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相模原事件・植松死刑囚の近況、そして『ベイビー・ブローカー』是枝監督との意外な接点

篠田博之月刊『創』編集長
7月26日、追悼式の行われた津久井やまゆり園(『創』編集部提供)

 2016年に日本中を震撼させた相模原障害者殺傷事件が起きた7月26日が今年も訪れた。その日の天気は雨で、建て替えによって昨年8月から新たなスタートを切った津久井やまゆり園が雨に煙る様子は、この事件をめぐる哀しみを象徴しているように感じられた。

 ちなみにその日、私は締切との関係でやまゆり園には行けず、ここに掲げた7月26日の写真は知人が撮ってくれたものだ。

 津久井やまゆり園に私は7月5日に行っており、園長の案内で内部を見せていただいている。

津久井やまゆり園の内部(筆者撮影)
津久井やまゆり園の内部(筆者撮影)

 事件の後、やまゆり園は建て替えられ、昨年8月に新たなスタートを切ったのだが、施設の構造をどう変えたかというのは、あの事件をどう教訓化したかに関わる大事な問題で、それについてはいずれ報告したいと思う。

 その7月5日に訪ねた時に印象深かったのは、正面入り口にある「鎮魂のモニュメント」に、犠牲になった19人を表わす19の溝があるのだが、そのうち7人の実名が刻まれていることだ。実名と言ってもフルネームでなかったりするのだが、事件から時間が経つにつれ、最初は絶対に名前を出したくないと言われていた19人の遺族のうち、名前を出すことを了解したケースが7例あったということだ。

 これはこの6年間の大きな変化といえよう。それぞれ遺族もいろいろ悩み、葛藤したに違いない。事件を風化させないために犠牲者遺族としていろいろなことを考えたと思う。それはとても重たいことだし、大事なことだ。

(付記=この記事は最初、7月28日にアップしたものだが、この7月5日にやまゆり園に行った時の話と写真は29日に追加した)

津久井やまゆり園正面の「鎮魂のモニュメント」(筆者撮影)
津久井やまゆり園正面の「鎮魂のモニュメント」(筆者撮影)

 さて、その7月26日から5日さかのぼる7月21日に、私は、植松聖死刑囚に会うために東京拘置所を訪れた。彼がこの4月に再審請求を行ったことがきっかけで、弁護士と一緒に拘置所を訪れるのは、これで三度目になる。前回の様子については下記の記事を参照いただきたい。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20220615-00301026

相模原障害者殺傷事件・植松聖死刑囚が自ら語った再審請求を行った理由

植松死刑囚は三分刈りの坊主頭になっていた

 今回も東京拘置所に着いてすぐ、弁護士と面会申込書をそれぞれ窓口に提出したが、今回も私の方は不許可となった。仕方なく待合室で弁護士が出てくるのを待つことになった。

 前回の面会は6月21日だったからちょうど1カ月になる。植松死刑囚は、何と三分刈りほどの坊主頭になっていたという。夏の暑さ対策だろうかと思ったが、本人は、東京拘置所は冷房が効きすぎて、普段は長袖を着ていると言っていたそうだ。

植松死刑囚のいる東京拘置所(筆者撮影)
植松死刑囚のいる東京拘置所(筆者撮影)

 6月15日には、植松死刑囚が刑確定まで伸ばしたままにして後ろで結わえていた髪を切って短髪にしていたというのが気になった。彼は事件後、髪は切らないと言っていたのだが、死刑判決確定後短髪にしたわけで、それは何らかの心境の変化によるものかもしれない。さらに今回、坊主頭にしたというのも、何か意味があるのかもしれない。

 この間、そんなふうに植松死刑囚と接触しているのは、まず4月に彼が自分で手続きした再審請求について真意を聞くためだ。彼がいま何を考え、どういう意図で再審請求を行ったのか。事件について今はどう思っているのか。そういうことを改めて聞いてみたいと思ったのは、もう何度も書いているように、2020年の裁判がほとんど責任能力の有無についての審理に終始し、事件の真相がいまだにわからないからだ。

その7月26日に秋葉事件の加藤死刑囚の刑執行が

 あのような事件が二度と起きないようにするためには、事件の解明が不可欠だが、解明すべきポイントは、障害者をサポートする職員だった彼が、どういう経緯でそれと反対の考えになってしまったのかということだ。

 ちょうど裁判が行われていた時期に、神奈川県を中心に、津久井やまゆり園の障害者支援の実態を検証する動きが本格化し、いろいろなことがわかってきた。本当は裁判でその問題にも踏み込まなければいけなかったと思うのだが、そういう審理はほとんどなされなかった。だから死刑が執行されてしまう前に、植松死刑囚と接触できるチャンスがあれば、可能な範囲でそれを究明する作業をしてみたいと思った。

 相模原事件が起きたのは2016年7月26日だが、ちょうど今年の7月で6年になる。事件の風化が進んでいるとはいえ、この事件が今なお日本社会に大きな影を落としていることは確かだ。

7月26日の津久井やまゆり園「鎮魂のモニュメント」(「創」編集部提供)
7月26日の津久井やまゆり園「鎮魂のモニュメント」(「創」編集部提供)

 7月26日には驚くべきことに、秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大死刑囚の刑が執行された。加藤死刑囚もかつて月刊『創』(つくる)に手記を寄せてくれたし、裁判もかなり熱心に傍聴したのだが、あの事件についても、きちんと解明されたとは言い難い。死刑執行のニュースに触れた時、最初に感じたのは、あの衝撃の事件もこれで完全に終結ということになってしまうのか、という思いだった。

是枝裕和監督が何と植松死刑囚に接見していた

 さて植松死刑囚の話を続ける前に、最近、気になった話を紹介しておこう。相模原事件がどれほどこの社会に影響を及ぼしているかを物語る話だ。

 映画『ベイビー・ブローカー』が話題になっている映画監督・是枝裕和さんが6月29日に放送されたNHK『クローズアップ現代』で話した内容にちょっと驚いた。最新作のその映画で命との向きあい方を描いた是枝監督が、そのテーマに取り組むことになった経緯を尋ねられてこう話したのだ。

「相模原事件の被告に会いに行って話したことも大きかったですね。生きるに値しない命があるのか。何か前提が崩れてきている気がします」

「いろんなものが効率で考えられるようになった。役に立つか立たないかが命の基準に関しても適用されるようになっている気がして、それに抗いたいという思いもありました」

 是枝監督は植松死刑囚が未決の時期に面会に行っていた、それを今回初めて明らかにしたというのだ。

 私は植松死刑囚とは頻繁に会っていたから、どんな人が面会に来ているかもよく耳にしていた。自分と反対の考えの障害者やその関係者の面会依頼も受け入れていたのが植松死刑囚の特徴で、彼はいろいろな人と話をしていた。

 しかし是枝監督が会いに来ていたことは本人から聞いたことはなかった。他言しないことになっていたのか、あるいは是枝さんが有名な監督であることを彼がよく理解していなかったのか、そのへんはわからない。

映画『PLAN75』にも相模原事件と通じるものが

 最近、相模原事件との関係が話題になったのはもうひとつ、倍賞千恵子さんが主役を務めた『PLAN75』もそうだ。高齢化社会の中で、75歳以上の高齢者に自らの生死の選択権を与えるという制度を導入した社会を描いた映画だ。冒頭で、もう役に立たない存在として高齢者を連続殺害する男が登場する。植松死刑囚をイメージしたものであることは明らかだ。その早川千絵監督と是枝監督が「Fan’s Voice」というサイトで興味深い対談を行っている。一部を引用しよう。

《早川 (『ベイビー・ブローカー』の)序盤で、赤ちゃんを買いに来た夫婦が「顔が悪いからディスカウントしろ」と言いますよね。凍りつく言葉で、それを聞いた母親のカットが一瞬入りますが、胸が締め付けられる思いがしました。私が『PLAN75』を作ろうと思った時に感じた憤りというか、命の価値を量るような考え方に対する憤りと似たものをあのシーンでものすごく感じて、シンパシーというか、通じているものがあるのではないかと勝手に思ってしまいました。

是枝 「価値のない命がある」と言葉にしないまでも、今の世の中は、そちらの方向に暗黙の了解として大きく動いてしまっています。そのことを、早川さんは75歳以上の高齢者でやろうとして、僕は赤ちゃんでやろうとしたのだと思います。》

《是枝 冒頭は、相模原で起きた障害者施設殺傷事件を彷彿とさせます。それは入り口に過ぎないように見えるけれど、その後展開される2時間弱の物語全体が、実は、ゆるやかに展開される“相模原の事件”そのものですよね。この映画を観ると、そうした事件が自分たちの社会と切り離されたものでは決してなく、私たちがあの行為をシステムとして内包している社会に生きてしまっていることに気付かされます。そこからどう脱出するのかを登場人物たちが模索しているところが、とても素晴らしい出口だと思いました。》

(【特別対談】是枝裕和 × 早川千絵 ─ 命の意味を問う『ベイビー・ブローカー』『PLAN75』は呼応する映画)

https://fansvoice.jp/2022/06/20/broker-plan75-directors-interview/

 最近話題の映画2作とも相模原事件の影響を受けているというのだ。またこのところ、ヘイトスピーチに反対する運動を進める人たちの間でも、相模原事件がよく引き合いに出され、これもヘイトクライムだと言われる。

 確かに相模原事件は、象徴的なヘイトクライムかもしれない。ただ植松死刑囚は、重度障害者に対しては生きている意味がないとするものの、例えばナチスのユダヤ人虐殺には反対し、『夜と霧』は彼の愛読書だ。やはり植松死刑囚にとっては、津久井やまゆり園での障害者支援の体験が大きな影を落としているのだろう。それがどうしてそうなったのか解明することはとても大切なことと言える。

毎日、イラストやマンガを描いている

 7月21日に植松死刑囚を訪ねた時の話に戻ろう。彼は死刑が確定してから家族と弁護人以外は面会も手紙のやりとりもできなくなり、今は私たち以外、半年にいっぺんほど家族が面会するだけになっているという。刑務所の場合は労役を課されるので工場作業などが日課になるのだが、死刑確定者は執行を待つ身なのでそれがない。自由な時間を毎日、イラストやマンガを描いて過ごしているという。

植松死刑囚が描いたイラスト(『創』編集部提供)
植松死刑囚が描いたイラスト(『創』編集部提供)

 創出版刊の『開けられたパンドラの箱』や『パンドラの箱は閉じられたのか』を読まれた方はわかるだろうが、未決の時期にも植松死刑囚はかなりイラストやマンガを描いていた。刑が確定する時期に、彼はそれまで保管していた書籍類を宅下げといって私に渡したのだが、その中に『デザイナーのための鉛筆デッサン』といった本もあって驚いた。彼が獄中で描いたイラストの主なものは『創』や前出の2冊の単行本に収録してある。

 死刑確定者の場合、現金の差し入れだけは可能で、その礼状に限っては植松死刑囚から手紙が届く。その話を本誌で何度も紹介しているせいか、わざわざ東京拘置所に足を運んで現金を差し入れている人が何人もいるらしい。現金以外の差し入れや一般の手紙は、本人には渡らないのだが、差し入れや手紙があったことだけは本人に伝えられるという。

 さて肝心の再審請求についてだが、この間、彼がどういう手続きを行っているかを本人に聞き、横浜地裁でそれを確認するという作業を繰り返しているうちに、少しずつ幾つかのことがわかってきた。

 植松死刑囚本人が4月に行った再審請求はというと、彼は提出書類に犯行動機となった自分の主張について便箋10枚にわたって書いたものと判決文の全部、そして被害者リストのついた判決謄本そのものを添付したという。

 どうやら彼は、自分の主張について判決文があまり判断を示さず、責任能力をめぐる問題にほとんど終始しているのが不満だったらしい。裁判そのものがほとんど責任能力の有無をめぐる審理だったから当然判決文もそうなるのだが、被告人質問で植松死刑囚は詳細にわたって自分の主張を証言した。それに対して判断が示されていないと受け取ったらしい。

 横浜地裁での裁判が、裁判員裁判だったために審理すべき争点が絞られ、責任能力の有無にほぼ終始してしまったことについては、これまで多くの人が批判してきた。判決文では、植松死刑囚があのような考えにいたった要因として、障害者施設での体験と、トランプ大統領に象徴される当時の世界的な風潮を指摘しているのだが、それはただ言及しただけに終わっている。

社会全体に広がる「命の選別」

 その再審請求は4月2日に受理されている。本格的に再審請求を行うとなれば、新証拠の提出などいろいろなことが求められるわけで、現時点で植松死刑囚がどこまでそういうことを考えているのか詳しくはわからない。

 またそうした手続きに付随して外部交通の範囲が少し広がることも期待している節がある。実際、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚からも再審請求や裁判に関わる範囲でという条件で資料などが本誌に送られてくること、それに付随した範囲であれば通信も多少はできることは、『創』でこれまで報じており、植松死刑囚もそれを読んでいる可能性がある。

 6月15日の接見の後、そこでの話を特ダネとして報じたテレビなどの報道では、植松死刑囚が外部と接触をしたくて再審請求をしたという見出しが掲げられているが、それが果たして彼の主な目的なのか、付随的な事柄なのか、植松死刑囚の全体の意思が確認できているわけではない。そのあたりの彼の意思については、もう少しやりとりしながら把握していかなければいけない。

2020年に裁判が行われた横浜地裁(筆者撮影)
2020年に裁判が行われた横浜地裁(筆者撮影)

 先の是枝監督の話にもあったように、相模原事件はこの社会に大きな影響を与えている。ある種の効率主義的な発想によって、命の選別が行われるという風潮のシンボルとして、この事件は人々の記憶に残っているわけだ。

 近年は再審請求中であっても死刑執行は行われるし、植松死刑囚の場合は、自ら控訴取り下げを行って刑を確定させているから、執行までの期間も短い可能性がある。本人と接触の可能性がある限り、それをいかして事件の解明を続けたいと思う。

 事件のあった7月26日と前後して、今年もシンポジウムや集会が幾つか行われている。私は7月24日の「津久井やまゆり園事件を考え続ける会」主催の集会にも足を運んだ。そして7月31日午後には新宿のロフトプラスワンでも相模原事件をめぐるシンポジウムが行われる。相模原事件とともに大規模施設の障害者支援のあり方について議論するというのは大事なことだ。

 障害者の問題に関わっている人たちにとっては、相模原事件の風化はありえない。この事件については今後も、考え続けなければいけないと思う。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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