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「コービーが俺を駆り立ててくれる」NBA復帰を目指すジョアキム・ノア

林壮一ノンフィクションライター
昨年3月20日、126-125で自チームを勝利に導いたノア(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 ジョアキム・ノアは、フロリダ大のスター選手としてドラフト1巡目9位で指名されてプロに入り、2007年のNBAデビューから9シーズンをシカゴ・ブルズでプレーした。2016年に故郷であるニューヨーク・ニックスに移籍するも、左膝の怪我に泣き、「ニックス史上最悪の買い物」「災害」等の非難を受ける。4年で7200万ドルという高年俸が災いしたのだ。2018年10月13日、ノアはニックスから解雇されてしまう。

 父親は全仏オープンを制したテニスプレーヤー、祖父はカメルーン出身でフランスリーグを舞台に存在感を示したサッカー選手。異なるスポーツを選びながら、ノア家は3代に亘ってそれぞれが第一線で活躍したアスリートファミリーである。

 ニックスを追われたものの、ノアは解雇から2カ月弱の12月4日にメンフィス・グリズリーズと契約し、渡辺雄太のチームメイトとなる。42ゲームに出場し、平均得点7.1、平均リバウンド5.7、平均アシスト2.1をマークし、復調の兆しを見せた。今季開幕前の夏には複数のチームが関心を示し、ロスアンジェルス・クリッパーズ入団が囁かれていた。

 が、2メートル11センチの体を支えるアキレス腱の手術をオフに受けたことで、「フィジカル面に問題あり」とされ浪人生活を余儀なくされている。

 「俺のゴールはNBAに戻ることだ」と公言しながら、調整中だ。

 ノアは言う。

 「アキレス腱の手術から4カ月、俺は毎日、必死で努力している。完璧な状態でNBAに戻る」

 また、こうも語る。

 「俺たちは一人の偉大な男の死を悼んでいる。コービーのことを考えると、よりハードな練習をしなければならないという気持ちになるよ」

 2010年、私は頭角を表したばかりのノアをブルズの控室でインタビューしている。この時、彼は父のアドバイスについて話した。

 「アスリートの成功の鍵は、自分を信じて努力を止めないことだぞって言われた。誰に何を言われても、ひたすら前を向いてプレーして来た自負はある。

 親父は色々、嫌な思いもしたらしい。でも、俺がアメリカやフランスで差別を味わったことは無い。いつも心をオープンにしていなさい、というのが両親の教えだった。俺には様々な国の血が流れている(母親は元ミススウェーデン)でしょ。そのうえ、幼い頃から色んな国に行ったから、異国の人ときちんとした関係を作ることの重要性を学んだ。異文化に身を置くことは、自分を成長させたね」

 シングルスで4大大会を制した2人目の黒人テニスプレーヤーであった父、ヤニックは肌の色に纏わる差別を乗り越えている。ヤニックは、「アフリカでの自分はホワイト、フランスでの自分はブラックなんだ」と発言したことがある。

 ノア親子は、どこかモハメド・アリに通じるものがあり、私は注目して来た。コービーの死に直面し、己を奮い立たせているノアがNBAにカムバックする日を待ちたい。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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