Yahoo!ニュース

ゴロフキンは敗れたが、村田諒太の「夢は広がった」

林壮一ノンフィクションライター
写真:山口裕朗

 9月15日に行われたWBA/WBCミドル級タイトルマッチは、王者ゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)が、挑戦者、サウル・“カネロ”・アルバレス(メキシコ)に0-2の判定負けを喫し、王座から転落した。

 ご存知のように、両者の対戦は一年ぶり。前回は3名のジャッジが3様に採点し、ドローに終わっている。その後アルバレスにはドーピング使用が発覚し、ペナルティーが下された。にもかかわらず、リターンマッチは全てが挑戦者有利で進められた。

 会場となったラスベガスは、カネロのホームであった。また、ネバダ州アスレチックコミッションが発表したファイトマネーも、アルバレスの500万ドルに対し、ゴロフキンが400万ドル。チャンピオンが挑戦者よりも稼げないという理不尽なものとなった。さらに同ファイトは、終始「Canelo vs. GGG2」と記された。ボクシング界の常識では「チャンピオンvs.挑戦者」となる。本来なら、GGG(ゴロフキンの愛称)vs. Canelo(アルバレスの通称)とすべきであった。

 いかに実力者であっても、カザフスタン国籍のゴロフキンは、米国においてなかなか人気を得られない。接戦となればベルトを失うだろう―――アルバレスのプロモーターであるオスカー・デラホーヤがパーネル・ウィティカーからWBCウエルター級タイトルを奪い、4階級を制した時のように―――と予想していたが、その通りの結果となった。因みに、ウィティカーvs.デラホーヤ戦もラスベガスで行われている。

 ゴロフキンが勝利した場合は、村田諒太が彼に挑む青写真が描かれていた。村田自身も「最強の男、ゴロフキンとやりたい。ドーピングをするような選手と戦いたくはない」と話していた。

 ゴロフキンvs.村田戦が消え、私は残念な気持ちで公開練習に足を運んだが、村田は溌溂としていた。10月20日の防衛戦(vs.2位、ロブ・ブラント/米国)を控えたWBAミドル級正規王者は語った。

得意の右に磨きをかける村田 写真:山口裕朗
得意の右に磨きをかける村田 写真:山口裕朗

 「確かにゴロフキン戦が現実味を帯びていましたが、逆にこれで夢が広がりました。自分が2段階、3段階成長しなければ、カネロには辿り着けない。今、凄く、ポジティブな気持ちです」

 

 いい笑顔だった。

 ゴロフキンvs.アルバレス戦直後の公開練習では、3名のパートナーを相手にそれぞれ2ラウンドずつスパーリングをこなした。右ストレートと右フックを使い分け、パートナーをぐらつかせた。

 この日の3、4ラウンド目のパートナーを務めたスティーブ・マルティネス(18勝13KO4敗)は、言った。

 「右フック、食らっちゃった。ストレートもそうだけど、村田の右は重い。それとね、特筆すべきは壁のように強い身体だよ。接近戦になった時にpushしても、ビクともしない」

 確かに村田の体は、初防衛戦時よりも締っている。Tシャツ姿でいても、胸と肩の筋肉の盛り上がり方が顕著だ。

~夢が広がった~

 32歳の現役アスリートで、このセリフを吐ける人間は、稀少であろう。自身の伸びを感じながら確固たる自信を持ち、それを裏付ける努力を重ねていなければ出てこない言葉だ。

 村田が保持するWBAミドル級のベルトは、彼のアイドルだったフェリックス・TITO・トリニダードが腰に巻いていた物だ。

 「それはそうですし、感慨深くはあるのですが、トリニダーほどの実績がないのに、彼と同じとはおこがましくて言えないですよ」(村田)

―――が、村田本人が語るように、2段階、3段階とステップアップしていけば…そして、カネロに辿り着けば……。日本ボクシング界も夢が広がる。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

林壮一の最近の記事