麻生「ナチス手口学んだら」発言のツッコミどころ
先月29日、都内での講演での、ナチスを引き合いにした麻生太郎副総理の発言が波紋を呼んでいる。自民党が目指す、日本国憲法の改憲についての話の流れで、上記の様な発言が飛び出したのだ。この発言は国際的にも問題となり、米ユダヤ団体も「ナチス・ドイツの台頭が世界を恐怖に陥れたことを忘れたのか」と非難声明を発表。麻生副総理も慌てて発言を撤回する騒ぎとなった。だが、我々日本の国民としては、発言撤回云々よりも、「ナチス手口学んだらどうか」発言に、麻生副総理や自民党の本音が現れていることに注目すべきだろう。それはすなわち、「国民は黙って国家に従え」という、独裁的な国家観、憲法観である。
◯麻生副総理ご推薦のナチスの手口
麻生「ナチス手口学んだら」発言の詳細は、朝日新聞のウェブサイトにある。少々長いし、著作権の問題もあるので、全文はリンク先*を参照してもらいたいが、文脈がどうこうという問題ではなく、冒頭に引用した部分だけで既にアウトである。麻生副総理が「学んではどうか」というナチスの手口とはいかなるものか。
1933年2月27日、ドイツ国会議事堂が何者かの手で放火されたことを発端に、ヒトラー政権は非常事態を宣言、緊急大統領令を発令した。これにより、言論・報道・集会および結社の自由が大幅に制限され、令状によらない逮捕・予防拘禁が可能となり、3000人以上の共産党員・ドイツ社会民主党員が逮捕・拘束されるという大弾圧に発展した。さらに、1933年3月23日、共産党議員やその他の反対派議員が逮捕・拘束され、ナチス突撃隊・親衛隊が臨時国会議事堂を取り囲む中、全権委任法が制定された。同法は国会を経ずに、法律をつくる権限をヒトラー政権に与え、当時、最も民主的な憲法とされたワイマール憲法を無効化してしまったのだ。
この全権委任法の下、ナチスは他の政党を非合法化、或いは自主解散に追込み、一党独裁体制を築く。さらに秘密警察「ゲシュタポ」を設立。ゲシュタポは裁判所の判断に関係なく、「反ナチス的」と観られる人々や、ユダヤ人などの少数民族を次々、逮捕・拘束し、死に至る激しい拷問を繰り返した。
こうして完全に歯止めを失ったナチスは、第二次世界大戦やホロコーストへと突き進むこととなる。
- 麻生副総理の憲法改正めぐる発言の詳細(朝日新聞)
http://www.asahi.com/politics/update/0801/TKY201307310772.html
◯自民党が目指す「全権委任法」
麻生副総理の発言を「単なる失言」と受け取れない理由の一つが、自民党がまとめた「憲法改正草案」にある、第98条と99条が、ワイマール憲法を無効化してしまった全権委任法に酷似していることだ。同98条では、戦争や内乱等の社会秩序の混乱、大規模な自然災害の際、「緊急事態の宣言を発することができる」とし、同99条には
「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」
とある。要するに、「緊急事態」を宣言すれば、政府は国会を通さずに好き勝手に法律をつくることが出来るというもの。しかも、99条には
「緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も(中略)国その他公の機関の指示に従わなければならない」
とあり、国家・政府への服従義務を定めている。99条には一応、「第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない」ともあるが、自民党「憲法改正草案」は「公益及び公の秩序に反する」と見なせば、「表現、集会および結社の自由」等の基本的人権を制限できる性質を持っている。「公益及び公の秩序」というのも、結局、国家・政府の都合ということになり、独裁的・全体的主義的な使われ方をする危険性も大いにあるのだ。例えば、徴兵制や、かつての戦争での「国家総動員法」の様な人々に労力・物資の提供などあらゆる協力を強要する法律も、理論上、可能となってしまうのである。このことは現在、自民党が可決を目指している「国家安全保障基本法案」にも共通した危険性でもある。
◯改憲せずに憲法違反の政策を可能にする―国家安全基本法案
上記した様に、麻生副総理の「ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった」という発言は、ワイマール憲法無効化の経緯としては、間違った認識だろう。ただ、国民的な議論を避け、コッソリと憲法を変えてしまおう、という発想は、自民党がキモ入りで進めている「国家安全保障基本法案」にも現れている。
国家安全保障基本法案は「戦争に行かないなら死刑か懲役300年」発言の石破自民党幹事長らが、8年前くらいから練ってきたもので、端的にいうと、改憲することなく、「集団的自衛権の行使」*や、外国への武器・兵器の輸出解禁など、現在の憲法で禁止されている様々なことを可能とする「法律のクーデター」だ。
集団的自衛権の行使は、「国の交戦権を認めない」とする憲法9条で明確に否定されている。言うまでもなく、憲法は最高法規であり、憲法の下で法律は効力を持つ。つまり、憲法に反する法律はつくれない、というのが原則だ。政府が国会に提出する法案(閣法)も、憲法に違反していないか内閣法制局によるチェックを必ず受けている。ところが、石破幹事長は閣法だと内閣法制局から「憲法違反」とされるかもしれないから、法制局を通さない議員立法で国家安全保障基本法案を国会に提出し可決させようと、その著書『こんな日本をつくりたい』(太田出版)の中で論じているのだ。
一方、安倍首相は「国家安全保障基本法案は閣法とするのが望ましい」と発言しているが、抜かりなく内閣法制局の局長を、集団的自衛権行使容認派の小松一郎駐仏大使に挿げ替えるという。小松氏は、第一次安倍内閣で集団的自衛権についての私的諮問機関で事務を担った経歴がある。従来ならば、「違憲」と判断された国家安全保障基本法を「合憲」と判断させるための地ならしだろう。
- 「自衛」という文字があるため、誤解されがちだが、「集団的自衛権の行使」は、「日本を護る」ことではなく、米国が攻撃を受けた(或いは受ける恐れがある)場合に、日本も米国の助太刀をするべく参戦するというもの。米国が主導したイラク戦争にイギリスが参戦したのも、この「集団的自衛権の行使」が根拠となっている。
国家安全保障基本法案の不気味なところは、「集団的自衛権の禁止」「武器輸出三原則」等のこれまでの憲法解釈を無視した内容だけでなく、国の安全保障政策への協力を「国民の責務」としているところだ。
国民は、国の安全保障施策に協力し、我が国の安全保障の確保に寄与し、平和で安定した国際社会の実現に努めるものとする―国家安全保障基本法案第4条
前述の自民党「憲法改正草案」第98条、99条は、非常事態宣言が発令された場合についてだが、国家安全保障基本法案は、普段から「国に協力しろ」と国民に求めているようだ。
◯麻生発言のもう一つの問題点
国家安全基本法案での、教育における「安全保障上必要な配慮」というのも、一体何を意味するのか、非常に気になる。
「国は、教育、科学技術、建設、運輸、通信その他内政の各分野において、安全保障上必要な配慮を払わなければならない」―国家安全基本法案第3条の2
これは、「『自虐史観』に基づいた歴史教科書が多いとして、検定基準を改め、アジア諸国との歴史的関係に配慮を求める『近隣諸国条項』を見直す」という自民党の方針ともリンクしている様に見える。かつての戦争では、学校教育が「神の国・日本」「お国のために死ぬのが美徳」という軍国主義の洗脳装置となってきた。挙句の果てには、「鉄血勤皇隊」や「ひめゆり学徒隊」など未成年の少年・少女が戦地に駆り出し、多くの犠牲を出してしまった。
これらに関連して、今回の麻生発言でもう一つ見逃せないのは、靖国神社参拝に関する発言だ。
かつての戦争において靖国神社が軍国主義のプロパガンダで重要な役割を果たしたことは今さら言うまでもないだろうが、現在においても、靖国神社は戦争賛美、歴史修正主義に染まっている。靖国神社境内にある博物館「遊就館」では、戦争への反省が一切なく戦時中と何ら変わらないメンタリティでの展示が行われている。こうした施設に、日本の首相や閣僚などが、無批判に参拝すれば、やはりジャーナリズムとしては放置できない。それを、靖国神社で参拝して何が悪い、騒ぐ方が悪いと言わんばかりの姿勢であれば、やはり、自民党「憲法改正」草案や国家安全保障基本法案で何をするつもりなのか、懸念せざるを得ないというものだ。
◯発言撤回しても本質は変わらず
与野党だけでなく国際的にも批判されたことで、麻生副総理は自らの発言を撤回した。だが、自民党「憲法改正」草案や、国家安全保障基本法案にも現れているように、自民党の政策が、独裁的・全体主義的な傾向があることには変わりない。単なる「失言」として麻生発言をとらえるのではなく、自民党の動向自体を注視していく必要があるだろう。