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GMはドクター(2)

林壮一ノンフィクションライター
NBA D-League の練習風景。エクセレンスはどのように本場を取り入れるか

僕は、内科医、スポーツ医学、スポーツドクターとやって来ましたが、応用スポーツ心理学で人々の心をサポートしようと決めたのが38歳の時です。その時、オリジナルメソッドとして思いついたのが『スラムダンク』だったんですよ。で、漫画を使いながらメンタルトレーニングしているうちに、著作権に違反しているし、ずっとこんなことしてられないと、井上雅彦先生に会いに行ったら「本を書いたほうがいいよ」と言って下さって。書いたら、34万冊売れたんです。それがデビュー作の『スラムダンク勝利学』です。

学校の体育を潰さない限り、日本でスポーツは育たないでしょう。この日本で、スポーツがドリームにならないのは「体育」だからですよ。教育というのは「徳育」「知育」「体育」全部が合わさっていなければならないのに、日本の場合は「徳育」は倫理の時間、「知育」は勉強、読書、「体育」をスポーツでやれ、としてスポーツを「体育」に押し込んでいるんですよ。だから、大学までやる人のことを体育会系と呼んでいて、身体を育てる分野になり、かつ優、良、可で文部科学省の規定に基づき、評価されてしまうんですね。日本では、小5で逆上がりができないといけないみたいな、価値観にスポーツが押し込まれているんですよ。

子供たちがスポーツ嫌いになる理由は、殆どの場合体育です。苦手だったりする子が、ジャージ着た体育会系のおっちゃんに苛められているわけです。勉強できなくてもバレないけど、体育ができないとバレルでしょう。あらゆるスポーツの持つ可能性を、体育が遮断していると僕は思います。アメリカなんかはスポーツを文化と捉えていて、身近にあるでしょう。人生の身近にあって、人生を豊かにしていく活動がスポーツだ、自分がそれに乗っかるのかどうかの選択肢もある。日本の場合は部活やめたら、もうスポーツをやる場がないし、学校体育で評価され、それ以上の触れ方がないんです。そういう「体育」の中だけですから、見る文化も弱いんです。体育館には関係者しかいない、諸悪の根源は体育だと思っています。

桜宮高校の件なんて、勝利至上主義の最たるものですよね。「PLAY」イコール楽しむ、の意味がわかっていません。日本ではPlayerじゃなくて「選手」っていうでしょう。選び出た人なんて感覚は欧米には無い。スポーツこそ、全ての人に平等なチャンスがある筈です。「選手」という発想だから、体罰が起こるし。

ミニバスなんていう勝利至上主義をカタチにする仕組みを整えて、勝つ喜びだけを教えて、ボールを小さくして、リングを低くしてふざけんじゃねえぞ、と思いますよ。小学生でゾーンプレスとか有り得ないですよね。ミニバスなんてのは世界中で日本しかない悪しきスポーツです。あれはバスケじゃない。

応用スポーツ心理学をやるために独立しました。お陰さまで『スラムダンク勝利学』も売れましたしね。僕の人生にはパッチ・アダムスが大きく影響していて、クオリティー・オブ・ライフが大事なんですね。スポーツを通したクオリティー・オブ・ライフを形作っていく、だから僕にとってスポーツは文化なんですね。スポーツとクオリティー・オブ・ライフを結びつけるために、一つにはスポーツに触れる。その触れ方も、するだけでなく、見る、読む、支える、話す、様々な触れ方を構築していきたいなと。その一つとして、東京エクセレンスを作った部分もあるんですよ。

僕はスポーツから学ぶことで、僕の専門のスポーツドクターとしてのスポーツ心理学とかスポーツ医学があるから、スポーツから生まれた医学や心理学を皆にどれだけ還元して、クオリティー・オブ・ライフを上げていくかなんですよ。じゃ、何が出来るのかとなった時に、本を書いたり、講演をしたり、メンタルトレーニングをしたり、セミナーをやったり、ワークショップをしたり、企業の産業医をやったり、コンサルタントをやったり、それらをスポーツ心理学とスポーツ医学を使ってやることによって、スポーツの価値を高められるんじゃないか、というのが僕の生業というか。

入口がスポーツで出口がクオリティー・オブ・ライフで、対象はなんでも良くて手段はスポーツ心理学がメインで、次にスポーツ医学があって、ですから、僕はスポーツドクターですけれど、アスリートを診るんじゃなく、スポーツで診るという感覚を持ってるんですね。ですから、そのひとつは学ぶ、医学と心理学、もう一つがスポーツに触れて、少しでもその素晴らしさを感じてもらいたいなぁと思っていたので、見てくれる人がいるんじゃないかなぁと思って、プロチームを作った感じなんです。

今まで、スポーツが体育だと言っていた人たちが、「元気」「感動」「仲間」「成長」の4つに目を向けるようになれば、親もコーチも変わるでしょうし、体罰も減るでしょう。行政も変わっていくのではないか、と。その意識革命というんでしょうか。子供たちが「元気」「感動」「仲間」「成長」って言えるようになればいいよな、って言ってたんですよ。そうしたら行政がくっついてくれたので。例えば板橋区だったら、うちの選手たちが体育の時間にお邪魔して、その4つのキーワードを伝える。で、一緒に給食を食べて、僕との合同授業なんかを、今、一生懸命やっているんですよ。

そんな急に変わるとは思えないけれど、2013年のTokyo五輪が決まったあの頃から、スポーツは文化だと言い始めて、体育じゃないらしいぞ、あの頃から変わって来たな、なんていう風になったらいいですね。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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