昨年、核兵器禁止条約の成立に大きく貢献したとして、ノーベル平和賞を受賞したICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)。その事務局長であるベアトリス・フィン氏が、長崎大学の招聘で今月12日に来日、昨日16日には、東京でも講演を行った。フィン氏は、核兵器禁止条約への理解と協力のため、昨年12月から、安倍晋三首相との面会を求めていたが、安倍首相側は「日程が合わない」と会おうとしなかった。そのため、国内の反核団体からは「首相はICANから逃げ回っている」との批判もあがっている。だが、16日のフィン氏の講演を取材して、筆者はなるほどと合点がいった。フィン氏に会えば、安倍政権の掲げる「核なき世界」がいかに欺瞞に満ちたものか、明らかになってしまうから、逃げ回っているのだろう。

◯核抑止論とは、大量虐殺の容認

 フィン氏は、16日の講演で、穏やかかつ前向きな姿勢で、核廃絶の重要さや、多くの人々が核廃絶のために立ち上がることの必要性を説いた。ただ、穏やかさの中にも、核兵器廃絶に後ろ向きな政治家達への鋭い批判も混じる。フィン氏は「日本政府はハッキリ言いたくはないのでしょうが、核抑止とは、いざとなれば、米国が広島や長崎で行ったことを、他の国にもしてやる、ということでしょう」と指摘。講演に先立つ同日の昼、日本の国会議員らがフィン氏と会合を持ち、佐藤正久外務副大臣など与党側の議員は「米国の核抑止」の必要性を強調していた。その「抑止力」の正体とは、つまりは、何十万人もの罪のない一般市民を焼き殺し、生き残った人々も放射線障害で何十年も苦しめ続ける、ということであると、フィン氏はズバリ核心を突いたのである。

 フィン氏の講演は、意外な程、シンプルなものであったが、それ故に力を持っていた。人を殺してはいけない、まして罪のない人々を大勢殺してはいけないということは、他の屁理屈を必要としない絶対的な真理ということだろう。講演でフィン氏はこう説いた。

「核兵器はあまりに酷い大量破壊兵器なので、紛争には使えません。どう考えても不合理な兵器なのに、各国の政治家たちはこれが『合理的な兵器』だと人々に信じ込ませています」

「普通に考えて、地球の人々を70回も全滅させるような兵器を持っていることは自殺行為。核兵器は、技術や専門的な分野の問題ではなく、狂っているか、正常かの問題です」

「核兵器を力の象徴だとみなす風潮が世界の政治家達にありますが、それは力の象徴ではなく、恥の象徴へと市民の力で転換させていきましょう。核兵器を持つということはかっこいいことではなく、生物・化学兵器を持つのと同じく、恥ずべきことだ、という認識を拡めていくことが重要です」

◯安倍政権の「核なき世界」の欺瞞

 フィン氏のまっすぐさ、圧倒的な正論に比べると、安倍政権の姿勢はやはり姑息さが目立つ。その姑息さが国際的にもあらわとなったのが、昨年10月末に安倍政権が国連に提出した「核廃絶決議」だ。これは、核兵器の廃絶を呼びかけ、毎年、日本が国連に提出しているものだが、今年の日本の議決案には、各国からの批判が強く、例年なら賛成している国々もその一部が棄権にまわり、共同提案国となる国も減少した。それは、議決案の中で核兵器禁止条約について一言も触れていないこと、またそれまでの「あらゆる核兵器の使用は人道上の被害をもたらす」との文言から、「あらゆる」の部分が削除され、場合によっては核兵器の使用を容認するものではないか、との批判を招いたからだ。

◯「北朝鮮の核の脅威」にこそ、核兵器禁止条約が有効

 安倍政権が核抑止力に固執する口実にあげているのが、「北朝鮮の脅威」であるが、フィン氏は「核兵器禁止条約は、北朝鮮に核を放棄させる力になる」とも語る。実際、核兵器禁止条約は、北朝鮮が核放棄のための条件として、米国や韓国に示していることと、多くの点で重なっている。すなわち、

・核兵器の使用や核による威嚇、またこれに協力することを禁じている

・自国領内での他国による核配備を容認しない 

ということだ。日本や韓国が、核兵器禁止条約に加われば、米国と北朝鮮との対話、そして核放棄という道筋も現実味を帯びる。少なくとも、北朝鮮には、これまでの主張が何だったのかを問うことができる。

 フィン氏は「米国の核の脅威は、北朝鮮に核を放棄させられていない。核抑止論はまやかしです」と語る。安倍政権が、本当に北朝鮮の非核化を目指しているだけであって、他の邪な理由―大量のプルトニウムを保有するなど、日本が潜在的な核兵器保有国であると周辺国に思わせることなど―が無いならば、フィン氏らICANとの面会から逃げ回るべきではない。世界に影響力のある被爆国として、核兵器禁止条約に署名し、本当の意味での核保有国と非保有国の橋渡しになるべく、尽力すべきだろう。

(了)