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部落差別を描き、抗議を受けて一時絶版にもなった島崎藤村『破戒』の映画公開に様々なことを考えた

篠田博之月刊『創』編集長
c:全国水平社100周年記念映画製作委員会。東映ビデオ配給

部落差別を描いた映画『破戒』が現代に問いかけるもの

 映画『破戒』が7月8日より丸の内TOEIほかで全国公開される。言うまでもなく原作は島崎藤村の有名な小説で、部落差別をテーマにしたものだ。日本における究極の差別と言われる部落差別について世に問うた作品だが、この原作自体が、差別小説だとして抗議を受け、一時絶版になったり、作者自身が文中の差別語を書き換えたりと、いろいろ紆余曲折を経てきた。現在は最初に島崎藤村が発表した形で新潮文庫に収録されており、映画化でその原作も売れているらしい。

 映画の出来は良く、試写会で観ていて目頭が熱くなったほどだ。部落差別という重たいテーマを現代に向けてどう見せていくかについては、脚本家の加藤正人さんを始め、いろいろ考えた跡がうかがえる。人気の若手俳優・間宮祥太朗さんが主人公・丑松を好演しており、まだ20代というこの人が映画を通じて差別の問題について何を感じたかという点も興味深いのだが、今回、月刊『創』(つくる)8月号で、プロデューサーの中鉢裕幸さんと脚本家の加藤さんにインタビューした。

 前述したように『破戒』という小説は、「文学と差別」という問題をめぐって紆余曲折を経た作品で、それを2022年というこの時代にどう表現したらよいか、どんなふうに考え製作したかという話を聞きたいと考えたからだ。

差別表現をめぐる激しい糾弾と「断筆」宣言

 周知のとおり、1980年代をピークに、差別表現をめぐる激しい糾弾が行われ、大きな社会問題となった。文学においても1983年には司馬遼太郎の『竜馬がゆく』に差別表現が使われているとして糾弾が行われる事件があった。そうした状況を受けてメディア界は自主規制の体質を深め、部落差別の問題を扱わないという風潮が生まれた。1993年、そうした風潮に抗議して筒井康隆さんが断筆宣言を行ったことはよく知られている。

猪子蓮太郎(左)と丑松(映画『破戒』より)
猪子蓮太郎(左)と丑松(映画『破戒』より)

 そうした議論の過程でも、島崎藤村の『破戒』は様々なところで言及されてきた。抗議を受けて絶版になったり、差別語を書き換えたりといった歴史的経緯を経てきた小説として、ある意味で有名な作品だったからだ。そういう経緯を経た作品を、現代においてどう表現するのか。今回、映画を作った人たちは当然、そういう悩みに直面し、そこから出発しているわけだ。

 ちなみに、そういう歴史的経緯を経た『破戒』が現在どういう形で出版が続いているについては、新潮文庫版の解説をぜひお読みいただきたい。実に詳しく深い解説が相当なページをさいて付けられているのだ。その中ではこう書かれている。

「『破戒』には確かに差別小説としての一面がある。しかし、適切な解説とともに出版されるのであれば、むしろすぐれた反差別小説ということができるであろう」

文学における歴史的制約をどう考えるのか

『破戒』には、猪子蓮太郎という、自分が被差別部落出身であることをカミングアウトし、反差別の闘いに身を投じた作家が登場するのだが、主人公の丑松は、その猪子に憧れながらも、親の戒めに従って出自を隠して生きてきて、悶々と悩むという青年だ。敢えて小説の主人公を解放運動の闘士でなく、それを見ながら悩み屈折する青年にしたのは、島崎藤村の作家としての思いゆえだろうが、その作者や主人公のスタンスの取り方そのものが、「差別と文学」というテーマの中で議論の俎上にのったのだった。

 差別表現をめぐる議論そのものがこの20年ほど低調で、部落差別というテーマ自体が、若い人には縁遠くなってしまった感のある昨今だが、今回の映画公開を機に、そのテーマをめぐる議論がなされることを期待したい。

 どんな文学作品も歴史的制約は免れないわけで、それを現代においてどういう表現で映像化するのか。製作側もいろいろなことを考えたに違いない。今回は、その問題を中心に、中鉢プロデューサーと脚本家の加藤さんにインタビューした。

 以下、インタビューを公開しよう。映画を観る際の参考にしてほしいと思う。

歴史的評価をめぐって紆余曲折

――映画『破戒』を製作することになったきっかけは何だったのでしょうか。

中鉢 2022年が全国水平社創立100周年にあたるので、それを記念した映画を作ろうと「100周年記念映画製作委員会」が立ち上がり、2018年に私のところに話があったのです。私は東映入社以来教育映像部というところでプロデューサーをしてきたのですが、今回の映画は、最初はもう少し小さい規模のドキュメンタリー映画のようなものがイメージされていたようです。

 ただ話が進むうちに、運動の一環としての啓蒙的な映画でなく、劇場映画として広く全国で公開できるものをということになりました。原作をいくつか検討した結果、2019年4月に『破戒』に決まったのです。脚本は劇場映画で力を発揮している加藤さんにお願いすることになり、監督は前田和男さんにお願いすることになりました。

映画『破戒』より
映画『破戒』より

――島崎藤村の『破戒』といえば、よく知られた小説ですが、過去においてはその歴史的評価をめぐって紆余曲折がありました。時代的制約を受けた差別小説だとして一時期、絶版になったこともありましたね。

中鉢 今回も製作に入る前に関西で部落差別に取り組んできた先生方に意見を聞いたり、取材を行いました。『破戒』についてのネガティブな意見もずいぶんありました。主人公の丑松が出自を隠していたことを生徒たちに謝罪するとか、原作では最後に日本を出てテキサスに逃げていくとか、そういう描き方について否定的な意見も多かったですね。

――「穢多」という差別語がたくさん出てくることについても、抗議を受けて、一時は島崎藤村自身が書き換えたりしているわけですね。

中鉢 そうです。ただそういう時代的制約はあるけれど最終的には差別問題を考える教科書でもあるという評価を得て、そのあたりの経緯については原作の新潮文庫に詳細な解説がついています。この解説が大変興味深い内容です。

 それからもうひとつ、加藤さんと話をする中で、藤村の『破戒』は、偉大な文学作品ではあるが流行小説としての面白さも兼ね備えていて、ストーリーがよくできている、というお話を聞いて「なるほど」と思ったこともありました。

 加藤さんが、いろんな壁があって葛藤を抱えながらそれを乗り越えていくというドラマチックなストーリー展開がある。面白い小説としてよくできているというのですね。

二重の意味での『破戒』のストーリーに藤村の思いが

加藤 『破戒』というのは、自分の出自を絶対口外してはいけないという父親からの戒めを破るという物語ですが、その一点で延々と読者の興味をかき立ててストーリーを引っ張っています。もうひとつ、丑松が寄宿していた寺の住職が、預かっていた娘に手を出すという別の意味での破戒(破戒僧)のエピソードも出てきます。通俗的と言われかねませんが、読み物としての面白さを、島崎藤村は意識しながら書いています。そこは原作を読み直して改めて感じました。

中鉢 藤村は根本的にはこのテーマについての問題意識が高いのですが、それをストーリーとして展開するという技もあり、構成もしっかりしていた。そういう面を加藤さんにうまく脚本にしていただきました。

――一方で、さきほど話された『破戒』に差別小説と抗議されたような側面もあったという点についても、脚本を作る過程でいろいろ考えられたのですね。

子どもたちに丑松が出自を打ち明けるシーン(映画『破戒』より)
子どもたちに丑松が出自を打ち明けるシーン(映画『破戒』より)

加藤 かつて作られた市川崑さんの映画では、丑松が出自を明らかにする時に生徒たちに土下座するというシーンがあるのですが、原作でも崩れ落ちるみたいな感じで描かれているんです。

 デリケートな問題をたくさん抱えた作品なので簡単ではなかったですが、ネガティブな印象にならないように書かなきゃいけないと思いました。原作は、主人公が追い込まれて仕方なく生徒に謝罪して学校を去っていくというイメージなんですけど、そうではなく、主人公が自ら決意し、覚悟を決めるという強い意志を示すシーンにしました。子どもたちとの別れも「ずっと君たちと一緒に勉強したいのになぜできないんだ」という悔しさの涙という描き方にしました。絶対に教育の現場からは逃げないというメッセージを残して去っていくという、希望に向かって進んでいくイメージにしました。

 最後に日本から逃げ去っていくという原作のラストについても、前の市川監督の映画でもテキサスでなく東京に行くというふうに変えていましたが、今回の映画でもそうしました。目標に向かって新たに人生の再スタートを切るという、希望に向かって進んでいくという終わり方にしたのです。

映画の終わり方にも工夫をしたという(映画『破戒』より)
映画の終わり方にも工夫をしたという(映画『破戒』より)

 やっぱり差別に対する意識は時代とともに変わってますからね。原作のままやればよいということでなく、今の時代に差別の問題にどう向き合うのかという意識で表現しないといけないわけです。

現代の様々な差別問題にも通じるものが

――小説が書かれた当時は、被差別部落出身というだけで排斥される社会の空気があったので、カミングアウトについても今のイメージと違っていたわけですね。

加藤 それまで隠していたことを子どもたちに謝まるという原作や前の映画にあるシーンについても、被差別部落出身の先生たちに意見を聞いた時に、見ていて辛いという声が多かった。何も悪くないのに何で謝まらなきゃいけないのかという意見もあって、確かにそうだと思いました。

プロデューサーの中鉢さん(右)と脚本家の加藤さん(筆者撮影)
プロデューサーの中鉢さん(右)と脚本家の加藤さん(筆者撮影)

中鉢 映画の製作にかかる前に、被差別部落で実際に教師をしている人たちの話を聞いたり取材をしたのですが、先生方から子どもたちが差別に苦しんだりしたとか、教え子が自殺してしまったとか、そういう話を聞きました。『破戒』という作品についての印象もお聞きしました。どちらかというと否定的な意見が多かったんですが、今回の映画には期待するという声もありました。

加藤 そのあたり脚本を書くにあたってはいろいろ考えましたが、映画自体はそのあたりの細かいことを気にせずに見てもらえるように工夫もしました。

中鉢 原作を精読して、現代に訴えるテーマや力が十分にある小説だというのがわかりました。だから現代の人たちが見た時に感情移入できて、希望が持てるものにしようというのは一貫して考えました。今、LGBTを始めいろんな差別問題が指摘されており、辛い目にあっている人も多い。そういう人が見た時に、自分も頑張ろうという気持ちになれるものにしようという思いは、最初からありましたね。

 主役の丑松を演じた間宮祥太朗さんも、この映画で描かれたテーマは、現代のいろんな問題に通じるものがあるといろいろな場でおっしゃっています。自分の身の回りにあるようないろんな問題と関わりがあって、現代に通じるものを持っているとおっしゃっています。

時代背景も随所に織り込んだ

――原作を現代に合うように工夫したというのはそのほか、例えばどういうところがありますか。

加藤 原作は当時としては現代小説なので、敢えてその時代がどうだったかといったことは書いてないんですけども、今の人が読んだ場合には、その時代のことをある程度わからないと理解されません。その明治の末期というのがどんな時代であったかわかるように、映画の中では日露戦争のことを描いたり、あるいは与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」についても原作にはないんですけれど、脚本に取り込みました。どういう時代だったかを知ってもらって、今の人たちもすーっと見られるようなものに、いろいろと脚色しました。

――差別問題自体が、原作の時代と違っていると思いますが、映画には現代に訴えるような要素をいろいろ感じますね。

中鉢 女性の生き方についても描かれているし、障がい者のこともちょっと出てきます。女性や子どもが弱い立場に置かれているのは昔から変わらないのでしょうが、最後のシーンが象徴的ですよね。苦しみを抱えている人たちが、明日に向かって歩き始めるというところが本当によく描かれている。

加藤 原作のあとがきでも書かれているんですが、『破戒』は恋愛ものとしてはちょっと弱い。今回の映画では丑松と志保の2人の恋愛の話は原作以上に強くきちっとやろうと考えました。オリジナルで設定を作ったんですね。若い人たちに観ていただくためには、恋愛という軸は引っ張っていく大きな力になるわけです。原作が書かれた時代は男尊女卑で、女性もまた被差別者であったわけです。女性は家に依拠しないと生きていけないから絶対服従だし、女性が自立できないという時代なので、抑圧された女性である志保さんの置かれている状況も強調しました。抑圧された者同士が寄り添っていって恋に落ちていくというふうにすれば観やすいのではないかと考えました。

――原作の舞台になった当時の信州がどんなだったか、時代背景も描いていかないといけないわけですね。ロケは信州でやってるわけではないんですか。

中鉢 東映の京都撮影所で作ってるのでほとんど京都です。一部滋賀が入ってますけれど。京都撮影所は、もともと時代劇に関するインフラが整っており、町並みのセットや衣装、道具なども揃い、また時代劇に手慣れたスタッフも大勢いるので。

加藤 京都に行ってセットを見せてもらって、すごく立派なのでびっくりしました。予算の規模からしてもこれだけのセットを作るというのは、東映さんの心意気でしょうね。京都の太秦(うずまさ)でやって良かったと思います。当時の時代がよく表現されていたし、東京ではなかなかこのスケール感は出なかったと思います。

――キャスティングについてもいろいろ考えられたのですよね。

中鉢 部落差別という難しいテーマですから尻込みをする方もいるはずですよね。主役が間宮さんに決まった時は良かったなと思いました。台本を読んでいただいて、あと原作も読んでいただいたようで、このテーマならぜひやりたいとおっしゃっていただきました。

 キャスティングについては東映のキャスティングプロデューサーを中心にやっていただいたのですが、良い仕事をしていただいたと思います。間宮さんもキャスティング当時以上に、今ブレイクしていますからね。他のキャストもこれだけの方々が集まっていただいて、すごく豪華な映画になったと思います。

映画『破戒』公式ホームページは下記だ。

https://hakai-movie.com/

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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