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20年ぶりに出所した元日本赤軍・重信房子さんがこの1年近く、出所に備えてしてきたこと

篠田博之月刊『創』編集長

 2022年5月28日朝、元日本赤軍幹部の重信房子さんが20年の刑期を終えて出所した。

 出所直後に大勢の報道陣に囲まれてコメントした内容は全編ノーカットでネットに配信されている。また事前に準備したリリース、あらかじめ寄せられたマスコミの質問への答えなども全文公開されている。

 重信さんは服役中にがんの手術を何度か行うなどしたため、東京拘置所から医療刑務所に移っていた。今回の出所についても当初、昭島の医療センターから出所になるのか、あるいは一度東京拘置所に戻ってそこから出所になるのか、と言われていた。

 今後少しの間、マスコミは、重信さんの出所を機に、日本赤軍などについて報道と論評をしていくのだろうが、今年2022年はちょうど連合赤軍事件から50年という節目で、2月には新聞・テレビが予想以上の大きさで事件について再び論評した。1970年代にいったい何が起きていたのか、その後の日本赤軍などの経緯をどう見るかなど、マスコミがどう取り上げるか興味がある。

 出所にあわせて重信さんの新たな著書『戦士たちの記録』も幻冬舎から刊行された。  

 私は以前、彼女が東京拘置所にいた頃に、マンガ家の山本直樹さんと一緒に面会に行った。山本さんは『レッド』という連合赤軍事件について描いた作品があり、重信さんも関心を持って読んでおり、面会室でそれについて話し合ったのを覚えている。その後も面会はしていないものの、重信さんの動向については折に触れて月刊『創』で取り上げてきた。出所後、機会があればぜひ『創』にも登場いただきたいと思っているが、出所後の囲み会見でも語っていたように、まずは検査入院して健康回復するのが先決だから、いつどうなるかまだ決まっていない。そういえば娘さんのメイさんも、日本に初めてやってきて最初に登場したのは『創』での矢崎泰久『話の特集』元編集長との対談だったと記憶している。

日記形式でつづられてきた重信さんの近況

 さて、ここで紹介したいのは、そうした論評や議論の参考になるかと思われる、この半年間、重信さんが支援通信『オリーブの樹』につづってきた内容だ。何しろ20年ぶりの市民社会への復帰だ。出所へ向けではいろいろな準備が必要で、彼女がそれをどう考え、どんなふうにこなしてきたかが、「独居より」と題して日記形式でつづられている。

 『オリーブの樹』は毎回楽しみに読んでいるのだが、マスコミでも入手出来ていない人が多いようなので、ここで出所へ向けて準備について書いた部分を中心にピックアップした。前半は『創』4月号に掲載したもので、後半は7月号に掲載しているものだ。

 例えば世間の話題を知っておこうという意識で『週刊文春』に目を通しているのだが、関心を持って読んだのは連載「ジュリーがいた」だったという話など、やはりその世代ゆえだ。

 そして何といっても興味深いのは、2月の連合赤軍50年関連のニュースに接してのそれについての感想や、ウクライナ侵攻について重信さんがどんなふうに書いているかだ。出所準備というポイントに絞って抜粋したものだが、連合赤軍やウクライナ、さらにコロナ対策のワクチン接種など興味深い記述を中心にした。

 以下、2021年7月から、2022年2月までの記述だ。小見出しは私がつけた。『オリーブの樹』最新号の「独居より」の記述は2月28日までで終わっている。

出所へ向けて「被害者の視点を取り入れた教育」

●21年7月7日 今日初めて出所に向けた「教育プログラム」というのを受けました。教育のタイトルを尋ねたところ「被害者の視点を取り入れた教育」というもので、12回にわたって毎週1時間行われるそうです。次回から9回は外部の講師による教育です。今日は2人の女性教育官から、前回から何か考えたことは? 自らの事件に対する考え、被害者の対象は? 被害者という概念から何が頭に浮かぶか? 図式的に次々と示すマインドマップなどを記したりしました。私はこれまでも拘留理由開示法廷、公判でのべてきたことを中心に、自らの考えを表明しました。

●9月29日 今日は教育プログラムの受講日で、外部の講師の話の最終日です。出所後の助言を伺い、いくつもの示唆を頂きました。講師は、私の生きてきた経験を活かして、生命を大切にする生き方を次の世代に語ってほしい。当初は、世間には嫌な思いや非難もあると思うけど、真摯な対話は良い結果をもたらすだろうと、助言してくださいました。この間、獄で初めて対話が成立するという稀な経験の中で語る機会があったこと、更に出所後も自分の生き方―失敗も過ちも楽しかったことも―を語ることを勧めて下さったこと、とても有意義な時間を持つことが出来ました。

コロナ対策にワクチン接種

●10月26日 今日「明日、第一回目のワクチン接種が行われる」と告げられました。そのため、午前中は、ワクチン接種のため、居室で9:00~11:50まで作業。その間にワクチン。

●10月27日 刑務作業を始めてすぐのころ、9:30くらいに問診票の再確認を医師が行い、その後10時ころ、病棟の各室に看護師が順次、ワクチン接種を行いました。作業を少し休むようにとの指示。その後、3回、看護師が「体調変化ありますか?」と、チェックに来て下さったが、とくに異常なし。作業を11時15分位で打ち切り、室内体操30分。昼食へ。12時半から、工場に移動して15:00まで。帰房後、看護師が体温とパルスオキシメーター測定。その後主治医が来室して、「体調変化ないか?」とたずねて下さった。「利き腕にしたの?」と、ちょっとびっくりして腕が上がらなくなったりするので通常左腕にした方が良いと助言して下さった。今日よりも明日から2、3日腕が膨れる可能性を伝えて下さいました。

●10月28日 大谷弁護士の久しぶりの面会。出所が近づいたせいか、先生の方にいろいろな要望が届いているようです。出版や取材など、今後検討していくことにしました。マスコミ関連は大谷弁護士に、公判時同様対応していただきたいとお願いしました。

●11月8日 今日は「逮捕記念日」です。長い道のりだった筈ですが、ふり返る21年間は、短く感じます。あの日から今日まで多くの人々に支えられながら、命をつないで来年は出所出来そうです。支えて下さったみんなに感謝しています。あの日の被害を与えてしまった方たちや、その影響を受けた人たちに改めてお詫びします。そしてこの21年の間、支え励まして頂きながら再会の感謝もお詫びも伝えることが叶わないまま、数えると30人を超す人々を彼岸へ送ってしまいました。是非会って話したかったひとりひとりの顔が浮かびます。この日は自分をふり返ると共にそれらの方々を悼む日としています。

●11月17日 ワクチン2回目接種。朝医師が、最後の問診票記入に巡回し、「2度目の方が副反応が強いですよ」とおっしゃっていました。その後10時前、看護師のワクチン接種。とくに変化は感じられず、工場作業へ昼食後12時半より。少し膨れた程度。左腕にしたので作業にも支障はありません。

連合赤軍事件についての思い

●11月30日 11月尽。ちょうど50年前、連合赤軍による雪山での共同訓練がこの頃から始まりました。団結を求めつつ、客観社会を喪失し、主観的な「団結」と「総括」によって、「個の強化」を求め、組織を個々に解体させて、死へと突き詰めて行った50年前のはじまりです。

 そして新年には一つの新党を結成しました。この新党の処罰による「共産主義化」は、繰り返し死をもたらし、破産していきました。この過ちに満ちた中であったとはいえ、純粋・純情な革命精神は強いられた対権力への挑戦として、死力を尽くしてあさま山荘での闘いに至りました。真心を尽くして革命家であろうとした思い。何が何だかわからない「総括」の混迷の中で必死に革命を求め、権力と闘おうと対峙し続けた同時代の仲間たちを思うと、悼みと哀しみが湧きます。連合赤軍事件の犠牲が革命の財産になりきれていないことが、この哀しみの極みです。

●12月28日 仕事納め。朝、今年最後の手紙を発信しました。工場器材をチェックし、破れた布を廃棄したり、手袋や普段使わないものを洗ったりと昨日の大掃除の続きを終業前2時40分から3時まで。今日午前中は今年最後のベランダへ。寒い。霜も凍って北側のベランダは陽が射さず、今日の最低気温のマイナス2度位。手や耳がじんと痛みつつ、それでも30分の外気は気持ちが良い。

『週刊文春』12/30・1/6合併号が届きました。年末特集盛り沢山の中、まず島﨑さんの労作「ジュリーがいた」だけ読みました。「たった一人のライバル」とショーケンのこと。私には知らないことばかり。アラブにいた時代のアングラの勢いを読んでいます。週刊誌も出所前学習でいろいろ知らないことを吸収しようと、もっと読みたいのですが。でも頭脳の劣化は読むはしから記憶にならない。

社会復帰へ向けての学習

●22年1月元旦 2022年新年の挨拶を申し上げます。あれほど先の長かった満期出所の日がもう今年の5月28日に迫っています。友人たちの励ましや支援によって、今日まで生きてこれたとしみじみ感じています。友人・弁護士・家族にまずお礼申し上げます。

 世界は様々な意味で、益々住み難くなっていると去年をふり返り、今年の国際政治の流れを見つめているところです。「民主主義」の名でフロンティアがなくなるほど新自由主義の市場化を推し進め、格差を極限まで国際国内的に作りだした米国。(略)バイデンの「民主主義」はトランプ政権と同じ「米第一主義」の衣装のようです。

 私は何よりも学ぶこと。社会復帰に向けていくつも助言や要請をすでに受けて学習中です。これまでの社会参加の欠如を学び補い、リハビリを第一にと考えています。能力体力・時間的に何も出来ることはありません。でもあるがままの自分で好奇心と共に一歩一歩学び、感謝し、謝罪し友人たち未知の人々とも出会いたいと思っています。

 これからもみんなの助言・教示を大切に、まず出所を目指します。今日はみんなから午前、今夜8時とたくさんの賀状を頂き、励まし再会のお便りの言葉に、なにか温かく嬉しい元旦を過しています。快晴で明けた昭島の新年です。

ウクライナ侵攻について

●2月25日 新聞の一面には、「ロシア・ウクライナ侵攻」「主要都市・軍事施設を空爆」「米欧は非難・制裁強化へ」と戦争を伝えています。ロシアのプーチン大統領は、世界を敵にまわす覚悟で戦争を始めたので、かなり世界が変わるでしょう。プーチンは、シリア内戦に「ゲームチェンジャー」として介入し、アサド政権支援は思惑通り進みました。(略)でも今回の決断は、プーチン政権の崩壊の始まりでは? 軍事的に勝っても長期的には崩壊へと向かうと考えられます。

●2月28日 今日は、あさま山荘の闘いが終わった日です。昨日の朝日新聞に、当時の検事で、青砥さんの取り調べを担当し、今は弁護士の古畑恒雄さんの話が載っていました。その中で、検察庁・法務省は、法律ではなく「内部通達」による運用で、無期刑を密かに終身刑化していることを批判しています。検察の「正義」の独占の姿を改めて思いました。

 今日は、日本を発って私がアラブに向かった日。もう51年です。当時のいきいきとした社会の雰囲気が甦ります。

“日本発ちて五十一年目の獄窓から壊れつつある世界を見つめる”

 と一首零れます。

昔の友人も逝去される方が、多くなりました。》

以上だ。『オリーブの樹』には重信さんが詠んだ歌も掲載されているのだが、その中から最新号に掲載されたものを紹介しよう。

◎パレスチナの民と重なるウクライナの母と子供の哀しい眼に遭う

◎ウクライナわが夢にまで侵入しスラブの友が白き手を振る

◎日本発ちて五十一年目の獄窓から壊れつつある世界を見つめる

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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