イスラム国は日米の外交・安全保障政策の失敗が産んだモンスター~暴走を止めるためにやるべきことは?

ISISが公開した映像より
ISISが公開した映像より

多くの人々の願いもむなしく、湯川遥菜さんがISIS(イスラム国)によって殺害されてしまったようだ。筆者やその友人達も、中東系メディアに働きかけたりなどもしたのだが、助けられなくて申し訳なく思う。無抵抗な人質を惨殺するISISに強い憤りを感じるのと同時に、やはり安倍政権の対応のまずさには疑問を持たざるを得ない。昨年8月には湯川さんが拘束され、今年10月末には、後藤健二さんが拘束されていたことは政府も承知していたはず。それにも関わらず、交渉では何の成果もあげられず、ISISと接触できたかどうかも大いに疑問である。だが、本質的な問題はもっと根深く、やっかいなものだ。つまり、ISISの前身は「イラクの聖戦アルカイダ」であり、イラク戦争による夥しい死と破壊から生まれたモンスターである。だからこそISISの暴走を止めるカギもまたイラクにあるのかもしれない。

○ISISトップが抱えるイラク戦争での怨恨

残る人質、後藤健二さんには何とか助かってもらいたいと切に願う。報じられている通り、ISIS側の要求は身代金から、捕虜交換ということになったようだ。ISIS側が後藤さんの解放の条件としているのがサジダ・リシャウィ死刑囚の釈放。彼女はISISの前身である「イラクの聖戦アルカイダ」のメンバーであり、2005年にヨルダンで起きた連続爆破テロの実行犯の一人。この事件では50人以上が死亡しており、サジダ死刑囚の釈放に対し、ヨルダン世論の反発は相当強いことが予想される。この間、イラク情勢をウォッチしてきた筆者には、今、ISISがサジダ死刑囚の釈放を求めてきたことに因縁深いものを感じる。サジダ死刑囚は、イラク西部のラマディの出身だ。2005年前後と言えば、ラマディはイラクの中でも最激戦地の一つだった。米軍が街を包囲すると同時に街の高台から、人々に向けて撃ちまくっていた。攻撃の邪魔となると、一般の住宅や学校までも破壊された。市内の病院に向かう道は、「死の道」と恐れられ、米軍の狙撃手は、妊婦であれ、子どもであれ、動くものは何でも撃った。街中を空爆が襲い、走り回る戦車が、傷つき倒れた人を轢き潰し、ミンチにした。あまりに大勢の人々が殺されたため、街の空き地は次々と集団墓地に変わっていったのだ。米軍が人々を殺せば殺すほど、多くのイラク人が米軍を追い払うために武器を手にとった。サジダ死刑囚の兄弟も米軍との戦いで命を落としている。ISISのトップ3も皆イラクの出身なのだ。また、旧サダム政権の軍人や政治家もISISに合流していると観られている。例の2億ドルが「人道支援」であるという安倍政権の主張を、ISISが額面通り受け取らないのも、単に難癖をつけているだけではなく、イラク戦争においてひたすら対米追従・支援を繰り返してきた日本への不信感もあるのかもしれない。イラクの人々は「オキナワ」という言葉を恐怖の体験と共に語る。なぜなら、沖縄の米軍基地で市街戦の訓練を受けた海兵隊員がイラクへと出撃していったからである。

米軍に自宅を破壊されたと訴える親子。ラマディにて2009年撮影
米軍に自宅を破壊されたと訴える親子。ラマディにて2009年撮影

○「サダムより酷い米軍」「その米軍の方がイラク政府よりマシ」

イラク戦争前のサダム政権も人権問題では本当に酷い状況ではあったけども、そうした独裁政権で拷問を受けた人ですら、「米軍はサダムより酷い」と言い、米国や日本が軍事的・経済的に支援した新生イラク政府は「米軍の方がまだマシだった」という無茶苦茶な拷問や虐殺を繰り返した。かつて、少なくとも市民レベルでは、イスラム教スンニ派教徒もシーア派教徒も同じ「イラク人」として当たり前のように共存し、互いに結婚するなど両派が家族や親戚であるということもよくあった。それを、米軍は「スンニ派はサダム元大統領の支持層」として同派の多いイラク西部や中部に上述したような激しい攻撃を加える一方、シーア派民兵を新しいイラク警察やイラク治安部隊、軍に組み込んだ。米国が亡命先のイランから呼び寄せた過激なシーア派至上主義のバヤーン・ジャブル氏が内務大臣が就任したことにより、スンニ派だというだけで人々はイラク警察や治安部隊に拘束され、拷問の挙句、殺されるということが頻発した。殴る蹴るの暴行は当たり前で、電気ドリルで体中に穴を空けられた挙句、硫酸を流し込まれるなど、残虐行為の果てに殺された人々の遺体があちらこちらに捨てられている状況になった。その後、イラクの首相となったヌール・マリキ氏もシーア派至上主義であり、スンニ派への苛烈な弾圧を続けた。

イラク警察署での虐待。元内務省将校ムンタザル・アルサマライ氏提供

一昨年末からはファルージャやラマディなどイラク西部を空爆、樽爆弾などの強力な兵器が情け容赦なく使われる中で、一般市民の犠牲が相次ぎ、ファルージャの病院も破壊され病院スタッフも殺されるという状況が続き、マリキ政権からアバディ政権になった昨年9月以降も基本的な対立構図は変わっていない。つまり、イラク北部や中部、西部のスンニ派教徒にとって、ISISですらイラク政府よりはマシという状況があり、だからこそ1~2万人程度の兵力で人口200万人のイラク第二の都市モスルほか広範な地域で影響力を行使できているのである。

○イラク戦争での日本の業、ISISの暴走を止めるには

つまり、ISISは突然生まれたのではなく、米国や日本の外交・安全保障政策の失敗の繰り返しの中で、夥しい死と破壊の中から、生み出されたモンスターなのだ。だから、イラク戦争に関わってしまった日本の業を、後藤さんだけに背負わせるのは、あまりにむごい。ある意味、日本の人々、特に12年前のイラク開戦時に大人だった日本人は皆、問われるものがあるだろう。せめて、イラク戦争の失敗から学ぶべきなのだ。残虐の限りを尽くすISISの暴走を食い止めなくてはならないが、集団的自衛権の行使や単なる米国追従では同じ間違いを繰り返すだけ。上記したように、少なくともイラクにおいては、イラク戦争やその後のイラク政府の暴挙の数々が招いた宗派間対立こそがISISに付けいる隙を与えている。もし、日本を含む国際社会が強く働きかけ、イラク政府が全ての宗派や民族の融和と和解を進めるにようになれば、ISISも弱体化していくだろう。