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13歳で殺人者となった教え子

林壮一ノンフィクションライター
著者が13年半過ごした第二の故郷(写真:ロイター/アフロ)

2009年、私は、問題を抱える小学生が集う再生教育現場でボランティア教師を務めていた(※興味のある方は、『アメリカ問題児再生教室』(光文社)をお読みになってください)。

担当した生徒の中に、メキシコ移民の男児がいた。当時、5年生。シングルマザー&17歳の兄との3人で、貧民地区で生活していた。

少年は、ボクシングに関心があった。私は、顔を合わせる度にミットをはめ、彼にパンチの出し方、躱し方を教えた。このBOYは、驚くほどのスピードで技術を取得していった。

数カ月が過ぎた頃、少年は「真剣にボクシングをやってみたい。チャンピオンになって、ママに家を買いたいんだ」と告げてきた。親しくしていたメキシコ人のボクシングジム経営者に彼のことを話すと、「喜んで引き受ける。ボクシングを通じて、彼を男として一人前にしたいね。会費は一切取らない。同胞を放っておけないから」と言ってくれた。

だが、少年の家からジムへは徒歩で2時間強。車でも40分ほどかかった。結局、足がないことが原因で、ジムへは通えなかった。

やがて17歳の兄が、実の弟を麻薬売買の小間使いとして使うようになり、ボクシングどころではなくなった。

その直後、諸々の理由で私は日本へ居を移し、少年との関係が途絶えたーー。

今回、6年ぶりに第二の故郷を訪ね、かつての上司と食事を共にした際、彼について訊いてみた。

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13歳で殺人事件を起こして服役している

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それが回答だった。ナイフを手に、人の命を奪ったそうだ。

哀しい。

もっと傍にいてやりたかった。パンチを受けてやりたかった。一緒に汗を流したかった。

今、私の脳裏には少しキツめのメニューを課し、それをやり遂げた後の、少年の笑顔が蘇る。

彼を殺人犯に導いたものは、紛れもなく環境だ。日本語も教えたが、頭の回転の速い子だった。

世界ライトヘビー級王者から作家に転身したホセ・トーレスは、生前、次のように語った。

「ボクシンググローブを握る90%は貧民街の出身だ。犯罪に手を染めるか、ボクシングジムに入るか、選択肢は2つしかないのさ」

少年が前者だったのかと思うと、やり切れない。

私にも大いに責任がある。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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