私は当コラム(6月7日付)で、関西経済連合会副会長で阪急阪神ホールディングス会長でもある角和夫氏の発言を取り上げた。同氏は、関西電力高浜原発3・4号機(福井県高浜町)の再稼働差し止めをめぐる訴訟で、大津地裁が運転停止の仮処分を決定した(3月9日)ことに対して猛反発し、「なぜ一地裁の裁判官によって、(原発を活用する)国のエネルギー政策に支障をきたすことが起こるのか」、「こういうことができないよう、速やかな法改正をのぞむ」等と発言した。

これを知った私は、次のように論じた。角氏らが自由民主主義社会の基本原則としての三権分立を理解していないのだとすれば、「彼らは中学生程度の社会常識を欠いている」と。また、行政権力と一体化しているごとき彼らが、自分たちにはこの原則を公然と無視する権利があると考えているのであれば、彼らは極度の傲慢と極度の卑屈によって精神を蝕まれている」と。

この阪急・角発言は、SNS等でもかなり話題になった。だが、「関経連の懲りない面々」は、7月13日の記者会見で再び次のような主張を打ち出した。会見で、森詳介・関西経済連合会会長(関西電力前会長)は、「仮処分は民事で扱わない、特定の裁判所でやるとか、いろいろな方法がある」と指摘。「国のエネルギー政策とかかわる原発の運転をめぐる問題は仮処分申請を認めず、知的財産権を専門に扱う知財高裁のような特定の裁判所で扱うべきだなどとした」と報じられた。同席した角氏は「原発を動かす、動かさないは行政訴訟に限定するなど、やり方はある」と述べたという。

「司法はウルセー、黙ってろ」と言わんばかりの主張は若干トーンダウンされたように見えるかもしれないが、本質は変わっていない。森会長いわく、「司法リスクを限りなく小さくする必要がある」とのことで、司法権力が行政権力と異なる判断をすること自体が、彼らにとっては「リスク」として認識されている。

確かに、行政権力が打ち出す方針(原発再稼働)と司法権力が示す判断が矛盾する状態は、経済活動を営むにあたってリスクであるに違いない。しかし、福島第一原発の事故を契機として、原発に対する国民の不安が爆発的に増大しただけでなく、原発推進の歴史に注目が集まることにより、「原子力ムラ」の杜撰さや強引さが暴露され、彼らへの嫌悪感が高まったなかで、こうしたリスクが顕在化することは畢竟不可避である。

この自明なリスクを考量した経営方針(すなわち、原発に依存しない経営)を展望できないのならば、経営者としての資質を疑われるほかない。さらに彼らは、「司法リスク」をなくするために三権分立を危険にさらすルール変更を唱えているわけだが、それは責任転嫁にすぎない。

右から明らかであるのは、真に存在するのは「司法リスク」などではない、ということだ。本当のリスクは、こうした当然のヴィジョンを持たない人々が、経済界の主として君臨していることに存する。71年前の敗戦は、結果として各界での人材の代謝を促した。3.11という第二の敗戦も、同じことを要求しているのではないか。

※本記事は「京都新聞」8月24日夕刊に掲載されたものです。