戦後レジームと戦う人々へ――安保法制後の「永続敗戦論」

2015年9月14日国会前

・新安保法制闘争のバランスシート

新安保法制は通ってしまった。その意味で、筆者を含む反対運動を展開してきた勢力は敗北した。しかし、昨年の新しい憲法解釈の閣議決定(7月)ならびに年末の総選挙における与党勝利の時点で、新安保法制が通ってしまうこと自体は十分予測できる事柄であった。したがって、勝敗以上に重要なのは、敗北の過程で何が生じたのか、社会がどのような化学変化を起こしたのか、ということにほかならない。

SEALDsに象徴されるように、若年層が3.11以降表面化した危機を察知し、抗議の声を上げ始めたことは、多くの報道機関が報じている通りである。筆者も東京や関西で何度か彼らの主催する抗議行動に参加したが、脱原発運動と比べて、若年層の参加が増えていることは確かであるとの感触を得た。だが、新安保法制反対運動においてそれ以上に印象的であったのは、いわゆる「普通のサラリーマン」の参加が増えているのではないか、ということだ。私がその場に居た9月14日月曜日、その夜も警察は国会前の抗議者の大群を無理矢理に歩道内に押し込めようと四苦八苦していたが、所々で柵は決壊し、国会前の路上は群衆によって埋め尽くされた。「戦争反対!」「安倍は辞めろ!」というコールが誰の指揮もなしに、地鳴りのように鳴り響いた。学生や時間に余裕のある退職者だけでなく、帰宅途中の会社員と思しき人々の「これを言わずにいられようか」という切実な思いがそこには確かにある。

この大量動員が成功した14日以降、警察による道路警備はより一層厳しくなったが、このこと自体が権力側の「恐れ」を示している。ツイッター上の落書に次のような傑作がある。「デモにも行かず選挙にも行かず、残業にも不眠にも負けぬ丈夫な体を持ち…政府の増税にも決して怒らず…1日にバラエティ番組3時間と少しのCMをみて。政治運動する人あれば右翼だと罵り、反原発の声を上げる人あれば左翼だとレッテルを貼る。そういう無関心な、経済奴隷に、私はなりたくない」。「経済奴隷」を「社畜」と言い換えてもいいだろう。新安保法制をめぐる異常な政治状況(すなわち、堂々たる違憲立法)を通じて、無数の人々が、まさにこのような「経済奴隷」「社畜」であることに、もはや我慢がならなくなっている。そのような人々が、警察の指示を撥ね返して路上を埋め尽くした。無論、ほんの数時間路上が「解放区」となったこと自体に意味はない。しかし、そこに生じる光景は、奴隷であることに甘んじるのを拒んだ民衆が何を為しうるかの象徴となる。ゆえにこそ、権力の側は、この光景の画を撮られることを小心翼々とも言うべき姿勢で恐れている。

作家の平野啓一郎氏は言った。「次世代の絶望を想像できないのか」、と。これは、新国立競技場建設をめぐっての発言だが、同じことは、原発の問題、安全保障の問題等々、この国の抱えるほとんどすべての問題にあてはまる。「美しい国」(安倍晋三)ならぬ「恥ずかしい国」へとまっしぐらに突き進んでいる現況があるなかで、若年者に向かって「絶望するな」と説くのはあまりに白々しい。それにもかかわらず、「私たちは絶望しない、絶望している暇などない」と堂々と語り出す若者たちが現れた。彼らを「絶望の国」の住人にしてしまったのは、年長世代である。彼らの呼び掛けに応える義務が年長世代にはあるが、今日ますます多くの人々がそのことに気づきつつある。

・地殻変動は起きているか?

私は、こうした動きが社会の地殻変動につながりうると見ている。逆に言えば、地殻変動にまで到達しなければ、亡国の事態は不可避となる。政治、経済、学問、メディアといったあらゆる社会領域で進行してきたこの国の「劣化」は、3.11福島第一原発の事故によって一挙に表に現れた。それは、無数の人々の生活を直接に破壊し、端的に国を亡ぼしかけた。現状で事故の進行が一応食い止められているのは、全くの幸運にすぎない。しかし、それにもかかわらず、原発推進政策の転換が図られないばかりか、事故の責任者の刑事的処罰すらも行なわれないという異様そのものの状況がいまも続いている。

この国の政治的および経済的権力中枢がこの危機に対して取っている手段は、「開き直り」である。原発事故によってあらためて表面化した「戦後民主主義」の無残な内実、「平和と繁栄」の外皮によって隠されていたどす黒い実質に恥も外聞もなく開き直ろうというのである。この開き直り精神は、新安保法制の上程前後の過程において、新安保法制の議論と並行する形でますます露骨に前景化してきた。

例えば、福島第一原発事故の補償をめぐって、政府は補償を打ち切る姿勢を急速に鮮明化させてきた。「政府は6月12日、「避難指示解除準備区域」と「居住制限区域」の2区域(約5万5000人)に対する避難指示を2017年3月までに解除し、両区域の避難者の精神的損害に東電が支払う賠償(慰謝料)は18年3月末で終了する方針を発表した。さらに東電は、商工者向けの営業・風評被害に対する賠償は2年分を一括で支払い、その後は原則打ち切る。(中略)避難指示解除の目安となる放射線量について、政府は年間20ミリシーベルトを「確実に下回る」ことを要件とした。しかし、被災者の間では「高すぎる数値で安全性は確保できない」との見方が圧倒的だ」(8月17日、ロイター)。要するにこれは、20msv/年を下回る被曝による被害は被害として認めず――どんな被害が現実に現れたとしても――、切り捨てるという方針である。

そして、新安保法制、さらにその背景をなす「積極的平和主義」なる方針と密接に関わる形で、経団連が9月10日に武器輸出を国家戦略として推進すべきとの提言を公表し、これとまさに同じタイミングで「防衛装備庁」の発足が発表された。「日本が再び軍国主義に走るなど絵空事だ」という戦後日本に定着してきた「常識」は、いま脆くも崩れ去ろうとしている。確かに、「戦後レジームからの脱却」は進行しているのである。その方向性は、無論対米従属を前提としており、かつての大日本帝国への回帰ではないが、戦後民主主義と呼ばれてきた価値観(基本的人権の尊重、平和主義等々)に対する正面からの否定を志向するものである。

いま、3.11から2年半を経てようやく社会全般に広がろうとしているのは、かかる現状に対する危機意識である。この流れを食い止めるには、ここ20年繰り返し叫ばれてきたまやかしの「改革」や小手先の変革など何の役にも立たない。あの悲惨な敗戦を導いた日本の病理――丸山眞男が「無責任の体系」と呼んだもの――が、敗戦と戦後の占領改革を経てもなお、社会のど真ん中において生き延びているという事実に国民は直面させられており、このことを認識するところからしか語の本来の意味での「戦後レジームからの脱却」は決して果たし得ないことに、多くの人々が気づきつつある(この論点については、拙著『永続敗戦論』2013年、太田出版、を参照されたい)。

思えば、あの占領期において、占領軍のうちで民主主義改革を主導したのは、ニューディーラー左派に率いられた民生局(GS)であった。他方、逆コースの流れが強まるなか、参謀第二部(G2)がGSとの激しい闘争の末に主導権を奪い、民主化よりも反共化が重要視されるに至る。G2の軍人たちにとっては、日本の民主化はほとんど御題目以上のものではなく、日本を反共の砦とする方針が米国の国益のために追求された。その過程で、戦前戦中の保守支配層は復権する流れをつかみ、その流れのなかから権力を固めた勢力が今日に至るまでこの国の権力の中枢を占拠し続けているのである。G2的なるものとしてのアメリカは、旧ファシスト支配層に自らの格好のパートナーを見出したのであり、いまもなおそうである。

してみれば、安倍流「戦後レジームからの脱却」が企てられるのは、時間の問題であったと言うべきかもしれない。戦後の民主主義改革をそれなりの真剣さで追求したGSは、政治闘争に敗れ、そして去って行った。残ったのは、G2の代理者としての旧支配勢力である。GSの遺産の守り手として機能してきた革新勢力の衰退を経たいま、G2の力を押しとどめる現存の勢力は存在しなくなってしまった。ゆえに、「戦後レジームからの脱却」は、自民党による新憲法草案において明瞭に認められるように、具体的には占領改革の成果に対する骨抜きとして企てられつつある。彼ら、戦後レジームの主役たちは、時計の針を1945年8月以前に戻しながら、かつ対米「従属」を超えた隷従へと走っている。対米従属の下でのミニチュア軍国主義。まさに、G2の代理人にふさわしい国家方針である。

誰がこの流れを止めるのか? とうの昔にGSは帰ってしまった。結局のところわれわれがやるしかない、という至極当然の事実を、いま日本国民は自覚しつつあるのだろう。占領軍によって民主主義革命をやってもらうという構図に、そもそも無理があったことは否めない。われわれが、われわれの頭脳と、われわれの手で、われわれの民主主義革命をやり直さなければならない。それは、政官財学メディア等のあらゆる領域での異議申し立ての嵐によって始まるはずだ。この地殻変動が生じるか否かに、この国の命運が懸っていると言っても、全く過言ではない。

・着手すべきこと

右のような議論は、この度上梓する『「戦後」の墓碑銘』(金曜日)という著作でも主張した論点である。同書は、筆者が折に触れて書いた時事的文章を数多く収めているが、いずれの文章も、『永続敗戦論』によって示した構図から、『永続敗戦論』以降に起きた社会的事象、政治的出来事を読み解いている。そのなかには第二次安倍政権に対する分析も多数含まれているが、率直に言って、ポツダム宣言を読まず、移民と難民の区別もつかないという末人的宰相について多くの文章を書くのは大変な骨折りであった。この人物とそれを支えるものどもの極度の低劣さに辟易しつつ、それでも多くの分析を実行したのは、安倍政権という存在が戦後70年の日本の歩みがたどり着いた一つの到達点を示しているからである。それは、現在の日本社会の劣化の反映であり象徴なのだ。

『「戦後」の墓碑銘』(2015、金曜日)
『「戦後」の墓碑銘』(2015、金曜日)

http://www.kinyobi.co.jp/publish/index.php

当座のわれわれの課題ははっきりしている。安倍政権はある意味では戦後の総決算として現れた。安倍がやっていることは、その存立根拠を冷戦構造の崩壊と同時に、つまりはるか25年も前に土台を喪った永続敗戦レジームをさらに無理矢理もたせようとする本質的に不毛な努力である。土台のない建物を無理矢理立たせようというのだから、強引な手段も必要になっている。閣議決定によって実質的に憲法を変えてしまう(集団的自衛権の行使容認)などという手法は、その表れである。このレジームは、その断末魔の叫びを上げながら凶暴化している。彼らの強引さは、その強さではなく、根本的な弱さを意味している。あと一突きで、「戦後レジーム」は本来的な意味で脱却可能になる。

そのプロセスにつながりうるものとして、新安保法制成立後に日本共産党が広範な野党共闘の呼び掛けを行なったのは、重要である。いままさに社会の地殻変動は生じつつあり、政党はそれをとらえなければならないという提案である。案の定と言うべきか、民主党議員のある勢力(すなわち、前原誠司、野田佳彦、細野豪志、長島昭久等)の一部は、「そんなことは出来ない」という声を早々と上げた。これに対して失望の声が広がっているようだが、失望には当たらない。民主党政権時代にはっきりしたように、これらの面々は永続敗戦レジームの補完勢力、つまり傀儡勢力の二軍(一軍=自民党)にすぎず、期待する方が最初から間違っている。問題は、岡田克也民主党党首がこれらの勢力を党外へ放逐することを覚悟して、永続敗戦レジームと戦うための戦線を構築する――沖縄で翁長知事誕生という形で実現したように――だけの肚を決めているのか、というところにある。

なお、古賀伸明連合会長も、前原らと同じ反応を示した。岡田党首にしても、右に述べた覚悟がないのならば、同じことである。これらの「リーダー」たちに民衆が言うべきことはただ一つだ。「とっとと消え失せろ」。このメッセージを圧力として政治家に届けることが、われわれがいますぐに実行できる行動にほかならない。

※「サンデー毎日」2015年10月18日号掲載