Yahoo!ニュース

東京五輪のバッハ会長「誰もが犠牲」発言は翻訳ミスでは? 同じ会議で「全員の安全と安心は最優先」とも

篠原修司ITジャーナリスト/炎上解説やデマ訂正が専門
(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

 国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長が5月22日、「五輪のために誰もがいくらかの犠牲を払わないといけない」と発言したとして、SNSを中心に批判が相次ぎ炎上しています。

 また、批判はSNSだけにとどまらず、立憲民主党の枝野幸男代表も23日の富山県連大会で、「命を犠牲にしてまで五輪に協力する義務は誰にもない」と疑問を呈したとのことです。

 これらの流れを見て思ったことは、「本当にそんな発言をしたのか?」です。

 “オリンピックを開催したい人”が、開催について批判もあるなかで「感染するかもしれないけどお前らみんな犠牲になれ」とは言わないと思うんですよね。そんなのただのアホじゃないですか。

 というわけで原文を当たりました。

原文はインドメディアの報道か

 まず、日本語での初報はデイリースポーツのこちらの記事です。

バッハ会長も五輪予定通り開催強調「最後のカウントダウン」コーツ氏発言を“後押し”(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース(5月22日22時33分)

 この記事では「国際ホッケー連盟のオンライン総会で発言した」とあります。

 残念ながらオンライン総会の議事録は見つけられませんでしたが、このことを報じている海外メディアはありました。こちらの記事です。

Tokyo Olympics on schedule, says IOC chief Thomas Bach despite Japanese opposition | Tokyo Olympics News - Times of India(5月22日17時00分)

 たしかに、記事内にバッハ氏の発言として「We have to make some sacrifices to make this possible(オリンピックを開催するためには、我々はいくらかの犠牲を払わなければいけない)」とあります。

「We」をどう翻訳するか問題

 今回の問題点は、「We」をどう翻訳するのかという点です。

 普通に読めば「我々」や「私たち」です。デイリースポーツはこれを「誰もが」と翻訳しました。そして、「誰もが」=「全員」と受け取れるため批判が起きました。

 本当に「誰もが」なんでしょうか?

 原文とみられるインドの記事では、バッハ氏は次のようにも発言しているとあります。

The safety and security of our everyone is utmost priority. But together with our Japanese colleagues we will have to ensure that our athletes came come together and compete in a safe environment.

「皆さんの安全と安心は最優先です。しかし、日本の同僚と一緒に、選手たちが安全な環境で一緒に競技できるようにしなければなりません」

 批判されているように「命を犠牲にしろ」「感染リスクを受け入れろ」であれば、「皆さんの安全と安心は最優先です」と喋っているのはおかしいように感じます。

 では、誰に対して何を犠牲にしろと言っているのか? 幸い(?)なことにバッハ氏は「当初から犠牲が必要と言ってきた」と言っているため、過去の発言を探してきました。

犠牲の対象は選手や大会関係者

 まずは2021年3月のロイター通信の報道です。

He said costs for hotel cancellations would not be covered. Organisers may also consider cutting the number of staff members who will participate in the Games.

Bach said he shared the disappointment of Olympic fans as well as the families and friends of athletes who had planned to travel to Tokyo.

“For this I’m truly sorry. We know that this is a great sacrifice for everybody. We have said from the very beginning of this pandemic that it will require sacrifices,” Bach said in a statement.

But he said safety had to come first, adding, “I know that our Japanese partners and friends did not reach this conclusion lightly”.

「『ホテルをキャンセルした場合の費用は補償されない』と彼は言った。また、主催者は大会に参加するスタッフを減らすことも検討している。

バッハ氏は、オリンピックファンや東京への渡航を予定していた選手の家族や友人の失望を共有していると述べた。

『このことについては、本当に申し訳ないと思っています。皆さんにとって大きな犠牲を強いられることは承知しています。このパンデミックが始まった当初から、犠牲を払わなければならないと言ってきました』とバッハ氏は声明で述べた。

しかし、安全が第一であるとし、『日本のパートナーや友人が軽々しくこの結論に到達したわけではないことは承知しています』と付け加えた」

International spectators to be barred from Olympics in Japan | Reuters

 東京へ旅行できず、ホテルのキャンセル料も補償されないことについて「犠牲」と言っています。

 続いて2021年1月の共同通信(英語版)の報道です。

In the same interview, Bach acknowledged the need for the IOC to be "flexible" and make "sacrifices" to protect the health and safety of all involved.

In his latest video, he stressed all options are being considered and that "there can be no taboo for securing safe and secure Olympic Games for every participant."

「同じインタビューの中で、バッハ氏は関係者全員の健康と安全を守るために、IOCが“柔軟性”を持ち、“犠牲”を払う必要があることを認めた。

最新のビデオでは、すべての選択肢が検討されており、『すべての参加者にとって安全で安心なオリンピックを確保するためには、タブーはありえない』と強調している」

IOC chief Bach floats possibility of no fans at Tokyo Games

 こちらでは「関係者全員の健康と安全を保護するために“犠牲”を払う必要がある」と言っています。

 続いて2020年11月のAP通信の報道です。

Not all athletes are likely to want to take the vaccine. For some it will be a question of individual liberty. Others will fear vaccines against COVID-19 are being rushed, and possibly unsafe. Some could fear falling ill after taking the vaccine, jeopardizing their Olympic chances.

“We can solve this crisis like other challenges only if we are in solidarity, and if we all take responsibility,” Bach said in the online conference with athletes in early October, acknowledging some athletes would see taking the vaccine as a “sacrifice.”

「すべてのアスリートがワクチンの接種を希望するわけではありません。個人の自由の問題だとする人もいるでしょう。また、COVID-19に対するワクチンの接種が急がれており、安全ではないのではないかと心配する人もいるでしょう。ほかにもワクチンを接種した後に体調を崩し、オリンピック出場が危ぶまれる人もいるでしょう。

バッハ氏は、10月初旬に行われたアスリートとのオンライン会議で、『他の課題と同様に、この危機を解決できるのは、私たちが連帯し、全員が責任を負う場合のみです』と述べ、ワクチン接種を“犠牲”と考えるアスリートがいることを認めました」

Bach issues gentle plea for Olympians to get vaccinated

 ここで犠牲となるのは「ワクチンを打ちたくない(けど五輪には出たい)選手」です。

 最後にコロナが出始めたころの2020年3月のAFP通信の記事です。

International Olympic Committee President Thomas Bach said Wednesday that the postponed Tokyo Games would require "sacrifices and compromises" from all sides to make them work.

"These postponed Olympic Games will need sacrifices, will need compromises by all of the stakeholders," Bach told reporters in a conference call the day after the IOC decided to delay the 2020 Games because of the coronavirus pandemic.

「国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長は、延期された東京大会を成功させるためには、すべての関係者による『犠牲と妥協』が必要だと水曜日に述べた。

バッハ会長は、IOCがコロナウィルスの大流行により2020年大会の延期を決定した翌日、電話会議で記者団に『延期されるオリンピックには、すべての関係者による犠牲と妥協が必要になる』と語った。

Rescheduled Tokyo Olympics need sacrifices from all stakeholders: Bach - Seychelles News Agency

 これくらいでもう十分だと思います。

 バッハ氏が「犠牲が必要」と語っているのは選手や大会関係者です。

 そして、その理由は「すべての参加者にとって安全で安心なオリンピックを確保する」ためです。

 決してオリンピック開催のために「命を犠牲にしろ」とは言っていません。

 「(安全と安心な)五輪のために我々(大会関係者)はいくらかの犠牲を払わないといけない」という発言に対して、「命を犠牲にしてまで五輪に協力する義務は誰にもない」と反論されたら、言われた相手は困惑するかな、と。

 筆者も現状での五輪開催には反対の立場ですが、本人はそのつもりで言ってないのに翻訳のミスリードに対して反論するのは意味がないと思います。

ITジャーナリスト/炎上解説やデマ訂正が専門

1983年生まれ。福岡県在住。2007年よりフリーランスのライターとして活動中。スマホ、ネットの話題や炎上などが専門。ファクトチェック団体『インファクト』編集員としてデマの検証も行っています。最近はYouTubeでの活動も。執筆や取材の依頼は digimaganet@gmail.com まで

篠原修司の最近の記事