2017総選挙に寄せて――小池新党騒動から立憲民主党誕生へ、その意味を論ず

10月2日、結党が決まった直後の枝野幸男氏(写真:産経新聞社)。

小池新党の立ち位置

永田町の喧嘩(けんか)においては、確たるルールというものがない。ルールはないという「ゲームのルール」を知悉(ちしつ)しているのが、長年政権与党にいた政治家たちであり、その筆頭が「緑のタヌキ」こと小池百合子東京都知事である。

 本稿執筆の現時点で、政争の行き着く先はまだ見えない。しかし、大局的な構図から見れば、投票後の結果まで含めて、今回の選挙戦の意味はすでに見えたと言える。以下、その意味を論じてゆく。

 民進党を解体へと追い込んだ小池新党とは、どういうものなのだろう。ひとことで言えば、もう一つの自民党である。同党が民進党議員に対して当初提示した、合流(その内実は吸収合併である)の条件がすべてを語っている。すなわち、一、憲法改正に賛同すること。二、「現実的な外交・安全保障政策」に賛同する、より具体的には新安保法制を容認すること、である。これらに加えて、9月27日の小池の党首就任会見では、「脱原発」と「消費税率アップの凍結」も掲げられていたが、こちらは重要政策であるはずにもかかわらず、希望の党から公認を得る条件とはされなかった。

 この一事が、小池新党の本質と今次の政争の本質を何よりも雄弁に物語っている。改憲と外交・安全保障という条件設定が意味するのは、長年自民党が運営管理してきた特殊な対米従属レジーム(=永続敗戦レジーム)を今後も永久に護持することに異を唱えるな、ということだ。長島昭久や松原仁といった民進党から逸早く逃げ出して小池百合子の威光にすがろうとした面々、そして小池と共謀して民進党を自壊させた前原誠司の政治スタンス(無条件的な親米保守主義、つまり自民党議員モドキ)が、小池新党の中核的本質が何であるかを裏書きしている。

 このような観点からすれば、小池のスローガン「リセット」が、安倍晋三の掲げてきたスローガン「戦後レジームからの脱却」と似ていることも注目に値しよう。筆者はこれまで、安倍の掲げる「戦後レジームからの脱却」の内実は、「永続敗戦レジームとしての戦後レジームのなりふり構わない死守」であると規定してきた。「なりふり構わない」というのは、永続敗戦レジームが東西冷戦対立の産物であり、その終結とともに基礎を喪(うしな)って空中楼閣となってすでに久しい以上、これをさらに存続させることが困難となっており、その無理を通すために政治手法がますます強引になっているためである。

 その代表が、集団的自衛権の行使容認の閣議決定であるが、これはあまりにも重大な憲法解釈の変更であるがゆえに、閣議決定で実質的な改憲を行ったに等しい。また、特定秘密保護法や共謀罪の成立は、こうした死に物狂いの政治手法に対する不満や抗議の表明に対して、圧力を加える手段を与える。

 小池と安倍のスローガンを足して二で割れば、「戦後レジームをリセットする」ということになろうが、それは、戦後民主主義におけるさまざまな社会的合意(小池いわく、「しがらみ」)をすべて御破算にしてまで永続敗戦レジームを守り抜く、という方針を意味するであろう。

 かくて、小池・安倍の同質性は明らかであるが、してみれば、小池新党なるものの登場は、永続敗戦レジームを持続させるための一種のメンテナンスを企図していたと規定できよう。安倍政権が、いわゆる1強体制による緩みをここかしこで露呈させ(あまりに傲慢な国会答弁、そしてモリカケにおける縁故主義等)国民の不満が高まっているので、それをレジーム自体への疑義へと発展させぬよう、手入れを施すわけである。

「永続敗戦レジーム2・0」

 だが、今次の政変は、「ちょっとしたメンテナンス」にとどまらない内容を含むことになった。小池・前原ラインによる「選別と排除」は、進展するにつれて、「安倍1強を終わらせる政権交代」ではなく、民進党内の左派・リベラル系議員の政治的抹殺、それによる「保守二大政党制」の確立を目的とすることがはっきりしてきた。彼らの考えによれば、「政権交代が可能な(=健全な)二大政党制」が成立するためには、新安保法制――それは自衛隊の米軍の補助戦力化へと途(みち)を開く――に象徴される異様な対米従属を相対化しようとする意志を持つ政治勢力は存在してはならない、というのである。無論、これまでも対米従属批判派は少数派(共産党と民進党の一部議員)であり続けてきたが、それをも抹殺しようという企(たくら)みにほかならない。

 思えば、1990年代の小選挙区制導入による政治改革がなされたときも「保守二大政党制」が語られ、実際に鳩山由紀夫に率いられた民主党は、革新色を出す代わりに中立的(内実はゴタマゼ)スタンスによっていったんは政権を奪取した。象徴的なことには、その鳩山政権が挫折したのは、不健全な対米従属構造の歪(ゆが)みが集中する場である沖縄米軍基地問題においてであった。

 辺野古の新基地建設問題に踏み込むことは問題の核心に踏み込むことであるという自覚が不足していたために、レジームの激しい自己保存衝動を喚起して弾(はじ)き飛ばされてしまったということを、鳩山本人が今日詳(つまび)らかにしている。そして、鳩山退陣後の民主党政権は、当初持っていた対米従属の相対化という路線から離れてゆくが、今日再び「保守二大政党制」が語られているのは、それでも民進党のなかに残存してきた「鳩山由紀夫的なもの」を、今回の政変を通して一掃したいがためである。

 この策動が成功するならば、そこに現れるのは、本家の自民党と第二自民党が疑似的に政権交代しうるにすぎないレジームであり、言い換えれば、それは本質的な意味での政権交代が生ずる可能性が一切失われたレジームである。それを証するように、小池新党の人気に早くも陰りが出るや否や、選挙後の自民党との連携・連立が半ば公然と語られている。

 かくて、親米保守支配層は、安倍政権の腐敗堕落・支持低下という永続敗戦レジームの危機を奇貨として、そのヴァージョンアップを図ろうとしている。言うなれば、それは不純物を排した「永続敗戦レジーム2・0」であり、そこでの二大政党はアメリカへのすり寄りの度合いの高さを競い合うことになるであろう。そして、そんな構造に異を唱える者は、「排除」されなければならない、というのである。

 なお、「策動」や「ヴァージョンアップ」といった言葉から、陰謀を想定してはならない。このような変化を起こすことが、例えば米国防総省やCIAのどこかのセクションで決定され、その指令に従って小池や前原が蠢(うごめ)いている、という証拠はどこにもない。永続敗戦レジームとは、特定の司令塔によって操縦されているものではなく、免疫系のごときシステムとしてイメージされるべきである。なぜならそれは、誰から命令されたわけでもなく、対米従属を相対化しようとするあらゆる動きに対して敏感に反応して排除するからだ。その具体的な担い手は、政官財学メディアに張り巡らされた利権共同体である。

「立憲民主党」を全力で潰す動き

 幸いにも、このヴァージョンアップには待ったがかけられた。枝野幸男による立憲民主党の起(た)ち上げである。枝野新党が起ち上がることに対して、「永続敗戦レジーム2・0」の樹立を策動する者たちがどれほど嫌がっているかは、民進党のブレーンを務めてきた山口二郎(政治学者)の証言が露(あら)わにしている。山口のツイート(後に削除)によれば、「(10月)2日朝、前原さんは私に電話してきて、民進党出身者200人以上を希望の党から立候補させられる、政策も従来の民進党の路線と齟齬(そご)がない形の書きぶりにできた、だが枝野が分派したらすべてはぶち壊しになる、(だから何とか止めてほしい:カッコ内は私(山口)の受け止め)と言った」。

 つまり、小池が当初示した「選別と排除」の基準を下げて大幅な妥協をしてでも、自民・希望の両者に対抗する勢力が組織的に確立されることを阻止したかったのである。

 上述のような小池・前原による政変の狙いを理解すれば、彼らが現時点では急造の弱小政党にすぎない立憲民主党を全力で潰しに行った――言い換えれば、ことほど左様に恐れている――道理も十分理解可能である。

 立憲民主党の確立は、その意義をほかならぬ同党自身が見失わなければ、第一自民党と第二自民党が構成する「永続敗戦レジーム2・0」を無効化し、「永続敗戦レジームの管理者・利得者」対「永続敗戦レジームへの対抗者」という今日の状況にふさわしい真の政治的対決の構図を出現させうるからである。

 現時点での世論調査が示すところによれば、有権者の多くがますます安倍政権を支持することをやめている一方、自民党が相対的に最も支持されている政党であり続けている。つまり、最も平均的な有権者の考えは、「安倍晋三にはもう退場してほしいが、自民党政権は続いてほしい」というものだと言える。

 したがって、自民党は、現有議席を確保できるかは微妙であるが、過半数議席を劇的に割り込むという事態も起こりそうにない。希望の党は、どれほど得票できるのかは非常に読みづらいものの、安倍退陣の要求を実現させれば「政権交代の大義」を疑似的に全うしたことになり、政権参画を正当化できると判断するであろう。選挙に勝っても安倍の政権運営は、必ずしも安定感を得られそうにない。以上から、最も蓋然(がいぜん)性の高い総選挙後の政権枠組みは、自民・公明・希望・維新(これらを「広義の自民党」と呼ぶことができる)のうちの二つから四つの勢力による、安倍晋三を首班としない連立政権である。

中途半端な「民進党」には戻るな

 立憲民主党と共産党のブロックは、永続敗戦レジームへの挑戦者として、この「広義の自民党」のブロックに対抗するものとして位置づけられる。まともな政治的対決の構図がようやく形成されるわけだが、筆者からすれば、「やっとか」という感が強い。こうした構図が出現しなければならないことは、2013年に出版した『永続敗戦論』から容易に推論できることであり、16年春に出版した『戦後政治を終わらせる』では、その理路をより具体的に明らかにして提言した。

 大局的な構造は、鳩山政権の挫折後、菅政権を経て、野田政権が「第二自民党化」を深めていった時点ですでに十分露わになってきていた。すなわち、野田政権以来、民主党の主流派は永続敗戦レジームの補完勢力、あるいはその構成要素にすぎない、ということが明白になったのである。

 したがって、鳩山政権の挫折と3・11原発事故によって露わになった戦後民主主義の危機を真剣な意味で乗り越えようとする意志を持った民進党内の左派・リベラル勢力は、対米自立を図り、新自由主義を拒絶する党へと脱皮を図らなければならなかった。同党を永続敗戦レジームのなかで利権のおこぼれを漁(あさ)りまわる雑魚として存在させるのか、このレジームを葬るために決起する党へと生成させるのか、決断せねばならなかった。そして、それを行うためには、同党から主流派を追い出すか、あるいは無力化するという困難な仕事をやり遂げなければならなかった。

 しかるに、民進党内左派・リベラルは、15年の新安保法制の問題に際しては、世論を後ろ盾として自民党政権の対米従属に対する批判へと党を駆り立て、共産党との共闘路線へと踏み出させた。

 にもかかわらず自らを永続敗戦レジームに対して決起する主体たらしめる行動を延期し、永続敗戦レジームの補完勢力と永続敗戦レジームへの批判者とが同居しているという矛盾のなかに安住し続け、(北海道や新潟といった共闘路線を深めた一部地域を除き)徒(いたずら)に時間を空費した。

 そして、今回の政変は、この中途半端な状況についに終止符を打った。前原らが先に仕掛けたことによって、左派・リベラルは決起せざるを得ない状況に追い込まれたのである。

 ただし、われわれは最大限の注意力を持って警戒する必要がある。

 この決起は真正の決起となるのか否か。連合主流派の「反共主義」への狂気じみた固執、立憲民主党に勢いが出るや否やすり寄ってくる「議員の生活が第一」をモットーとする政治ゴロ。これらの夾雑(きょうざつ)物は、立憲民主党の規模を大きくするが、それは同党が本来帯びるべき性格を水で薄め、結局は中途半端な元の民進党の姿へと揺り戻そうとするものにほかならない。

 3・11以降発展してきた広範な市民運動は、立憲民主党がこれらの障害を乗り越えて永続敗戦レジームを打ち倒す勢力へと生成するよう後押ししなければならない。

※本稿は、「サンデー毎日」10月29日号に掲載されました。