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喪失感からの回復をめざす三浦春馬ファン「春友さん」たちに起きている広がりと変化

篠田博之月刊『創』編集長
三浦春馬さんのイメージ(切り絵提供・海扉アラジンさん)

春友さんたちに起きつつある変化

 京都在住のミュージシャン・堀内圭三さんからメールが届いた。堀内さんはYouTube配信「ほっこりカフェ」の主宰者だ。「ほっこりカフェ」は毎週、三浦春馬ファンである「春友さん」たちがチャットを通じて交流する場なのだが、このところオフ会を開いたりとリアルな交流も活発化させている。4月5日の春馬さんの誕生日にも参加者たちが京都に集まったのだが、その4月5日のイベントをめぐって感じたことがあると、堀内さんは感想を送ってきてくれたのだ。

 念のためあまりご存じない方のために書いておくと、2020年に他界した三浦春馬さんをめぐっては、それを機に喪失感にとらわれ、自分の人生を改めて振り返るという50~70代女性が急増し、喪失感からの回復を求めて様々な活動、グリーフワークを続けている。

 過去にも芸能人の死をファンたちが哀しむという現象はあったが、この春馬さんのケースは、それまで特に春馬ファンでなかった人たちをも巻き込み、しかもシニア層の女性がほとんどといった特徴を持っている。新しい社会現象と言えるものかもしれない。ちょうどその時期から女性の自殺が増えたということとも、それは関わっていると思われる。

 コロナ禍を機に、シニア層の女性たちに何かが起き、春馬さんの件がそのひとつのきっかけになったということだろう。しかもその現象が、2年経った今も続いているという、過去にあまり例を見ない状況だ。

 それが今どういう状況になっているか紹介する前に、堀内さんのメールを紹介しよう。

4月5日「ほっこりカフェ」ライブイベント『Birthday Night』(堀内圭三さん提供)
4月5日「ほっこりカフェ」ライブイベント『Birthday Night』(堀内圭三さん提供)

《二度目の4月5日を共に過ごして

 昨年に続いて、今年の4月5日もライブハウスで『Birthday Night』というライブイベントを企画させて頂き、春馬さんを愛する春友さんたちと一緒に、彼の32回目のバースデーをお祝いさせて頂きました。

 昨年3月、オフ会で出会った春友さんたちから口々に「4月5日を一人で過ごすのは辛いので、みんなで集える場を作って欲しい」という声を聞き、昨年は春馬さんがいなくなって初めての4月5日をみんなで迎え、過ごしました。

 そんな昨年の4月5日は、「ハッピーバースデー」を歌いながら、みんなが泣いておられました。彼がいなくなって初めての4月5日は、まさに「涙の誕生日」でした。

 そして1年を経て迎えた今年の4月5日。今年もみんな泣いていたけど、でも今年は笑顔もありました。そして春馬さんが結びつけてくれた春友さん同士の絆がありました。

 一杯泣いて、一杯悲しんだ分、自分の悲しみを叫ぶだけではなく、隣の方の悲しみに寄り添い、そして涙をぬぐってあげる優しさがありました。

 昨年の4月5日、そして今年の4月5日を過ごし、私たちはほんの少し成長させて頂けたのかな?とも感じます。

 三浦春馬という心清く生き抜いた青年のことを想うと、私たちの心は、少し優しくなるような気がします。そして心清くなるような気がします。

 彼に笑われないような生き方をしなくてはと思えます。(以下略)》

 いまだに春友さんたちから涙は消えていないのだが、それだけではなくなっている。少しずつ何かが変わってきている。堀内さんはそう感じているというのだ。

普段は絶対、知らない人に声をかけない自分が

 月刊『創』(つくる)は2020年11月号から毎号、春友さんたちから送られてくる投稿や、グリーフワークの結晶ともいうべき作品の写真を掲載しているが、確かにこの2年の間に春友さんたちに変化が生じつつあることを実感している。

 それはたぶん、彼女たちが感じた喪失感が特別なものだったせいだろう。後で詳しく引用する夏波さんの「4月5日をどう過ごしたか」という投稿の中にこんな一節がある。彼女はその日、春馬さんの出身地である土浦を訪れたのだが、春馬さんの出演映画の特別上映を土浦セントラルシネマズで見た後、周囲の春友さんたちに声をかけて一緒に春馬さんの母校の小学校へ足を運んだ。その時のことをこう書いているのだ。

《普段、知らない方に声をかけるなんて絶対しない私。けれど春友さんには声がかけられる。多分、私と同じように春馬くんをご縁として全国で、春友とつながった人は多いんじゃないかな。》

 普段、知らない人に声をかけるなんて絶対しない自分が、なぜ春馬さんのことになると、一歩踏み出せるのか。実は同じような話はたくさんあって、そんなふうに初対面で春友さんたちが多くの場で声を掛け合って、春友さんたちのコミュニティは拡大しているのだ。

 もちろん哀しみを共有するということが背景にあるのだが、それだけではなく、彼女たちの行動によって、春馬さんの過去の作品が各地で再上映されたりといったことが様々な形で広がっているのだ。

風船を見送った後、涙で声が出せなかった

 そうした「春活」の一例として4月5日に土浦で行われた「三浦春馬さんbirthday記念バルーンリリース」を紹介しよう。参加した春友さん、脇屋恵子さんの体験報告と写真だ。ちなみに脇屋さんも「ほっこりカフェ」の参加メンバーで、創出版刊の別冊『三浦春馬 死を超えて生きる人』に春馬さんパズルを提供している本業のパズル作家だ。『創』6月号には紙幅の都合で一部しか掲載できなかったが、ここで彼女の投稿のほぼ全文を紹介しよう。

土浦の空に飛んでいく風船(脇屋惠子さん提供)
土浦の空に飛んでいく風船(脇屋惠子さん提供)

《4月某日、私は土浦で行われた「三浦春馬さんbirthday記念バルーンリリース」に参加した。このイベントは、主催者としては昨年もバルーンでお祝いをしたかったのだが、世の中の情勢を考慮して今年やっと開催が叶ったと聞いた(この風船は環境に優しく、懸念される後々の害などは無いとの説明もあった)。

 会場は春馬さんが美藤竜也を演じた映画『クローズZERO II』のロケで使われた土浦の匂橋。イベント参加者の中にはこの映画を土浦に誘致した地元出身の議員さんの姿もあった。

 時刻は10時過ぎ。口コミでイベントを知った春友さんたちが土浦駅から歓談しながら匂橋に集まってくる。50名ほどだろうか。配られたのは心のこもった手作りのバッジと風船。

 主催者の挨拶のあと、♪『Happy Birthday to you』合唱。

 おめでとう、春馬さん!春馬くん!春馬!

 そしてお祝いの言葉を捧げバルーンリリース。♪『Fight for your heart』の激しく軽快な春馬さんの歌声に乗り大空に飛び立つ風船たち。

 主催者によると当初、風船はローラの赤、春馬さんの著書『日本製』の紺、そして純白の三色を考えていた。しかし風船では紺色を出すことが出来ない。そこで風船スタッフからのアドバイスは、空に映えるよう色とりどりにしてみてはとのことだった。

 そしてこの日、春馬さんも眺めたであろう土浦の空に、赤、青、水色、グリーン、ホワイト、オレンジ、イエロー、ピンク。心も弾む鮮やかな風船たちが放たれた。

風船を飛ばす直前。集まった春友さんたち(脇屋惠子さん提供)
風船を飛ばす直前。集まった春友さんたち(脇屋惠子さん提供)

 風船を見送ったあとは『You&I』が流れ、みなで口ずさむ。私は涙で声が出せなかった。

 風船に込めた想い。「いつまでも大好きだよ」

「誰よりも尊敬してるよ」

「これからも作品を見続けるよ」

「偉業は語り継いで行くよ」

「尊厳を守るために諦めないよ」

 想いはいろいろあると思うけれど、伝えたいことは同じ。

 三浦春馬さんお誕生日おめでとう。そしてありがとう

 最後に、春友さんたちの声がもう見えなくなった風船の残像を残す大空に呼び掛ける。

 春馬さん来年も再来年も、ずっと、ずっと、愛してます…また、会いましょう》

『Happy Birthday to you』合唱も(脇屋惠子さん提供)
『Happy Birthday to you』合唱も(脇屋惠子さん提供)

 このイベントもSNSで呼びかけられ、参加者は当日集まったというわけだ。初対面の人も多いであろうにもかかわらず、参加者を覆う一体感は、彼女たちが同じ思いで集まっている、しかもその「思い」がかなり強いものだということに起因している。「三浦春馬現象」はそういうものに基づいているのだ。

春馬さんの出身地、土浦への「春活」

 春友さんたちの体験報告は涙に彩られたものが多いのだが、前述した夏波さんの投稿も紹介しよう。少し長いが、そこに込められた思いや、それによる行動力はなかなかすごいものだ。

《三浦春馬の原点、土浦へ春活の旅に出た

 あの日から2度目の春、桜が咲き始めると春馬くんの誕生日が近い、と季節を感じられる心のゆとりができたのか、今年4月5日にしたいこと、いわばお誕生日春活をしよう。32歳の誕生日をおめでとうという気持ちで迎えたいと思った。

 4月5日はどうしても彼の育った土浦、俳優三浦春馬の原点ともなった土浦の地に行き、空気を吸い、空を見たかった。二泊三日で土浦春活の旅に出た。

 誕生日だから、桜の季節だから、どうしても4月5日には行きたいところがあった。それは母校の真鍋小学校の桜を見ること。土浦は桜の名所が数々あり、中でも真鍋小学校は「真鍋の桜」といって茨城県指定天然記念物にもなっている。樹齢100年を超える大木で、校庭の真ん中に5本もある。

 春友さんのInstagramや土浦の観光協会ホームページなどで写真では観たことがあっても、想像の中にしかなかった真鍋の桜。実際に観てみるとその風格ある大木と満開に咲き誇って時に風に舞い散る桜は、圧巻の美しさ。校庭のど真ん中に桜の大木が並ぶ迫力は、小学校には定番の桜でもなかなか見られる光景ではない。

圧巻の「真鍋の桜」の大木(夏波さん提供)
圧巻の「真鍋の桜」の大木(夏波さん提供)

 前日4日は真冬並みの寒い雨、そして一般公開最終日の5日、曇り空が一転して晴れ、満開という絶好のタイミングだった。小学生の春馬くんはこの校庭を駆け回り、この桜をあの笑顔と無邪気な声で「すげー! すげー!」を可愛く連発していたのではないか。ちょうど春休みではしゃぐ子どもたちの姿もチラホラ見かけ、その子らの声に春馬くんの姿を重ねた。なんだかじんわりと涙ぐんだ。

 桜を観て泣くなんてね、今までの人生でなかったな。春馬くんが桜がほぼ満開の季節に生まれ、そして転校でこの真鍋小学校を卒業したのは偶然とは思えない。

 ファンだけではなく、この地に咲く桜が沢山の人の心を癒し続けてきた。桜は日本の誇りだ。日本を愛して自ら47都道府県を訪ね、『日本製』という素晴らしい書籍を残してくれた春馬くんもまた日本の誇る俳優だ。1年に一度、短い間だけど人の心をひとつにする桜という美しい存在は、俳優三浦春馬が生きた証を見るようだ。桜を見る旅は同時に、春馬くんゆかりの場所を訪ね歩く春活でもあった。

 土浦春活には3つやりたいことがあった。2つめのしたいことは土浦セントラルシネマズで彼の作品を観ることだ。一歩劇場に入るとそこはまさに三浦春馬ワールド。これはファンには涙ものの聖地だ。桜に見立てたメッセージボードはすでに3本めの大木に育っていた。この桜は一年を通して春馬くんを慕う気持ちが花開いている。

 セントラルシネマズでは三浦春馬主演作品を一日に3本も上映している。『天外者』と『森の学校』は常時上映、もう1本はタイミングで変わる。豪華2本だてとはまさにこのこと。春馬くんの最初と最後の主演映画に、ここに来ればいつでも逢える。

 館長さんが上映前後に挨拶を述べてくれた。その言葉のひとつが「三浦春馬に逢いたくなったらぜひ来てください」だ。

 シネコンでは味わえない地元ならではのこのあたたかさ、優しさ。ホールや廊下にまで溢れる春馬愛のメッセージや展示やお花のプレゼントの数々、土浦セントラルシネマズは優しく癒しの場所だ。

 チケット売り場の横に飾られたフォトフレームの中には、デビューまもない初々しくてぎこちなく決めポーズの可愛い春馬くんが写っている。ここから始まったんだね、俳優として生き抜いた三浦春馬の生涯が…と思いながら、写真を見てうるうるしてくる。

 また逢いにくるからね。『天外者』の五代様の等身大パネルに声をかけてセントラルシネマズを出ると、午前中曇っていた空が晴れ始めていた。

 午後からは前述した、第一目的地の真鍋の桜を観るため、真鍋小学校へ。偶然にもセントラルシネマズで上映終了後にこれから真鍋小学校に行くという2人組の女性と会いご一緒させていただいた。普段、知らない方に声をかけるなんて絶対しない私。けれど春友さんには声がかけられる。多分、私と同じように春馬くんをご縁として全国で、春友とつながった人は多いんじゃないかな。

 学校に着くと同時くらいに天気はまさに快晴になり、ご一緒した春友さんとも「さすがはれま、だね、春馬くんはお天気まで変えちゃうんだ、凄いよね」と話した。

 タクシーを待たせながらの鑑賞だったので20分ほどで学校を後にした。感動冷めやらぬ、とはこういう状態かとハイテンションで、春馬くんのサインのある名所を訪ねる。実物のサインは初めて見たので躍動感ある三浦春馬の文字をしみじみと眺めた。サインといえばセントラルシネマズには何枚か、サインが展示してある。『森の学校』当時は普通に漢字を少しカッコつけた感、それから後のは特徴的で、いかにも俳優サインに変わっていて、特に馬が駆け抜ける感のサインは大好きだ。マネージャーと考えたと言ってたっけな。

 3つめの目的地はモール505。ここは春馬くんの原点でもあるアクターズスタジオがあった場所。ご両親の経営していたカフェもあった。看板にKitchen & Barと可愛い文字のロゴはそのまま残っていてキュンとした。何年前のお店だろう。そのままロゴが残ってるなんて嬉しくなる(お店の名前は消えてます)。

 春馬くんがお料理好きなのも、食べ方が美しいことも、飲食店を経営するほどに料理上手だったお母様の影響なんだろうな。今ではほとんどのテナントが空店舗となっているけれど、モール505の看板は当時のまま。春馬くんが、ここで踊ったり歌ったりしてた頃は、多くの人で賑わっていたんだろうな、と感じられるレトロでキュンとする場所。平成生まれの春馬くんが時々妙に昭和っぽいのも、この地に生まれ育ったからなのかな。土浦のほどよいレトロ感、昭和モードは昭和生まれの私には実に居心地が良かった。

 毎年4月5日、前後2日は土浦に泊まって春馬メモリアルデイを過ごす。今年からそう決めた。真鍋の桜を観て、セントラルシネマズで春馬くんに逢う。

 誕生日に一番思ったことは、春馬くん生まれてきてくれてありがとう。『森の学校』のマトくんのセリフ。「ご苦労様。ほんまに、ありがとう」。

 あの言葉は、そのまま三浦春馬さんに捧げたい。そして泣くシーン。その涙は悲嘆じゃなくて感謝の気持ちから込み上げるものだという思いはみんな同じではないだろうか。

 4月5日。忘れない大切な日。これからもずっとありがとうを言うために元気で長生きしなきゃね。》 (神奈川県 夏波)

台湾でも春友さんたちの「春活」が

『創』はこの2年近く、毎号、こういう春友さんの投稿や作品を誌面に載せているのだが、春友さんたちのスキルもかなりのもので、鉛筆画やイラスト、工芸品といった作品の中には、プロのレベルに達しているものも少なくない。

 また、こうした春友さんたちの「春活」は国内にとどまらず、台湾でも行われている。

これも圧巻。台湾の春友さんたち(小絵さん提供)
これも圧巻。台湾の春友さんたち(小絵さん提供)

 ここに掲げた写真は台湾在住の小絵(さえ)さんから送られたものだが、4月5日に春馬さん主演映画『天外者』を特別上映し、参加した現地の春友さんたちが記念写真を撮影したものだ。掲載した写真は2021年春のもので、迫力があるのでこちらを使ったが、2022年ももちろん同様のイベントが行われている。

 春友さんたちの春活の節目はいまや、4月5日の春馬さんの誕生日と、7月18日の命日だ。今年も4月5日は各地でたくさんのイベントが行われたが、次は7月18日。いろいろな企画が既に提案されている。

 2021年は月刊『創』でも藍染めプロジェクトという、企画を行い、春馬さんが好んだ徳島の藍染めを地元の春友さんが実際に作り、各地の春友さんたちに送った。結構大変な企画だったが、今年も何かやれないかと考えている。7月18日当日には、『創』の表紙を飾っている春馬さんをイメージした切り絵の個展を、作者である海扉アラジンさんや、絵本作家・空羽ファティマさんの地元である群馬県で開催する企画があがっている。

 また6月には別冊『三浦春馬 死を超えて生きる人Part3』が発売されるのだが、そこに掲載する企画「我が家の春馬コーナー」の写真をいま募集している。春友さんたちはほとんどの人が自宅に春馬さん関連グッズを飾ったコーナーを作っているのだが、そのコーナーを紹介するという企画だ。

 7月18日へ向けて、これから様々な「春活」が展開されるはずだ。それらもこのヤフーニュースで紹介したい。「三浦春馬現象」がこれだけの規模と期間続いている社会的背景についても、今後も考えていきたいと思う。

 最後に最近送られてきたtunamiさんの写真を紹介しよう。4月5日に『天外者』ロケ地の京都本法寺を訪れ、飾ってあった三浦春馬さんのサイン色紙を持って記念写真を撮ってきたという。色紙はもちろん素晴らしいのだが、驚いたのはtunamiさんのネイルの写真だ。

京都本法寺にて(tunamiさん提供)
京都本法寺にて(tunamiさん提供)

 ご本人の説明はこうだ。

「ネイリストさんに作って貰ったネイルチップです。写ってるバングルは『日本製』に出てくる京都・金網つじさんのもの。春馬君ファンの間では欲しい一品で、今では1年待ちです。落とさないように自分でチェーンを付け、春活の時は付けて行きます」

 2年近く経つうちに春友さんたちの「春活」も半端でないこだわりに満ちたものになっているのだ。

 なおこの記事の冒頭に掲げた切り絵は、おなじみ海扉アラジンさんの最新作で、

6月7日発売の月刊『創』表紙に掲載されているものだ。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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