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世界最強だった男 マイク・タイソンを葬った男 #12 参謀の言葉

林壮一ノンフィクションライター
ルイスの潜在能力はスチュワードでも引き出せなかったか…(写真:ロイター/アフロ)

 思えばエマニュエル・スチュワードこそ、レノックス・ルイスを奈落の底に突き落とし、そして再生させた人であった。プロボクサーあるルイスを、最も近くから見詰めてきたのは、このトレーナーだった。

 タイソン戦を前にしたルイスの戦績は、42戦39勝(30KO) 2敗1引き分けというものだ。2敗はいずれもノックアウト負けである。先にも触れたが、プロ生活初黒星がついたのは1994年9月、WBCタイトル4度目の防衛戦においてで、挑戦者はオリバー・マコールだった。

 この時、マコールのチーフセコンドを務めていたのが、現在ルイスの最も心強い味方となっているスチュワードである。ルイスの初黒星について訊ねると、スチュワードは述懐した。

 「ボクシングセンスという面でいえば、ルイスとマコールでは比較にならなかった。でも当時のルイスは右に頼り過ぎていたから、戦い方次第で金星を挙げられると思ったね。パワーは申し分なかったけれど、大振りが目立っていたし、バランスも悪かった。重心が定まらないから、フラついてしまうんだ。右だけは喰らわないように、サイドステップを踏みながらコンパクトにパンチを当てていく作戦を立てたよ」

 マコールは、スチュワードの指示通り、サイドに細かくステップしてはジャブをヒットした。体格でもリーチでも優っているのはルイスであるのに、チャンピオンのジャブはなかなか当たらない。ディフェンスはバックステップとクリンチだけで、チャレンジャーのパンチを殺し切れない。

 第2ラウンド開始早々、マコールの右ショートがルイスの顎を抉り、チャンピオンは腰から崩れ落ちる。立ち上がりはしたが、足元のおぼつかないルイスを見たレフェリーは、試合終了を宣言した。

 

 スチュワードの指導はマコールの実力を最大限に引き出し、マコールもまたリング生活でこれ以上ないパフォーマンスを演じた。その一方で、当時のルイスを知る業界人たちは、「彼には、ボクシングに向かう純粋な姿勢がなかった」「周囲をイエスマンばかりで固めているので、自分を律することができなかった」と口を揃える。マコール戦でのルイスは相手を見下し、気を抜いた部分があったのだ。

 敗北後、ルイスは自分に足りないものを補おうと敵のコーナーにいたスチュワードに教えを請う。王座返り咲きを目指して、二人三脚での作業が始まった。

 「まず取り掛かったのは、バランスの改善だね。ボクサーにとって最も大事なものとはバランスだ。正しいボディバランスがあって初めて、テクニックを習得できる。私は、徹底的にバランスを直したよ。その後、右ストレートに左フック、左アッパーを混ぜたコンビネーションを身に付けさせた。右のワンパンチでノックアウトするスタイルでは限界があったからね。レノックスはヘビー級のなかでも恵まれた躰だし、身体能力が高い。それにパンチ力もあるから、かなり完成度の高いチャンピオンとして生まれ変われるだろうと感じた。実際にそうだったよ。とても教え甲斐のある選手だった」

 ルイスはスチュワードの指導により、バランスを矯正し、試合運びを覚え、技術にも磨きをかけた。しかし、ルイスがどんなに見事なスパーリングを見せても、私はルイスのハートを信じ切ることができなかった。

 「ルイスは、精神面の弱さを克服できたのでしょうか?」 

 私が訊ねるとスチュワードは明確な回答を避けた。

 

 「マコール戦から、7年になるんだな。月日が経つのは本当に速い…タイソンには必ず勝つよ」

 名トレーナーはラストステージを前に、しみじみと語った。言葉を変えて再度訊ねてみたが、はぐらかされた。

 この日、スチュワードは私に部屋でくつろいでいけ、と言ってくれたが、会話の最中に引っ切り無しに電話が掛かって来た。小一時間の間に20本は超えただろうかCBS、ESPN、アッパーカットマガジン、リングスポーツ、ストレート・ジャブ・ドットコム…。それらは全て、ルイスvsタイソン戦を取材するメディアからであり、二人の闘いの注目度を物語っていた。リングサイド2400ドルという高値のチケットも、発売開始から数時間で完売した。

 翌日ルイスは、一日前の2人とは別のパートナーを相手に6ラウンドのスパーリングをこなした。同じように背の低い、フックを武器としたファイターだった。多少疲れが残っているのか、ルイスは前日ほどシャープな動きではなかったが、左ジャプを忘れることはなかった。離れた位置からのジャブ、接近してのジャブを巧みに使い分け、機を見ては右ストレートをヒットした。

 スチュワードの言葉通り、ルイスは進歩しているのかもしれなかった。精神面の充実が成せる技とも思えた。私が5年間見て来たなかで間違いなく最高の動きをしていた。彼がトップヘビーの一人に数えられてから10年。初めて世界王者となってから9年が経過している。36歳という 年齢にして、金期を迎えようとしているのか。

 「見ての通り、コンディションは上々さ。試合が無事に行われることが、本当に嬉しいよ」

 トレーニング終了後、身支度を整えながら世界ヘビー級王者は話した。

  「ロス五輪を控えてスパーリングをした頃のタイソンは、それは素晴らしいファイターだった。とはいえ、今はもう別人。恵まれた才能があったのに、ヤツは己を錆つかせてしまった。周囲の人間も悪かったんだろうし、自分も弱かったんだろう。世界王者っていったって、その前に我々は一社会人なんだ。生きていくうえでは、世の中のルールを守らなきゃならない。それができないってことは、ボクサーとしても末期的だ。自制心の弱さは、必ずファイティングスタイルに現れるからな」

 ルイスは、美しい英語で快活に喋った。

 「でも、タイソンの知名度が抜群なのは事実。だからこそ、この試合を望んだ。いくら衰えたといっても、現役でいてくれるんだから有り難いよ。オレのゴールは、地球上で最高のヘビー級ファイターだと認められることだから、ヤツとの試合は必要不可欠だ」

 挑戦者は、ハワイ州マウイ島をキャンプ地に選び「自分の目的はルイスを殺すことだ。助骨や顎をへし折るくらいじゃ、満足できない」といった発言を繰り返していた。

 チャンピオンはそんな報道を耳にしながら、突き放すように話した。

「子供だねぇ。そんなことをほざいていられるのも、今だけだぜ」

ルイス、そしてスタッフが身に付けているシャツやジャケットには、胸に「Memphis 05」という刺繍が施されていた。その意味を訊ねると「ノックアウト予告さ」と、微笑んだ。

 左太腿を噛まれたことで、タイソンに対する私怨とも呼べる感情が芽生えたのだとしたら、それはプラスに運ぶに違いない。この状態からして、ルイスは防衛を果たすだろう。が、問われるのは勝ち方である。 ホリフィールド戦のように不元全燃焼のまま防衛を果たすのか、あるいはゴロタ戦やラクマンとの第2戦のように、相手を定膚無きまでに叩きのめして自らの力を誇示するのか。タイソン戦は、レノックス・ルイスを見続けて来た私にとっても「最終戦」という意味合いが含まれていた。

(つづく)

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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