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サイドバック長友を生んだ明治大学、神川監督

林壮一ノンフィクションライター
1966年生まれ、鎌倉市出身の神川明彦監督

明治大学体育会サッカー部の神川明彦監督は、憤っていた。

「日本がコートジボアールに負けたのは必然だと思っています。1億2千万人の国民の感情を背負って戦っていれば、あんな試合にはならない。少なくとも1-2になってからの戦い方はあり得ないです。『何、綺麗事で片付けてるの?』って感じで。ホント、悔しいですね。もっと戦う姿勢を持たなきゃ」

来年、韓国・光州で開かれるユニバーシアードで日本代表チームの指揮を執る神川は、鋭い視線で語り続けた。

「僕は、フットサルとなでしこしか認めていない。彼女たちには背負っているものがある。でも日本代表には背負っているものが無い。危機感を感じていないんですよ。それで、この結果です」

ユニバーシアードに挑む大学選抜たちは、先日U21日本代表と練習試合を行った。その直前、神川は、なでしこジャパンの戦いぶりを編集した1本のDVDを選手に見せ、言った。

「まず彼女たちはレフェリーに文句を言わない。相手の反則に苛立たない。ひたむきに戦って、勝つ。なぜ出来るのか? それは危機感を持っているからだ。『自分たちがここで負けたら、女子サッカーの灯はいつ消えてもおかしくない』と思ってピッチに立っている。フットサルの選手たちも、いつリーグが消えてもおかしくないことを理解している。だから選手たちは戦えるんだ。

じゃあ、我々は何なんだ? 俺は選手選考にあたって52試合、大学サッカーの公式戦を見た。9つの大学の練習を見た。そこで繰り広げられていたのは、いかに恵まれない環境下で工夫してやっているかなんだ。君たちが背負うものは大学サッカー界の威信だ。もちろん、プロでやっていきたい等、色んな目標があるだろう。でも、それだけじゃ勝てない。大学サッカー界を背負って勝つことに意味があるんだ」

選手たちは神川の言葉に圧倒されていた。そして大学選抜は、U21を2−1で下す。

「でも、空しかったです。後半38分に2点目をとったんですよ。アディショナルタイムを入れて残り時間が10分くらいあったんです。『向こうはラスト、本気で出てくるから、しっかりガンバレ!』って敢えて相手にも聞こえるように選手に声をかけたんです。でも、全然来なかった。アマチュアに負けても平気なメンタリティーなんでしょう。それ自体が、プロじゃないと思うんですよ。彼らはプロのアスリートなんです。プロは勝ったらお金が入る、負けたら入らない。職を失うわけじゃないですか。勝ちたくてやっているんでしょう? 何でリードされた状態で、時間が残っているのに戦えないのか。それを見て、本当に駄目だと思いました。学生選抜は力いっぱいやりましたが……」

神川は、このような甘さが日本サッカー界全体を包んでいると溜め息をついた。

「今の明治もそういうところがあります。僕は、敗因は全部監督だと思っています。現代サッカーは監督ですよ。いい監督じゃなければ勝てない。オランダ代表のルイ・ファン・ハールは只者じゃない。アルゼンチンの監督も前半悪かったら、後半にチームを全く生まれ変わらせてしまう手腕がある。コートジボアールだって、日本に対して目には目をという策をとってきましたよね。日本は、日頃の取り組み方があのレベルなんです。メンタルが問題ですよね。

この先時間はかかるけど、やっていくしかないんじゃないですか。歴史の積み重ねは重要です。日本人のいいところは、起きたことを検証して次に生かすでしょう。いずれ、『今となってはいい勉強ですよね』っていう日がくればいいんじゃないですか」

前回大会から、不動の左サイドバックとして走り続けてきた長友佑都は神川の教え子である。

「僕が一番嫌なのは、学業とスポーツを分ける考え方なんです。日本人が好む日本人っていうのは、文武両道だと僕は思っています。ですから、選手たちには入学する前に、明大サッカー部の理念として、学業を疎かにしないことを伝えます。それに共鳴できないなら来ないでくれ、と。正直、技術はなくてもいいから明大サッカー部で4年間やりたい奴に来てほしいんです」

長友はまさに文武両道の男だった。2005年にサッカー推薦で入学した学生は7名。そこには選ばれず、学業成績で門を潜った。

「特に目立ったものはない、普通の選手でした。ボランチって言って入って来ましたね。彼の同期には優秀な子が多くて、3人くらいは1年次からレギュラーで使いました。長友はヘルニアがなければ2年の頭から出た筈ですが、デビューは2年生の秋でしたね。彼は1年かけて、関東大学リーグに出られるだけの実力を身につけました。何故、サイドバックにしたかといえば、1対1の守備が極めて強かったからです。これはもう、特筆すべきレベルでした。あとは、チーム事情。サイドバックは手薄だったんですよ」

長友といえば強いメンタルが武器だが、大学時代は波があった。

「今日は晴れですが、明日は雨みたいな。僕が何かをしたってことは一切ないです。2年生でヘルニアを患い、トレーナーと二人三脚でリハビリしている間に変わりましたね。2年の夏休み明けに復帰してきたときは、顔つきから体つきから髪型まで雰囲気が変わっていました。で、2年の後期から使って、3試合目か4試合目で『日本代表に入るな』と思いました。元々、潜在能力はあったんでしょうが、あそこまで行くとは全く思わないですね。

サイドバックって、上がった先でプレーを完結させないと戻れなくなりますよね。行った先で、パスを正確に繋ぐとか、クロスを上げるとか、シュートで終わるとか。行った先で終わらせないと戻ってくる時間を作れないじゃないですか。それが出来ていました。中盤とかやっていてボールをある程度扱えていたので、攻撃的な素養も持っていました」

長友佑都は、同じ失敗を2度はしない選手だった。

「思考力が高いです。こうしたから上手くいったんだろう、ああしたからミスしたんだろうという分析力も凄くありますね。そして、イタリアの水にも合っていたんでしょう」

神川は、いい選手の条件は、論理的思考力を持っているか否かと言う。

「考える力と実行する力を掛け算して解答出せる人。まず、現状を自分なりに把握する。一方で、目標とする己の姿、自分の理想とするところがある。当然、2つの間にはギャップがあって、それを埋めるためにどう階段を上がっていくかを逆算して考える。◎◎も必要だし、●●も必要だと。じゃぁ、今、何をすべきかと、努力しながら階段を上っていく。目標に辿り着いたら、また現状に戻っていくんですね。目標に到達したら、そこはもう現状になって、次の目標を見据えなければならない。で、またギャップを見つけて、逆算して上っていける選手が、成功できる選手です。まさに長友です。簡単に言っていますが、凡人はなかなかできないです。サイクルを回すことはできても、回し続けるのは難しい。

僕も凡人なんで、長友に勇気をもらってるんですよね。前回のW杯の時、長友とのことを聞かせてくれと大挙としてマスコミが押し寄せたことがあるんですよ。でも、僕は特に何かをやってはいないんです。何故なら僕は監督で70人の選手を毎日預かっている訳だから、長友だけ見ている訳じゃない。彼を見るとこっちも掻き立てられるし、『お前そんなに長友を語るほど何かやってるのか』って言ってくる自分もいてね。だから、僕も挑戦していかねばと。S級ライセンスをとって監督として上を目指すのも、多少なりとも彼の影響なんですよ。もっと言えば、教え子たちときちんと向き合えるように、自分もちゃんと生きなきゃいけないな、と思いますね」

神川は「指導者」という言葉を好まない。

「教え、育てるというのは、教わりし、育てられるということでもあるので。双方向が教育にはあると思うんです。だからよく言うのは共に学び、共に歩み、ということです。そのスタンスは絶対に崩したくないですね」

長友が目標とする前インテルの主将、サネッティは神川の論である「目標を定め、現状の自分を把捉し、ギャップを埋めながら歩むプレーヤー」だ。アルゼンチン代表キャップ145を誇り、40歳まで現役で活躍したが、決してエリートではない。中学生時代は1部リーグ下部組織の選考に落ち、ブルーカラー労働者との二足の草鞋でサッカーを続け、地方クラブから這い上がってきた男だ。長友がサネッティを崇拝する気持ちがわかる気がする。さらに、選手と共に学び続ける神川の戦いからも目が離せない。

※ 神川監督と長友選手の絆について、より深くお読みになりたい方は、

http://otonano-shumatsu.com/column_list/36468.html

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ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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