「コービーが俺を駆り立ててくれる」NBA復帰を目指すジョアキム・ノア
ジョアキム・ノアは、フロリダ大のスター選手としてドラフト1巡目9位で指名されてプロに入り、2007年のNBAデビューから9シーズンをシカゴ・ブルズでプレーした。2016年に故郷であるニューヨーク・ニックスに移籍するも、左膝の怪我に泣き、「ニックス史上最悪の買い物」「災害」等の非難を受ける。4年で7200万ドルという高年俸が災いしたのだ。2018年10月13日、ノアはニックスから解雇されてしまう。
父親は全仏オープンを制したテニスプレーヤー、祖父はカメルーン出身でフランスリーグを舞台に存在感を示したサッカー選手。異なるスポーツを選びながら、ノア家は3代に亘ってそれぞれが第一線で活躍したアスリートファミリーである。
ニックスを追われたものの、ノアは解雇から2カ月弱の12月4日にメンフィス・グリズリーズと契約し、渡辺雄太のチームメイトとなる。42ゲームに出場し、平均得点7.1、平均リバウンド5.7、平均アシスト2.1をマークし、復調の兆しを見せた。今季開幕前の夏には複数のチームが関心を示し、ロスアンジェルス・クリッパーズ入団が囁かれていた。
が、2メートル11センチの体を支えるアキレス腱の手術をオフに受けたことで、「フィジカル面に問題あり」とされ浪人生活を余儀なくされている。
「俺のゴールはNBAに戻ることだ」と公言しながら、調整中だ。
ノアは言う。
「アキレス腱の手術から4カ月、俺は毎日、必死で努力している。完璧な状態でNBAに戻る」
また、こうも語る。
「俺たちは一人の偉大な男の死を悼んでいる。コービーのことを考えると、よりハードな練習をしなければならないという気持ちになるよ」
2010年、私は頭角を表したばかりのノアをブルズの控室でインタビューしている。この時、彼は父のアドバイスについて話した。
「アスリートの成功の鍵は、自分を信じて努力を止めないことだぞって言われた。誰に何を言われても、ひたすら前を向いてプレーして来た自負はある。
親父は色々、嫌な思いもしたらしい。でも、俺がアメリカやフランスで差別を味わったことは無い。いつも心をオープンにしていなさい、というのが両親の教えだった。俺には様々な国の血が流れている(母親は元ミススウェーデン)でしょ。そのうえ、幼い頃から色んな国に行ったから、異国の人ときちんとした関係を作ることの重要性を学んだ。異文化に身を置くことは、自分を成長させたね」
シングルスで4大大会を制した2人目の黒人テニスプレーヤーであった父、ヤニックは肌の色に纏わる差別を乗り越えている。ヤニックは、「アフリカでの自分はホワイト、フランスでの自分はブラックなんだ」と発言したことがある。
ノア親子は、どこかモハメド・アリに通じるものがあり、私は注目して来た。コービーの死に直面し、己を奮い立たせているノアがNBAにカムバックする日を待ちたい。