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エンダムvs村田戦で蘇った統一世界タイトルマッチ

林壮一ノンフィクションライター
バスタオルで性器を隠し、全裸で秤に乗らなければ147pにならなかったデラホーヤ(写真:ロイター/アフロ)

記者席で見詰めていて「勝った」と感じたファイターが負けにされる。会場で応援したファンも、TV観戦した方も、どうしても納得できない判定というものが、ボクシング界には存する。

私にとっては、マービン・ハグラーvsシュガーレイ・レナード、鬼塚勝也vsタノムサク・シスボーベー、ジョージ・フォアマンvsシャノン・ブリッグス、パーネル・ウィティカーvsオスカー・デラホーヤらが当て嵌まる。

デラホーヤvsフェリックス・トリニダード戦も、試合直後はデラホーヤが勝ったように思えた。が、様々な要素から検証すると、”そういう判定もあり得る”と納得した。エンダム戦の村田のファイトは、1999年9月18日のデラホーヤと似ている部分がある。

そこで、当時の文章を再録する。

『Number』481号より

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タイトル『100グラムの慢心』

第5ラウンドに始まったブーイングは、ラウンドが進むごとに激しさを増していた。当初は、パンチ交換の少ない試合に向けられていた観客のフラストレーションだったが、今は、ゴールデンボーイに対する怒りにも似た感情へと変わっている。バックスタンドからは、「打ち合わないお前は、憶病者(チキン)だ!」と、鶏の鳴き声を真似る奇声が響く。

1999年9月18日、ネバダ州ラスベガスで行われたWBC/IBF統一世界ウェルター級タイトルマッチは、最終ラウンドを残すのみとなっていた。

前半から中盤にかけて、徹底したアウトボクシングでポイントを稼いだWBCチャンピオンのオスカー・“ゴールデンボーイ”・デラホーヤは、自らの勝利を確信し、『逃げ』モードに入っている。オープニングベルから飛ばしに飛ばしてきた彼のスタミナは、ほとんど切れかかっており、それ故の選択でもあった。王者の目に、いつもの鋭さはない。

一方、デラホーヤのフットワークに翻弄され、なかなか攻撃の糸口を見いだせなかったIBFチャンピオン、フェリックス・トリニダードは、ようやく訪れたチャンスに瞳を輝かせていた。純白のトランクスを鼻血で染めながらも、「これから最後の山場を作ってやる」とばかりに右の拳で胸を叩く。

二人のチャンピオンは、対照的にコーナーを離れた。その光景は、前日の計量を彷佛させるかのようだ。「これまでのリング生活で、最高のコンディションに仕上げた」と満足そうな表情を浮かべ、全く問題なく計量をパスしたトリニダードに対し、デラホーヤは下着を脱ぎ、バスタオルで性器を隠して秤に乗らなければ147パウンドにはならなかった。

ブリーフだろうがトランクスだろうが、その主さは100グラム程度に過ぎない。汗でも唾でも構わないが、身体からコップ一杯分の水分を絞れば、100グラムの減量は達成できる。デラホーヤの血色の良さからして、下着一枚分を落とせないはずはないように思えた。

「この試合は、おそらくTITO(トリニダードの愛称)が勝つだろう。総合力でもTITOがやや上だけど、それ以上に違うのはハングリーさだよ。気持ちが勝敗を分けることになるだろうね」

戦前、元世界ライトヘビー級チャンピオンのホセ・トーレスは、そう語っていた。彼は、プエルトリコが生んだ3人目の世界チャンピオンであり、メルボルン五輪アメリカ代表の銀メダリストでもあった。

メキシコ移民の血を引くWBCチャンピオンも、プエルトリカンであるIBF王者も、アメリカ国内ではヒスパニックと分類される“マイノリティー”である。その数は、総人口のおよそ11%に過ぎない。

しかし、星条旗を背負ってバルセロナ五輪の金メダリストとなり、ゴールデンボーイとして華やかな道を歩んできたデラホーヤと、スペイン語しか話せず、試合以外であまり本土を踏むことのないトリニダードでは、明らかに「飢え」の質が違っていた。この試合は、無敗のヒスパニック王者同士の潰し合いではあったが、合衆国vsプエルトリコという位置づけのほうが相応しかった。

デラホーヤの削ぎ落とせなかった100グラムは、この試合に賭ける両者の意気込みの差とも受け取れた。その、100グラムの気の緩み、即ち慢心が、試合終了まで闘い抜けないという事態を引き起こしているのではないか。

カリブ海に浮かぶ常夏の島、プエルトリコは、500年に及ぶその歴史を、スペイン、アメリカの植民地として費やして来た。そして、今なお、合衆国自由連合州という微妙な立場に置かれている。400万人のプエルトリカンは選挙権を持っておらず、人口の53%が貧困層である。彼らの多くは、この日の衛星放送加入料である49ドル95セントを払うことができず、トリニダードの勝利を祈りながら試合結果を待つしかなかった。この事態を重く見たプエルトリコ政府は、首都サンファンの16カ所に大型スクリーンを設置し、国民の願いを叶えたのだった。

トリニダードは、己が貧しきプエルトリカンの数少ない希望として期待されていることを、十分に理解していた。それだけでなく、ファイトマネー、ペイパービューの売り上げなど合わせて最低2100万ドルの収入が保証されているデラホーヤに対し、自分が1050万ドルと水をあけられた立場にあることを肌で感じていた。

ゴールデンボーイの本拠地であるラスベガスのリングで、トリニダードは同じ年齢のスター王者に向かって、粘り強くプレッシャーをかけた。まともに打ち合おうとしないデラホーヤをひたすら追い続け、攻めの姿勢を崩すことは決してしなかった。彼はまさしく、チャレンジャーとして闘いを挑んでいた。

再三、ノーモーションの右ストレートがデラホーヤの顔面を捉える。防戦一方のWBCチャンピオンは、距離を保ちながらグルグルとリングを旋回して時間を稼ぐ。その姿には、これまでの試合で彼が見せてきた「闘う」ことへの気迫が感じられなかった。

残り35秒、デラホーヤはステップを踏みながら笑顔を見せた。試合終了まで、逃げ果せたことへの喜びがもたらした、安堵の微笑みだった。

自分より精度の高いコンビネーションを誇るハードパンチャー、トリニダードを、アウトボクシングで攻略しようとしたデラホーヤの狙いは正しかった。事実、彼は中盤まで、イメージ通りに試合を運んでいた。彼ら二人の実力に大きな差はなく、最後までそのスタイルを貫けば、勝利を引き寄せることもできたかもしれない。だが、この日のゴールデンボーイは、ポイント計算で優位に立つと安全策をとり、“省エネ”とも呼べる闘い方しか見せなかった。最大の武器である左フックをふるい、相手をキャンバスに沈めようという、WARRIOR(勇者)のハートは消え失せていた。

その状態のまま、試合終了を告げるゴングが響く。

結果は、一人のジャッジがドロー、一人が1ポイント差、残る一人が2ポイント差という判定で、トリニダードが勝利をつかんだ。

アナウンスを聞いた途端、涙を流して喜びを爆発させた勝者の傍らで、敗者は苦笑いを浮べていた。それは、死闘直後のリングにはおよそ似合わない、意味不明の笑いだった。

ボクサーのほとんどは、全裸での計量を避けるため、最後の100グラムまで減量に耐える。スターとして黄色い声援を浴び続けてきたデラホーヤは、その苦しみを乗り越えようとはせず、闘いを放棄したのだった。慢心が宿った彼の精神は、統一王者に適したものとは言えなかった。

勝者と敗者による鮮やかなコントラストは、「ハングリーさが違う」と言ったトーレスの言葉の深さを伝えていた。

試合の2日後、トリニダードは2つのベルトを手に、故郷の地を踏んだ。サンファン市長は、急遽この日を祝日とし、凱旋パレードを催した。

花火が打ち上げられ、無数のプエルトリコ国旗が振られる中、人々はTITOの名を叫んだ。合衆国から忘れられ、苦しい生活を送るプエルトリカンは、本土のスター王者からベルトを奪い取ってきた郷土のヒーローに、明日への活力を与えてもらっていた。

それは、7年前のバルセロナ五輪で、デラホーヤが金メダルを獲得した際、メキシコ系アメリカンたちが味わった束の間の幸せと、同じ意味を持っていたに違いない。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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