政治の根本転換を見据えよーーいつまで騙され続けるのか? 「TPP大筋合意」に思う

『永続敗戦論』を上梓して以来、各所から講演に呼ばれる機会をいただき、北海道から沖縄まで、さまざまな地方に出向く機会を得た。県庁所在地に呼ばれる機会が多いのだが、ほとんどいつも目にする同じ光景がある。県庁所在地の中心部には大抵その地域の農協本部の大きな建物が立っている。そしてそこには、「TPP(環太平洋連携協定)断固反対」の巨大な垂れ幕がかけられているのだ。

率直に言って、私はこれを見る度に、苦笑を禁じ得ない。私は心の中で呟く。「TPP断固反対、大いに結構である。だが、それを言うあなた方は先の総選挙で誰に投票したのか?」、と。実際、2014年の衆議院議員総選挙において、北海道の場合でも、12の小選挙区のうちの9つで与党が勝利しており、比例代表北海道ブロックでも与党の得票率は40%を越えていた。つまり、多くの有権者が政府与党を支持した結果が今年10月の「大筋合意」なのである。

もう少し時間をさかのぼってみよう。2012年の総選挙当時、自民党は「ウソつかない。TPP断固反対。ブレない」と大書したポスターを全国で掲出し勝利、政権を奪還した。しかし、発足した安倍政権はあっさりと公約を反故にし、2013年3月15日TPP参加を表明する。この「変節」は、私から見て何ら驚くべきものではなかった。なぜなら、安倍政権の全般的な政策スタンス(極端な対米追従路線)に鑑みれば、彼らが日本の有権者との約束を破って米国と財界が要請する政策に迎合するに違いないことは、自明であるからだ。安倍首相がどの方面に忠誠を誓っているのかを考えれば、この「変節」は変節ですらない。「変節漢」の汚名をも恐れないほどの見事なまでの忠義ぶりなのである。

そして、2014年12月に再び総選挙が行なわれた。与党は、TPPについての立場変更を何ら総括することもなく、「交渉のなかでの国益の防衛」という御題目を唱えるのみで、自民党のマニフェストにおいてはTPPに言及することすらしなかった。与党系の各候補者は、特に農村部でこの問題を攻め立てられ、四苦八苦していたと伝えられる。

早い話が、誤魔化しなのである。2014年の総選挙期間中、政治家たちは言っただろう。「私個人としてはあくまでTPP反対であるが、首相が決断した以上、一歩も退かない交渉をさせて農家の皆さんの不安を必ず解消させる」云々、と。有権者の多くがこうした遁辞を信じて与党に票を投じたのだとすれば――選挙結果から察するに実際そうだったのであろう――、私はその人たちに率直に訊ねたい。「あなた方は一体いつまで騙され続けるつもりなのですか?」、と。

事の成り行きは、全くの茶番にほかならない。本来ならば、2013年3月の「変節」は、それだけで内閣が吹き飛ぶような重大な裏切りである。にもかかわらず、自民党議員の誰一人として、この裏切りに本気で立ち向かった者などいなかった。つまり、最初からすべてはある意味で仕組まれている。選挙期間中飛び交う聞き心地の良い言葉の目的は、有権者を騙し愚弄することで、政治家が議席や既得権益を死守すること以外には、何もないのである。ゆえに、ポスターの三つの言葉、「ウソつかない。TPP断固反対。ブレない」のうち「ブレない」だけは本物である。有権者を騙し切り捨ててもひたすらに米国追従を貫くことで自分たちの権力を維持しようという姿勢には、全くブレがないのである。

事ここに及んでも有権者が何が問題なのかを理解せず、理解しようともしないのであれば、何も言うべきことはない。茶番の本当の主人公は、有権者そのものだったという事実が残るのみである。しかし、危惧されているように、TPPが先祖たちが努力と工夫を積み重ねて築いてきた生業を根底から破壊し、国土の健全性や食糧安全保障といった短期的金儲けよりもはるかに重大な事柄を危機に陥れるならば、それは茶番と呼んで済ませられるものではない。

それにしても、日本の政治はいつからここまでの堕落・劣化に陥ってしまったのだろうか。その事情を、政治学者の中野晃一上智大学教授が『右傾化する日本政治』(岩波新書)という近著のなかで説明している。同著にいわく、戦後長らく続いてきた日本の保守政治は、近年その内実を根本的に転換した。すなわち、1955年の自民党結成からおよそ1980年代初頭まで、保守権力は、経済成長を実現する開発主義と、その果実を工業ほどには近代化できない領域(典型的には農村)に分配する恩顧主義、という二つの柱に依拠して安定を実現していた。しかし、バブル経済の崩壊に象徴されるごとく、永遠の経済成長の夢が終着駅に到着したとき、この構造は維持し得ないものとなり、保守権力は、グローバル市場経済の侵略を促進する新自由主義と、それによる痛みを観念的に解消する国家主義、という新しい二本柱に依拠する方向へと舵を切ったのだ、と中野氏は分析している。

自民党政治の変質とは、より簡潔に整理するならば、こういうことだ。すなわち、その方法に批判はあったものの、かつての自民党は「みんなを何とかして食わせる」ことを真剣に追求していた。しかし、上述の転換以降の自民党は、もはや「みんなを食わせる」という目標を放棄しているのである。「みんなを食わせる」ことを実現していることが自民党の存在理由だったとして、それを実行する能力がもはやないのならば、彼らは潔く自ら身を退くべきである。しかし、彼らはそれをしないどころか、グローバル資本に有形無形の国富を切り売りすること(TPPに代表される新自由主義政策)によって、これまで維持してきた権力をさらに保持し続けることを、有権者に対するその場しのぎの虚言を弄してまで追求している。こうした構図こそ、この間の政治過程を通じて明らかになった現状ではないのか。彼らは、いままで「みんなを食わせ」てきてくれたかもしれない。しかし、彼らにもはやその意思はないということ、このことに有権者がいい加減に気づかない限り、この国に未来はない。

無論ここで問題なのは、こうして自民党を見限ったとしても、民主党の内実もさして変わらないという事情である。だが、そのような政党政治の全般的堕落を許容しているのは、自分たちが騙されて食い物にされつつあることを自覚しようともしない有権者にほかならないのである。