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ハノーファーへの移籍が決定した室屋成に、明大時代の恩師から熱きメッセージ

林壮一ノンフィクションライター
FC東京では今日(8/15)がラストゲームとなる(写真:森田直樹/アフロスポーツ)

 日本代表の右サイドバックである室屋成がハノーファーの一員となる。

 「ついに決まった」と相好を崩すのは、室屋の大学時代の恩師、神川明彦だ。

 明治大学サッカー部、グルージャ盛岡(J3)を経て、現在、明治大学付属明治中・高で指揮を執りながら、鎌倉インターナショナルFCのアドバイザーも務める神川に、室屋との日々を振り返ってもらった。

 神川が選手たちに常々伝えている言葉は、以下のものである。

1)「自ら考え、行動し、掴み取る」。

 使わない能力は発達しない。いつも与えられている者は、考えるという能力が鍛えられない。主体的に考え、行動し、何かを掴み取ることが自信となり、次なる目標への第一歩になる。

2)「練習に取り組む姿勢が、そのまま試合のパフォーマンスにつながる」。

 練習は嘘をつかない。

3)「普段いい加減な生活を送っている人間が、試合の苦しい場面で走り、身体を張ることはできない。常日頃から規律ある生活を送ることが最低条件」。

 厳しい環境下で懸命に走り、自ら追い込む選手たちは、良い準備をしている証である。

 神川がボランチだった長友佑都の特性を見抜き、サイドバックにコンバートした話は良く知られている。

 「ご存知のように長友は、大学1年次はなかなか芽が出なかったんです。1年生の最後の方で頭角を現し始めたんですが、2年生になる前の春休みにヘルニアを患ってしまった。その闘病・リハビリの間に自分自身を見詰め、『なぜ俺は明大でサッカーをやっているのだろう?』『元々の自分の目標は何だろう?』という原点に立ち返ったのでしょう。約半年間で、サッカーに取り組む姿勢、顔つき、体つきが、見違えるように変わりました。

 復帰した2年次の8月の試合で、日本代表である今日の長友の原型とでも呼ぶべきプレーを見せました。長友が懸命にリハビリに取り組んでいる姿は目にしていましたが、特別に何か声を掛けたりはしていません。辛く厳しいリハビリを乗り越えるなかで、一皮剥けたんです。当時、明治大では右のサイドバックで使っていました」

写真:神川氏提供
写真:神川氏提供

 入学当初から、その長友に勝るとも劣らないメンタルの強さを見せていたのが室屋だ。室屋は神川の教えを良く理解した。

 「入学時、とんでも無い選手が入って来たな、という印象でした。モノが違いましたし、プロ選手になるという強い意志が漲っていました。そもそも高校時代にJからオファーを受けていたのに、サイドバックとしてのキャリアを積もうということで明治に入学した選手です。

 小さなことは全く気にしないし、動じない、大物の雰囲気を漂わせていました。目標に対して真っ直ぐな男です。ただ入学当初は、相手選手のシャツを引っ張って止める癖や、熱くなるとファールしてしまうところが見受けられましたから、そこはかなり厳しく指摘しました。それと、鼻が高くならないように折る作業もしましたね(笑)。

 1年次の6月にアミノバイタルカップ決勝の慶応大学戦で、武藤嘉紀をマークしたんです。3-0で勝利したのですが、武藤を完封しました。僕自身も衝撃を受けましたが、慶応の監督も脱帽していましたよ。

 個人練習もとことんやる男です。2014年9月にU21日本代表として出場したイラク戦で、室屋のクリアミスから失点してしまったことがありました。帰国してから、明大のグラウンドで同じような局面を想定して、毎日クリア練習を繰り返していました。あれ以来、室屋がクリアを失敗するシーンは見ていません。本当に努力家ですね」

 神川が送り出した明大卒業のプロ選手たちは、長友、和泉竜司(鹿島アントラーズ)、室屋、そして元日本代表の山田大記、丸山祐市と、総じて学業成績も優秀だった。

 「僕が思うにプロで活躍できる選手というのは、いい意味でプライドも高いです。サッカーしか出来ない自分が許せないから、学業もきちんとした成績をとっていないと納得しないんですね。ピッチでも極限状態になった時には、人間の姿が出ます。

 室屋もきちんと勉強していましたよ。正直な話、彼の場合は大学で4年間やらせるべきではないと僕は考えていました。長友のように、在学中にJリーガーになった方がいいと。ですから、2年生になる前にそれを伝えました。『3年生までで大学サッカーは完結しなさい。サッカー推薦で入学しているから問題が生じるかもしれないが、それはこちらで解決する。学校にも説明する責任があるので、3年生の終わりまでに可能な限り単位を取っておきなさい』と言ったんです」

 室屋は神川との約束を守り、最終学年は明大に在籍しながらFC東京の選手となる。

 「彼の4年次、僕はグルージャ盛岡の監督になっていたので、描いたプランを遂行してくれたのは僕の次の監督たちです。それで、グルージャ盛岡時代に室屋のいるFC東京U23と西が丘で戦ったんですよ。2016年の6月です。あの日の室屋は大活躍でした。

 彼はプロになって直ぐに右足の小指を骨折してしまったんです。その復帰戦が、我々とのゲームでした。『神川さんにいいところを見せてやる!』って周囲に話していて、気持ちが入っていたようですね。まさしく”別格”としか表現できないパフォーマンスでした。そのプレーを買われて、リオ五輪代表の座を勝ち取ったんです」

 神川の目には、室屋と長友が重なる。

 「本人は『自分は長友2世ではない。室屋成だ』と言っていますが、室屋も早く世界に飛び出し、もっともっと上を目指してほしいという思いがありました。明大サッカー部全体がそう望んでいました。だからこそ、大学サッカーを途中で止めさせてプロに送り込んだのです。

 室屋自身も大学2年の頃から『ドイツに行きたい』と話し、確か第2外国語もドイツ語を履修していましたね。ハノーファーは酒井宏樹選手が在籍していましたから、日本人サッカー選手に対してポジティブな思いがあるのではないかと。それが、原口元気選手の獲得にも繋がったのでしょう。日本人を受け入れた経験のあるクラブですから、室屋の海外への第一歩としては良かったと思います。しっかり活躍して、ハノーファーを1部に昇格させ、ゆくゆくは長谷部誠選手のように長くプレーしてほしいですね。また、チャンピオンズリーグに出場できるようなビッグチームから声がかかるような選手に育ってほしいです」

 神川は室屋の武器の一つに、怪我をしない点を挙げた。

 「2015年の彼は、"超"多忙でした。全日本学生選抜、ユニバーシアード代表、U21手倉森ジャパン代表、FC東京特別指定、そして明治大学の通常の活動がありました。その多忙さが、右足の小指の付け根の骨折を引き起こしたのだと思います。FC東京のキャンプ初日でした。

 でも、それ以外、室屋が長期離脱したことは無いです。メンタルも長友と遜色ないほどの強さですが、鍛え抜いた強靭な体も持っています。まずはドイツ語を完璧にして、新天地での戦いに期待します」

 室屋にとって、今日がFC東京でのラストゲームとなる。最後に何を見せるか。ドイツでいかに戦っていくか。師と共に見守りたい。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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