安倍政権、改憲こそ究極の「権力の私物化」である

「昭和の妖怪」も孫の前では……(写真:le monde社)

 安倍政権をめぐって「権力の私物化」が批判の焦点となってきた。森友学園問題は国有資産の払い下げに、加計学園問題は省庁の許認可権限に関係するものである。その意味で、疑獄事件としては古典的な構図を見て取ることができるのであり、長期政権化や、いわゆる「一強」体制となっているといった、政治腐敗を生む典型的な要因が作用している。

 安倍氏の主観としては、「戦後レジームからの脱却」をめざして、憲法改正の大業を「天命」と心得ているというのに、実につまらない事柄が足を引っ張っている、と感じているのかもしれない。しかし、安倍氏が目指す憲法改正こそ、「権力の私物化」の最たるものにほかならない。

 というのも、第2次安倍政権の発足以来、改憲の内容をめぐる総理のスタンスはぶれ続けてきた。2014年初め頃までは、憲法改正手続きに関わる96条の改正を盛んに唱えていたが、やがてそれは封印され、15年末頃からは国家緊急事態条項の盛り込みを唱え始めた。さらには、今年の憲法記念日には、9条に自衛隊の存在を明文化する3項を追加する(しかも、20年施行という期限を定めて)という主張を唐突に打ち出した。また、大学教育無償化を憲法に書き込むという話もいつの間にか加わってきた。

 つまり、一貫しているのは「とにかく憲法を変えたい」ということだけである。この執念の根源には、安倍氏の祖父であり、熱心な改憲論者であった岸信介氏の後継者であるという自負があると思われる。しかしながら、この自負は岸氏に対して失礼である。「昭和の妖怪」とも呼ばれた岸氏は、その功罪について論争含みの存在でありつつも、知的意欲に富んだ、広い視野の持ち主であった。

 これに対して安倍氏は、ポツダム宣言を読んだことがなく、同宣言と原爆投下の時系列も理解していない(『Voice』、2005年7月号)という事例に見られるように、その知的貧困は一国の指導者として許容し得ない悲惨な水準にある。自らの知的不能性を観念的に解消するために、「偉大な祖父」がやり残した仕事(=改憲)をわけもわからないまま受け継ぐと称する行為は、究極の「権力の私物化」である。

 こうした行為を恥ずかし気もなくやれるのは、安倍氏の特権階級意識のなせる業であろう。名門政治家一族の一員として、生まれながらの指導的地位を自明視しているわけである。特権は、それが社会に貢献するもの足りうるには、特権者としての自己に対する厳しい義務意識(ノブレス・オブリージュ)に裏づけられていなければならないが、泥沼のような無知に安住する安倍氏には、このような意識も見出すことができない。

 ただし、右のごとき状況が不正であるのは、日本が近代国家であると仮定する限りにおいてである。かつてのフランスがブルボン家の、ロシアがロマノフ家の持ち物であったのと同様に、戦後日本が、岸家や佐藤家、安倍家の持ち物であるのならば、安倍晋三個人の欲求のために、国家や国民が奉仕させられることに何の矛盾もない。いま問われているのは、この国の民衆に自尊心はあるのか、ということだ。

※本稿は、「京都新聞」7月21日夕刊に寄稿したものです。