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WBA/IBF/WBOバンタム級統一戦延期。井上尚弥をプロモートするTOP RANK社とは?

林壮一ノンフィクションライター
撮影:山口裕朗

 新型コロナウィルスの影響で、4月25日にラスベガスで予定されていたWBA/IBFチャンピオン井上尚弥(26)と、WBO王者、ジョンリール・カシメロ(31)との統一戦は延期となった。3月16日、井上が契約するTOP RANK社は、3月、4月に組んだすべての興行を延期するとアナウンス。まだ、開催日が決まる状態にない。

 ご存知のように、これを受けた井上は「世界的な状況を踏まえれば今は延期の決定を受けざるを得ません。中止ではなく延期という形になったのでカシメロを倒す準備を続けます」と、心境を述べている。

撮影:山口裕朗
撮影:山口裕朗

 井上は昨年11月7日、WBSSバンタム級決勝でノニト・ドネアを判定で下した直後にTOP RANKと契約したことを発表。本格的に全米進出するにあたって、同社はこれ以上ないビジネスパートナーである。そのTOP RANKとは、一体どんなプロモート会社なのか?

 

撮影:山口裕朗
撮影:山口裕朗

数々のビッグマッチを手掛けたボブ・アラム

 同社の創立者であり、CEOのボブ・アラムは、御年88歳。超名門・ハーバード大ロースクール出身の弁護士だったアラムが、ボクシング界でその頭脳を使うようになったのは1966年のことだ。

 以後、モハメド・アリvs.アニー・テレル、モハメド・アリvs.ケン・ノートン、モハメド・アリvs.レオン・スピンクス第1戦、第2戦、“マーベラス”・マービン・ハグラー、シュガー・レイ・レナード、トーマス・ハーンズ、ロベルト・デュランの中量級4強サバイバル、45歳のジョージ・フォアマンが世界ヘビー級王座返り咲いた一戦、デビューから独自路線を歩むまでのオスカー・デラホーヤ、フロイド・メイウェザー・ジュニア、マニー・パッキャオらを手掛けた。

トーマス・ハーンズ 撮影:著者
トーマス・ハーンズ 撮影:著者

 1972年にはケーブルテレビ局HBOにボクシング番組を立ち上げさせ、その9年後にはスポーツ総合チャンネルESPNでボクシングシリーズを生み出し、1996年にはヒスパニック向けTV局、ユニビジョンでスペイン語でのボクシング中継を開始した。

 50余年の間に22カ国に亘って9000以上ものボクシングマッチをプロモートしているTOP RANKは、村田諒太のマッチメイクも手掛けるなか、満を持して井上尚弥とのサインに至ったのだ。

撮影:山口裕朗
撮影:山口裕朗
撮影:山口裕朗
撮影:山口裕朗

目に適わないと世界チャンプでも日陰に

 とはいえ、最近はパッキャオとTOP RANKがTV放映権料の取り分を巡って対立しているのも事実である。また、中量級が熱かった時代にトーマス・ハーンズを2度下し、ベルトを奪った元世界3階級制覇王者のアイラン・バークレーは「俺は、奴隷に過ぎなかった。世界タイトルマッチで勝ったって稼げない。傷が癒えないうちに次の試合が決まる。ダメージが抜けきらないうちにリングに上がって、どんなパフォーマンスができるんだ?」とこぼしている。

アイラン・バークレー 撮影:著者
アイラン・バークレー 撮影:著者

 実力のある選手だからこそ、アラムはプロモート契約を結ぶが、売り出したい選手と、そうでない選手とはハッキリと線を引く。

 チャンピオンであっても日陰を歩かねばならなかったバークレーは、WBCミドル級タイトルを奪取した一戦で、左目の網膜剥離に見舞われた。しかし、十分な休息時間は与えられず、9か月後の初防衛戦で対峙したのは“石の拳”と謳われたパナマ人、ロベルト・デュランだった。

 1989年2月24日、バークレーはデュランと一進一退の打ち合いを見せる。第8ラウンドにバークレーの左フックが石の拳を捉え半回転させるが、フィニッシュには持ち込めない。逆に11ラウンドに3度右ストレートを浴び、ダウン。バークレーは1-2の判定負けでタイトルを失う。

 自分の選手が網膜剥離となったなら、存分に治療の時間を与え、安全な挑戦者を選ぶこともアラムになら出来た筈である。が、敢えて短命で終わるようなマッチメイクをした理由を訊ねると、大プロモーターは言ったものだ。

 「バークレーじゃ客は呼べない。ファンはハーンズやデュランを見たいんだ」

 その回答は、当時の私の胸を抉った。世界チャンプであっても、「咬ませ犬」あるいは「斬られ役」となるファイターの存在を見せ付けられたからである。

軽量級でも「稼いだ」マイケル・カルバハル

マイケル・カルバハル 撮影:著者
マイケル・カルバハル 撮影:著者

 バークレーvs.デュランの前座では、ソウル五輪銀メダリストのライトフライ級ファイターがデビューを飾った。21歳のメキシコ系アメリカン、マイケル・カルバハルである。五輪直後にTOP RANKと契約。デビュー戦の相手は1勝(1KO)0敗だったが、両者共に後に世界チャンピオンとなった。

 「いかに高度な技量を持ち合わせていても、軽量級では稼げない」という定説を破った男として、カルバハルは記憶されている。およそ10年半のプロ生活で53戦し、49勝(33KO)4敗。4試合を除いてTOP RANKの契約選手として現役生活を続けた。そして、世界チャンピオンのままリングに別れを告げた。

 52歳となった彼に、TOP RANKと契約した井上尚弥について訊ねてみたくなった。そこで私は、米国アリゾナ州フィニックスに飛ぶことを決めた(後編に続く)。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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