21年前の今日行われたバンタム級最高試合

1999年のベストバウトに選ばれたタピアvs.アヤラ(写真:ロイター/アフロ)

 2019年11月7日に催された井上尚弥vs.ノニト・ドネア戦が、昨年の「The Fight of the Year」に選ばれたことは記憶に新しい。今尚、熱きファイトの余韻が残っている方も多いだろう。

https://news.yahoo.co.jp/byline/soichihayashisr/20191108-00150019/

https://news.yahoo.co.jp/byline/soichihayashisr/20191110-00150037/

 バンタム級の世界タイトルマッチが年間最高試合を獲得するのは、1999年6月26日に行われたジョニー・タピアvs.ポーリー・アヤラ戦以来だ。

 WBAバンタム級タイトルマッチ、ジョニー・タピアvs.ポーリー・アヤラ戦もまた、ファンの胸にいつまでも残る死闘であった。私が取材したボクシングマッチで、5本の指に入る名ファイトだ。

 挑戦者のアヤラは当時29歳。この前年に指名挑戦者として日本を訪れ、辰吉丈一郎が保持していたWBCタイトルに挑んだ。偶然のバッティングによる負傷で試合続行不可能となり、第6ラウンドまでのスコアで敗者となった。アヤラは"バッティングを仕掛けた"として、第6ラウンドに2ポイントの減点を告げられている。不本意だった筈だが、言い訳がましいことは一切口にせず、「辰吉は素晴らしいファイターだった。心から尊敬する」と述べた。

 アヤラにとってタピア戦は、2度目の世界戦であった。この時点での戦績は、27勝1敗。

 一方、アヤラを迎え撃ったWBAバンタム級チャンピオンのタピアは、当時32歳。2月13日、自身のバースディで発した言葉は「32歳まで生きるとは思わなかった。不思議な感覚だよ」。

 32歳とは、タピアの最愛の母がレイプされ、スクリュードライバーで滅多刺しにされて命を奪われた年齢だ。

 8歳にして母を失ったタピアは、苦しみから逃れるためにドラッグを使用した。https://news.yahoo.co.jp/byline/soichihayashisr/20200527-00179404/

 そして、母を死に追いやった犯人への憎悪を武器に、ボクサーとして人生を築き上げる。アヤラ戦時の戦績は、46勝無敗2引き分け。

2017年International Boxing Hall Of Fame入りした際のパンフレットより 田中繊大氏提供
2017年International Boxing Hall Of Fame入りした際のパンフレットより 田中繊大氏提供

 後に判明したことだが、実はタピアはアヤラと闘える状態になかった。アヤラ戦から2週間前のことだ。タピアがミット打ちをしていると、ジムの電話が鳴った。普段はテレサ夫人が応対するが、この時、他の電話に出ていた。ベルが鳴り続けた為、タピア本人が受話器を取る。

 電話の相手は、アルバカーキ警察のロールフ刑事だった。名前を聞いた瞬間、タピアは胃に穴が開いたように感じ、激しい動悸に見舞われる。

 「母に関することですか?」

 母親の死後24年、犯人は見つからないままだった。タピアが訊くと、ロールフ刑事は応じた。

 「あなたのお母様を殺害した男が分かったんです。リチャード・エスピノサという名です」

 

 「そいつは今、どこにいるんです?」

 「亡くなりました。6カ月前に、自動車事故で……」

 タピアは受話器を握る自分の右手が、冷たい汗をかいていることを感じる。

 「…死んだんですか?」

 「はい」

 「それは、確かですか?」

 「ええ」

 タピアは言葉を失う。全身が得体のしれない邪悪なものに支配されるかのようだった。

 タピアはトレーニングを中断し、周囲に「独りにしてくれ」と告げる。その後アヤラ戦まで、まったく練習に身が入らなかった。全てを投げ出したくなった。ほとんど誰とも口を利かず、ろくにトレーニングもしないままリングに上がる。

 本来ならアヤラ戦をキャンセルしたかったが、PPVでの放送が決まっていた為、それは許されなかった。WBAバンタム級タイトルマッチをプロモートするTOP RANKの担当者は「ギャングと繋がっているお前の人生らしいな」とでも言いたげな対応しか見せなかった。

 哀しみ、やるせなさ、孤独感、疎外感、そして怒りを胸に、タピアは何とか試合に集中しようとする。そして、自身にとって最強の敵であるポーリー・アヤラと対峙したのだ。

 この試合はファーストラウンドから試合終了まで両者共にペースを落とすことなく、至近距離で激しく打ち合った。世界タイトル3階級制覇を成し遂げたニカラグアの貴公子、アレクシス・アルゲリョもリングサイドで戦況を見詰めていた。試合後にアルゲリョが「間違いなく、バンタム級史上最高のファイトだ」と語ったように、2人のファイターの実力は互角であり、非常にハイレベルで美しく、ボクシングの醍醐味を満喫させてくれる闘いを見せた。

 私の目には僅差でタピアの勝ちと映ったが、114-115、113-116、113-116でアヤラが王座に就く。

 無冠となったタピアは、自らの生命を絶つことばかりを考えるようになった。

 「もう、生きられない」「生きる意味がない」「これ以上、苦しみたくない」。そう漏らした。

 気持ちを奮い立たせ、タピアは2000年10月7日にアヤラとのリターンマッチのリングに上がる。中継したSHOW TIMEのアナウンサー、解説者がオンエア中に「絶対にタピアの勝利だ」と唱えた展開だったが、またしても判定負けを喫する。

タピアとバレラは同じ年に殿堂入りした 田中繊大氏提供
タピアとバレラは同じ年に殿堂入りした 田中繊大氏提供

 そして2002年11月2日。メキシコの英雄、マルコ・アントニオ・バレラとの試合では顕著な衰微を見せた。

 試合前、タピアは「バレラは大学で法律を学んだような育ちなんだろう? もちろん、ドラッグなんかとは無縁だよな。素敵な家族に囲まれて育って、ボクシングなんかやる必要ないじゃないか」と話した。

 その言葉が切ない。

 タピアはドラッグを断ち切れず、45歳で生涯を閉じた。

 2020年5月27日、バレラはSNSで「今日は、ジョニー・タピアの命日だ。彼は本当の友だった」と記している。

 今、タピアは天国で、母と微笑み合っているのだろうかーーーーー。ジョニー・タピアを忘れない。