セクハラ、パワハラが横行する業界を変えるか? Netflixのリスペクト・トレーニング

Netflixオリジナル「今際の国のアリス」 (c)麻生羽呂・小学館/ROBOT

Zoomの画面に今日のセミナー参加者の顔が映し出される。初めて受けるセミナーだからか、皆少し緊張した表情だ。集まっているのは、Netflixのオリジナル作品「ヒヤマケンタロウの妊娠」の制作チーム。スタッフ、プロデューサー、有名な俳優の顔もある。

「上の立場の人が『仕事の後飲みにいかない?』と誘う。断ると『断るの? 君の仕事なくなるよ』と言われる。こんなケースについてどう思いますか? チャットに書いてください」

講師が柔らかく問いかける。

「ハラスメントだと思います。側から見ていても気持ちがいいものではない。でも誘っている方は気付いていないのかもしれない」という女性からのチャットへの書き込みがある。

講師はさらに対話を促す。

「気付いてもらうには、どうアクションしますか? ハラスメントと言いにくいなら、『さっきの行動は相手に対するリスペクトがないように思います』、そう話すのはどうでしょう?」

これはNetflixのオリジナル作品に導入している「リスペクト・トレーニング」の講習だ。

ハラスメントを未然に防ぐための講習で、どんな立場の人も、プロデューサー、監督、スタッフ、キャスト、全員が受けないと撮影は原則始まらない。#metoo以降、ハリウッドでもハラスメントに関連したトレーニングが盛んだが、全世界で100か所以上ある制作現場に導入するのはNetflixが初めてだ。日本では「全裸監督」以降、全てのNetflixオリジナル製作作品(制作費を出資する作品)で実施している。

ハラスメントを立ち止まらせる筋肉を作るトレーニング

講師は次の事例を出す。

「『二人で芝居の練習をしよう』こういうのはどうでしょう?」

場面は、エンタメの現場でありそうなことばかりだ。自分の体験を語り出す人が出てくる。

「私の場合、編集作業の経験ですが、場所次第ではないでしょうか? ビジネスホテルで缶詰になるのではなく、会社の会議室でやるべきかと思いました」

「二人きりである必要はないですよね。誤解を招く状況になる」

いくつか意見が出た後に講師が意見をまとめていく。

「相手が恐怖心を抱かないような場所の設定をするのも、リスペクトになりますよね」

通常のハラスメント講習と違い、「リスペクト」という言葉が何度も出てきて新鮮だ。リスペクト・トレーニングの狙いをNetflix プロダクション・マネジメント部門 小沢禎二さんはこう表現する。

「通常のハラスメント講習との違いは、ハラスメントの白黒を伝えるトレーニングではないことです。あなたの行動に相手に対するリスペクトはありましたか? と問いかけて、立ち止まって考える筋肉を作るトレーニングです」

講師は「業界にありがちな例」をあげて、参加者に発言を促す。誰もがその光景に覚えがあるし、自らの過去を振り返り、冷や汗をかいている人もいるかもしれない。

表現の現場調査団」の調査発表によれば、調査に回答した1449人のうち、過去10年以内に「(何らかの)ハラスメントを受けた経験がある」と答えたのは1195人だった。エンタメ、アートなどの業界にセクハラ、パワハラが横行しているのがわかる(表現の現場ハラスメント白書 2021より)。

講師は法律上明らかにNGな部分、例えばハラスメントの通報者への報復禁止、体で触ってはいけない部位、などについては明確に伝えた後、現場の事例をもとに参加者に発言を促す。場が温まると、どんどん意見が出てくる。

「あだ名を全部禁止するのは極端じゃないか」

「お酒の席でぶっちゃけ話をするのが必要な時もある。誘って断られた時は、なんでだよと思った。お酒や食事の場は大事だと思うけれど、誘い方や場の作り方が難しい。今も迷うところだ」

「韓国の現場で、昼食夕食時に、スタッフ、キャストが鍋を突いてコミュニケーションを取る食事時間が設けられていて、終わった後飲みにいくのがなかった。健全だなと思った。業務上必要なコミュニケーションはゆとりと時間があればできるんじゃないか?」

意見は出ても、必ずしも正解があるわけではないので皆がモヤモヤすることもある。しかしそこが狙いなのだ。研修を実施するピースマインド社の荻原英人社長はいう。

「明日から現場がガラッと変わるかと言うとそうではないかもしれませんが、意見を交わし合うことが重要です。リスペクトという言葉を使って、対話し、気づきのきっかけの場を作っています」

ピースマインドは、Netflixの依頼で日本でのリスペクト・トレーニングを共同で開発し、提供している1社だ。1時間の講習の最後に今日の感想を皆が話し合う時間があった。

「10年前からこの業界にいます。新人の頃はいじってもらってナンボで、そうやって仲良くなってきた。でも時代は変わった。どう仲良くなったらいいのか、考える時間でした」

年上の男性からも「ハラスメント、パワハラ、セクハラが横行してきた業界。苦しむ人も見てきたし、やめちゃった人もいた。オープンに話ができてよかった。でも自分もやっていないかといえば危うい。こういう講習は初めてで貴重な機会だった」という。

Netflix 小沢禎二さんは「トレーニングを受けた後、撮影中の現場でリスペクトという言葉が使われるようになった」と効果を語る。

「撮影中の現場をのぞいた時に、男性スタッフが自分の部下である女性スタッフのことをちょっと茶化したりしたんです。その時に、周りにいたスタッフが『それってリスペクトがないじゃない?』って言ったんですよね。周りのみんなが『そうだそうだ』となって、言われた本人も『すみません。僕リスペクトがありませんでした』となりました」

他にも「明るい会話が生まれた」「日常でリスペクトについて意識するようになった」という声がある。また、Netflixオリジナル作品以外にも、広がりがある。白石和彌監督は、リスペクト・トレーニングを知って、希望して「孤狼の血II(仮題)」に導入し、ピースマインド社が実施した(「変わらなければ日本映画に未来はない」白石和彌監督が映画『孤狼の血』続編で実践した“リスペクト・トレーニング”とは)。他社の作品だが、Netflixはこのトレーニングが広がり、日本の業界の環境が変わることを歓迎している。

コロナ下で激増した会員2億人をどう繋ぎ止めるのか?

Netflixは全世界190カ国以上に動画配信サービスを提供し、コロナ禍において、2020年の有料会員数は約3700万人増で、世界で2億人を超え、現在は2億800万人が会員だ。エンターテイメントへの継続的な投資を実現するため、値上げも実施した。ますますオリジナル作品を強化し、コンテンツの質を重視する戦略をとっているのだ。

Netflixオリジナル作品といえば、日本では韓国内より多く見られた「愛の不時着」が有名であり、日本発のオリジナル作品としては「今際の国のアリス」などがある。オリジナル作品は各国の制作パートナーと組んで作られ、190カ国に配信される。動画配信ビジネスは激戦区で、ウォルトディズニー社のディズニープラス、ワーナーメディアのHBOマックスなど老舗の追い上げもある中、「世界中の会員に毎月10から11ドルを払ってもらう」ために、オリジナル作品を質、量ともに提供していく必要があるのだ。

日本への投資も活発だ。日本にはアニメ制作の拠点を置いているほか、実写作品の撮影のために、国内最大規模の撮影スタジオ「東宝スタジオ」内のスタジオ2棟を複数年賃借し、実写作品の拠点とする。

また「バーチャルプロダクション」と呼ばれる、最新の映像制作技術を業界関係者向けに紹介するイベントを実施し、ロケに行かなくても、高解像度の巨大なLEDディスプレイに映る背景の前で俳優は演技し、クオリティの高い映像が生まれる撮影技術の導入を促す動きもある(Netflixが公開、もはやロケでもない「撮影現場のDX」…次世代スタジオ潜入)。

投資は映像処理技術やスタジオだけでなく、作品に関わる人たちの「QOL」、働き方やワークライフバランスも重視している。

「絵に投資するだけでなく、働く環境に投資することも、お客様にいい作品を届けることに繋がるというのが私たちの信条です」(Netflix小沢禎二さん)

Netlfixは各国の制作チームと組んだオリジナル作品に力を入れており、2017年からグローバルのすべての制作現場にリスペクト・トレーニングを入れている。他にもハラスメントを通報できるホットライン、長時間労働を防ぐための方策(撮影時間は12時間、仕事の間を10時間あける、週一回の休みなど)もあり、パワハラ、セクハラや過酷な長時間労働という、かつての「当たり前」を変えようとしている。

また、セクシャルな場面にはインティマシー・コーディネーターが活躍する。

日本では女性同士の恋愛を描く「彼女」で、初めてインティマシー・コーディネーターが導入された。インティマシー・コーディネーターとは、「性別に関わらず役者が裸/ヌードになるシーン、またヌードの有無に関わらず、擬似性行為や身体的接触のあるシーン、入浴シーン」について、スタッフと俳優の間の調整を行う専門職だ。

2017年に米国で始まり、ハリウッドでは一般的になりつつある。アメリカのインティマシー・プロフェッショナル・アソシエーション(IPA)のトレーニングを受けた日本人が担当する。キャストへのセクハラや、強要によるトラウマを未然に防ぐ効果があるのだ。

安心安全な環境から質の高い作品を

「キャスト・スタッフの皆さんが働きやすい環境、安心で安全である職場を作ることによって、いい作品が生まれる。そんな作品を届けたいという思いが一番強く根底にあります」(Netflix 小沢禎二さん)

ハリウッドで高名なプロデューサー、ワインスタインの長年のセクシャルハラスメントが暴かれ、逮捕された#metooをきっかけに、アメリカの業界は変わろうとしている。

日本はどうだろうか? 前述の「表現の現場調査団」によると「映画の撮影のためだと言って賃貸の部屋に入って来られ性交を強いられる」「殴る・蹴るの暴行を受け、それを撮影され、映画として公開された」などの生々しい声があった。

調査の回答者の半数以上がフリーランスで、立場が弱く、組合もないので、ハラスメントにあっても声を上げることができない。

しかしNetflixという黒船がきたことで、日本の業界も大きく変わるきっかけになるのではないか? リスペクト・トレーニングを受けない限り、撮影は始まらない。強い意志を感じる。

映画、ドラマは関わる人の数も膨大である。ハラスメントなどを未然に防ぐことは、作品そのものや関わる全ての人を守る意味もある。

例えば、独占配信をしたことでNetflixが飛躍するきっかけとなった人気シリーズ「ハウス・オブ・カード」だ。主演俳優ケヴィン・スペイシーの#metooによる降板、あわや打ち切りかという事態を経験している。長期の人気ドラマに関わる膨大な人たちが雇用を失い、作品のファンを傷つける。取り返しがつかないリスクである。

黒船だけでなく国内からも声がある。俳優の小栗旬さんは「“撮影スケジュール厳守”“時間厳守”というルール」を出演の条件として映画の制作サイドに申し入れているという(小栗旬「定時を守れ!」映画撮影で働き方改革、山田孝之らと“俳優労組”結成へ前進週刊女性2020年9月29日・10月6日)。

つまり「働き方改革」をしようとしているのだ。

映像の業界といえば、怒号が飛び交う、灰皿が飛んでくる、寝ないで働く...そんな武勇伝が誇らしげに語られてきた。「時間厳守や、いちいち指導とハラスメントの境目を気にしていたらいい作品ができない」という反発の声はあるだろうが、それは本当だろうか?

アジア初のアカデミー賞作品賞に輝いた「パラサイト 半地下の家族」(ポン・ジュノ監督)の現場には「標準労働契約書」(最低賃金と週52時間制などの取り決め)が導入されている。

働く人の「労働環境」を重視したNetflixの作品は第93回アカデミー賞において、計16作品・38部門にノミネートされている。「良い作品のために何が必要か」を問い直す時がきているのかもしれない。

次回はNetflixプロダクション・マネジメント部門小沢禎二さんへのインタビュー、「なぜNetflixはリスペクト・トレーニングをするのか?」を伺います。

参考サイト:

映画制作の未来のための検討会 報告書(pdfファイルへのダイレクトリンク)

ポン・ジュノ監督が述べた映画界の「標準労働契約」とは何か