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王者が選んだシューズ

林壮一ノンフィクションライター
マイク・タイソン戦前のキャンプ。ミズノのシューズで調整するチャンピオン、ルイス

史上最年少で世界ヘビー級チャンピオンの座に就いたマイク・タイソンは、ライバルに恵まれなかった。レイプ罪で囚人となるまでは、その化け物的な強さに対戦相手が恐れをなし、ゴング前から勝負がついていた。身長181センチと、最重量級では極端に短躯であるタイソンは、相手が予想できない速度のステップインで敵の懐の飛び込み、強打を浴びせてKOの山を築いた。

1996年11月9日。イベンダー・ホリフィールドとのファイトで、タイソンは完敗を喫する。この時、タイソンはかなりの衰えを見せた。膝が伸びきり、バランスが悪かった。それは、イコールパンチ力も半減させていた。

全盛期に“アイアン(鉄の男)”と呼ばれた彼は、ほどなく坂道を転がるようにスクラップメタル(鉄屑)となっていく。年齢を重ねると共にスピードを失ったタイソンは、ただの小さなヘビー級ファイターだった。

タイソンにとって最後の世界タイトルマッチとなった、レノックス・ルイス戦は、2012年6月8日に行われた。1歳年上の統一ヘビー級王者、レノックス・ルイスはソウル五輪の金メダリストとしてプロ入りし、タイソンの影に隠れながらも歩を進めてきた実力者である。

ルイスはタイソンのように、時代の寵児となるほどの存在ではなかった。身長196センチと、ヘビー級のなかでも恵まれた体躯に加え、抜群の才能を持ち合わせているのに、自分を追い込むことができない。何度も彼のトレーニングキャンプに足を運んだが、毎回、練習量の少なさに驚かされたものだ。

ルイスは計3度世界ヘビー級王座に就き、記録上はモハメド・アリと並んだが、2度の転落(共にKO負け)は、相手を見下して満足に練習をしなかったが故の結果である。特に2つ目の黒星となった、2001年4月22日のハシーム・ラクマン戦は、タイトルマッチ直前まで映画の撮影スケジュールを組んでおり、緊張感をまるで失っていた。

そのルイスがタイトル奪還を目指し、ラクマンとのリターンマッチを組んだ際、日本製のボクシングシューズを特別オーダーしたことは、あまり伝えられていない。35センチで幅広の特注品は、ミズノ社の大阪工場で作られた。

「もっと幅を広くしてくれ」「これじゃまだ痛い。さらに幅を広げてくれ」

レノックス・ルイス特別使用品が完成したのは、2度の作り直しを経てである。

2001年11月17日。ルイスはラクマンを4ラウンドで沈めて、三たび世界ヘビー級チャンピオンとなる。そして、次戦の挑戦者としてマイク・タイソンを選んだ。

統一世界ヘビー級王者は、この特別シューズを1試合しか使わず、タイソン戦に新たなシューズをオーダーした。そして第8ラウンドにタイソンをキャンバスに這わせた。

「一回でも履いたら、他のシューズはもう使えないよ」

ルイスも、ルイスのトレーナーだったエマニュエル・スチュワードもミズノのクオリティーを絶賛した。エマニュエル・スチュワードの教え子であるトーマス・ハーンズ、ミルトン・マクローリー、ウラジミール・クリチコも、引退までミズノのシューズを使用した。ルイスに影響されたのか、英国人チャンピオンのリッキー・ハットンやメキシコの名王者、マルコ・アントニオ・バレラ、エリック・モラレスらもミズノのリングシューズを日本から取り寄せ、愛用した。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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