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命日に:8年前に永眠したスター王者の「狂った人生」

林壮一ノンフィクションライター
タピアの母親が亡くなったのは、1975年5月28日。息子と一日違いの命日である…(写真:ロイター/アフロ)

 "Iron(鉄の男)"マイク・タイソン、トーマス・"Hitman(殺し屋)"・ハーンズ、"Manos de Piedra(石の拳)"ロベルト・デュランなど、名チャンピオンは自身を象徴するニックネームを持つ。

 彼が自ら名付けたのは「Mi Vida Loca(狂った俺の人生)」だった。WBO/IBFスーパーフライ、WBA/WBOバンタム、IBFフェザーのベルトを獲得したジョニー・タピア。今日は、彼の命日である。享年45。

 タピアはアマチュア時代からプロに転向して引退するまで、試合前に必ずSNICKERSの棒チョコレートを食べた。8歳にして死別した母、ヴァージニアとの最後の会話の際に、SNICKERSを手渡されたからだ。

 1975年5月24日、土曜日。32歳だったタピアの母親は、日没後、踊りに出掛ける。ヒスパニックハーレムの2ベッドルームに、タピア親子、両親、きょうだい、甥、姪など20名近くで暮らすヴァージニアは、週末に踊ることを息抜きとしていた。シングルマザーとして貧困に喘ぐ生活に、ストレスが溜まっていたのだ。

 この日に限って、「ママ、行かないで!」と愚図る息子に「直ぐに帰って来るから」と、チョコレートを与え、ヴァージニアは外出した。それが、8歳のタピアと母の別れとなった。

 次の日になっても、母は帰って来なかった。翌々日の月曜日、タピアの祖父は新聞を手に蒼ざめながら、祖母と共に病院へ向かう。新聞には暴行事件の被害者女性の衣服や貴金属の写真が載っており、どう見てもそれはヴァージニアのものだった。

 「僕も連れて行って!」とタピアは頼むが、祖父に却下される。ヴァージニアはしばし昏睡状態にあったが、やがて息を引き取る。

 母親はレイプされた後、スクリュードライバーで滅多刺しにされていた。病院に運ばれはしたものの、手の施しようが無い状態であった。刺された回数は26回とも、27回とも言われている。いずれにしても凄惨な殺され方だった。

 タピアは8歳という年齢で、現実と向かい合わねばならなかった。彼を預かった祖父は、「泣くなジョニー。泣いたところでママは戻らない。男は感情を見せるな」と躾けた。タピアが泣き止まないでいると、ビンタが飛んできた。

 タピアはこの祖父よりボクシングの手解きを受け、才能を開花させるが、ふとした瞬間に母の死が蘇り、そのトラウマに押し潰されるのだった。

 そんなタピアを癒してくれるものは、コカインだった。ボクシング界を代表する名チャンピオンとなってからも、薬物乱用で度々逮捕され、ブランクを作った。

 タピアが伴侶を得たのは1994年。以来、妻のテレサがマネージャーとなって公私ともにチャンピオンを支える。3人の息子にも恵まれ、幸せそうな父の顔も見せていた。しかし、どうしても母親の死がフラッシュバックしてしまうのだ。何度もドラッグリハビリセンターに通ったが、克服することはかなわず、人生を終えた。

 2012年5月27日、テレサ夫人が自宅廊下で倒れているタピアを発見。その時点でタピアの身体は、まだ温かかった。救急車で病院に運ばれるが、意識が戻ることはなかった。

 死体解剖の結果、死因は高血圧が原因の心不全であると判明した。テレサは、医師から薬物過剰摂取が起因しているだろうとも聞かされた。母の命日と一日違いというのは、何かを意味しているように感じる……。

 振り返れば「Mi Vida Loca(狂った俺の人生)」と語っていたタピアは、己の最期をある程度予想していたようにも思える。晩年は、この文字を自身の腹にTATTOOとして刻んでいた。

 

 2004年6月、国際ボクシング殿堂の取材を終えた私は、ニューヨーク州の田舎町、シラキューズの空港でタピア夫妻と顔を合わせた。何故かタピアは私に、「ヘイ、ボス」と声を掛けて来た。前々から彼をじっくり書きたいと思っていた私は、次の試合前に3日間密着させてほしい、と頼んだ。タピアは2つ返事でOKし、テレサ夫人が彼のスケジュールを管理するエージェントの連絡先を記してくれた。

 その後、2年以上に渡って交渉した。アポイントメントを入れようと頑張ったが、実現しかかる度に、タピアがコカイン使用で塀の中やリハビリセンターに入ってしまい、キャンセルされた。10回キャンセルされた折、私は彼へのインタビューを断念した。

 狂わされた人生を送らねばならなかったタピアの冥福を、改めて祈りたい。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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