでしょうか。

 僕も10年間、高校サッカーの監督をしていましたが、サッカーだけやっていればいいと、勉強を捨ててしまう子を沢山目にしました。未だに「サッカーだけやってればいいんだ」と主張する高校も少なくないように感じます。でも「サッカーに集中しているから勉強はしない」なんていう考えは、言い訳です。

 僕の国の例を挙げると、1986年にマラドーナを上手く使ってワールドカップ2度目の優勝を成し遂げたカルロス・ビラルド監督は、医師でもあるんです。どれだけ優秀な頭脳を持っているか、サッカーも学業も類稀な努力をしたかお分かり頂けるでしょう。

 内田さんも、文武両道を体現した人ですから、これからコーチングを勉強して、唯一無二の指導者になってほしいです。知性を武器に、ビラルドのような大きな成功を目指してもらいたいですね。

 引退は淋しいですが、次の人生でも本当に頑張ってほしい。心から応援しています!

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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