原爆と国体:私たちは核兵器使用の意味を本当に知っていると言えるのか?

2016年5月27日のオバマ大統領広島訪問における「感動的」瞬間(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

 晩夏に広島で講演をする機会をいただき、平和公園を久しぶりに訪ねた。その地で、脳裏によぎったのは、2年前のオバマ前大統領の広島訪問の「奇妙さ」だ。オバマ演説のなかでは、誰が原爆投下をしたのか、その主体は曖昧化された。日本側は、その主体であるアメリカに謝罪を一切求めず、戦後の日米蜜月がひたすらアピールされた。

 この式典を貫いた奇妙さは拙著「国体論――菊と星条旗」(集英社新書)で述べた「戦後の国体」という視角から見てみると、鮮烈な意味を帯びてくる。

 国体とは何か。戦前においては、言うまでもなく天皇制ファシズム体制の基礎であった。しかし、敗戦後、アメリカは脱ファッショ化を図る一方、天皇制を維持・利用しながら占領を行った。その結果生み出されたのは、象徴天皇制のみではない。従来の天皇制の構造はそのままに、天皇に代わってアメリカが君臨するという「戦後の国体」と呼ぶべき体制が生み出された。

 これはアメリカが単独で編み出したものではない。日本側の旧ファシスト勢力は、占領者のご機嫌を取り結び、親米保守派へと生まれ変わって、戦後生き永らえた。拙著は、国体がこのように「菊から星条旗へ」と移行するプロセスを検証したものだ。

 では、この「戦後の国体」の形成において、アメリカによる原爆の投下はいかなる役割を果たしたのか。

 歴史研究が進んだ今日、原爆投下の最大の動機がソ連に対する牽制であったことは大方証明されたと言える。原爆の実験成功の報を受けたトルーマン米大統領は「できるとわかっていれば、スターリンに借りをつくらずに済んだものを」と口走ったという。

 「借り」とは、前任者ルーズベルトがヤルタ会談において、千島列島などの領有の容認と引き換えにソ連から対日参戦の密約を得たことを指す。つまり、東西対立構造が終戦前に早くも立ち上がる中で、戦後日本に対するソ連の影響力を極小化することこそが、アメリカの原爆使用の最大の動機であった。

 このことは、実際に大きな政治的効果をもたらした。原爆投下の直後に日本が降伏したことにより、アメリカは事実上の単独占領を実現し、戦後日本の設計においてほぼフリーハンドに近い権限を手にすることとなった。そして、いわゆる逆コース政策への転換以降、アメリカの占領政策は、日本の反共主義国家化を最優先課題に定め、親ソ勢力の追放と旧ファシスト勢力の復権が実行された。

 かくて国を破滅させた責を本来問われるべき旧ファシスト勢力は、親米保守派へと転身して支配者の座に戻ったのである。現在でもその末裔が権力の中枢を掌握して「戦後の国体」を護持し続ける。

 この勢力にとって、原爆投下はいかなる意味を持ったのか。振り返れば、それはまさに「天祐」であった。なぜなら、アメリカが戦後日本の在り方をほぼ単独で左右する地位に立ったことによって、彼らは首がつながったどころか、復権を果たすことができたのだから。その意味で、原爆投下は「戦後の国体」の形成の原点に位置している。

 してみれば、親米保守派にとって原爆投下は痛恨事でも何でもない。核兵器禁止条約の国連での採択と、核兵器廃止運動の国際的高まりに無視を決め込む安倍晋三首相に向かって、長崎の被爆者は「あなたはどこの国の総理ですか」と迫ったが、親米保守派が広島・長崎の期待に応えられるわけがない。

 だから、彼らがホスト役を務めたオバマ氏の広島訪問も茶番であるほかなかった。それを裏書きするように、安倍氏は直後の参議院選で、自民党のPR映像にオバマ氏訪問の風景を織り込むことまでしている。和解と厳粛な誓いのための場は、単なる選挙対策の手段へとすり替えられた。

 広島の苦悩、そして原爆の真実を伝えるために払われてきた努力の大きさを思うとき、私はこの政治の現状との落差に眩暈を覚える。この眩暈すら意識されなくなるとき、私たちに残るのはただ恥辱だけであろう。

※本稿は2018年10月27日『中国新聞』朝刊に寄稿したものです。