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半沢直樹 わざわざ生放送する意味はあったのか?大いに残る疑問

鎮目博道テレビプロデューサー・演出・ライター。
(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

半沢直樹の生放送は果たして「生放送」である意味はあったのだろうか。新型コロナウイルスの影響でドラマのスケジュールが滞り、放送が間に合わなかったのならば、あえて生放送にする必要はなかったのではないだろうか。

確かに面白くドラマを「盛り上げて」はいたが…

本日(9月6日)21時から放送された「生放送!!半沢直樹の恩返し」を見た。冒頭のオープニングはかなり長い尺を取って、堺雅人、及川光博、片岡愛之助の3人がドラマ仕立ての迫真の演技を披露。

TBSの安住紳一郎アナウンサーが進行をつとめ、堺雅人、及川光博、片岡愛之助、児嶋一哉、香川照之とキャストが5人、さらにパネラーとして久本雅美とヒロミが出演して、これまでの名場面を振り返り、裏話などを明かすという、ファンには興味深いだろう内容だった。新型コロナウイルスの影響で撮影が滞り、本来なら放送する予定だった第8話の放送が間に合わなかった埋め合わせをした形となった。

なぜ「放送休止」や「総集編」ではいけなかったのか

内容としては、面白くドラマを盛り上げるものになっていたと思う。しかし、残念ながら別に生放送でやる必然性は何も感じられなかった。視聴者の疑問に答えるという体を取ってはいたものの、質問内容のほとんどは事前に用意されたもので、あれであれば収録でも何ら問題はないようなものだったと言えるのではないか。

わざわざ生放送にしたのは、「話題性」と「盛り上がり」を考えたから、としか思えない。それ自体は別に悪くはないかもしれないが、そもそも新型コロナウイルスで撮影が滞っていたことを考えると、わざわざ8人もの多人数の出演者の生放送をやる必要はあったのだろうか?

本来の放送予定に間に合わなくなるほどの事態であるから、半沢直樹のスタッフは時間的にも身体的にも疲弊しきっていたはずだ。なのに、そのスタッフたちに、かなり負荷をかけて凝ったオープニングVTRを撮影・編集させ、多くの出演者を呼び集めさせ、数多くのインターシンク(生放送中に流れるVTR)を編集して用意させ、あえて生放送をしてスタッフにさらに負荷をかけることは何か意味があったのだろうか。

しかも、今晩の生放送は、TBS緑山スタジオの実際のドラマのセットから行われたという。感染防止的な観点からしても、わざわざ実際のセットから生放送をすることで、かなりの手間が現場にかかってしまうのではないかと心配になる。

あえて言えば、なぜ普通に「一週お休み」ではいけなかったのだろうか?「ここまでの総集編」ではいけなかったのだろうか?

まして、いま現在「これまでに体験したことのない」ような規模の台風10号が九州に接近しており、多くの人に避難指示が出されている状況だ。あえて半沢直樹の生放送をしなくても、台風関連の緊急特番をやるという選択肢もあったのではないだろうか。

疲弊したスタッフにあえて負荷をかける必要はあるのか

私は最近、ドラマ撮影現場のスタッフたちからインタビュー取材をした。彼らは、いま非常に感染対策をどうすればいいのか、悩みながら仕事をしている。そして、かなり疲弊している。

現場の感染対策も必ずしも十分とは言えない場合も多いようだ。というか、ドラマの撮影を続ける限り、万全な対策を取ること自体が難しいという声も聞く。今後も、ドラマの撮影現場では、今回のように新型コロナウイルスの影響で撮影が滞るケースが再び起きることはまず間違いないと言っても良いくらいだと思う。

そんな時、あえて現場に負荷をかけて生放送の特番をするべきなのか、はたまた、現場のスタッフに十分な時間と余裕を与えて、疲労を回復させつつ安全にドラマの撮影が継続できる方向性の対応を取るべきなのか。TBSのみならず、各放送局に「その時どうするか」の対応姿勢が問われているのではないだろうか。

テレビプロデューサー・演出・ライター。

92年テレビ朝日入社。社会部記者として阪神大震災やオウム真理教を取材した後、スーパーJチャンネル、スーパーモーニング、報道ステーションなどのディレクターを経てプロデューサーに。中国・朝鮮半島やアメリカ同時多発テロなどを取材。またABEMAのサービス立ち上げに参画。「AbemaPrime」「Wの悲喜劇」などの番組を企画・プロデュース。2019年8月に独立し、テレビ・動画制作のみならず、多メディアで活動。公共コミュニケーション学会会員として地域メディアについて学び、顔ハメパネルをライフワークとして研究。近著に『腐ったテレビに誰がした? 「中の人」による検証と考察』(光文社)

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