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異色の裁判官と弁護士が議論した岡口裁判官「弾劾裁判」と三権分立の危機

篠田博之月刊『創』編集長
一連の経緯は新聞などでも報道された(筆者撮影)

 一般にはいまひとつ知られていないが、いま司法界で大きな議論になっているのが、岡口基一裁判官の「弾劾裁判」だ。既に「不当な訴追から岡口基一裁判官を守る会」が発足、弁護士やジャーナリストなど多くの人が賛同している(ホームページは下記)。

https://okaguchi.net/

 この9月8日には岡口裁判官の弁護団が会見を行い、問題点を訴えた。

 「弾劾裁判」自体があまり知られていないのだが、当事者である岡口基一裁判官と、大崎事件再審などで知られる鴨志田祐美弁護士が、月刊『創』(つくる)10月号でこの問題を巡って議論した。2人とも異色の裁判官、異色の弁護士だが、この弾劾裁判が三権分立を危うくし、司法の危機をもたらしかねない、という点では一致した。

 対談が企画された背景には月刊『創』9月号の連載コラムで、鴨志田弁護士が裁判官のあり方について触れ、岡口裁判官について「言動全てに賛同するものではないが」と前置きしつつも、「この動きは断固阻止しなければならない」と書いた経緯があった。それに対して現役の裁判官から『創』に幾つかの投稿が寄せられたりしたのだが(10月号の読者投稿欄に掲載)、そうした反響を受けて、当事者をまじえてこの問題を議論しようということになった。

 座談会自体は14ページにも及ぶ長いもので、関心ある人にはぜひ全文を読んでほしいが、ここでその議論の一部を紹介しよう。

岡口判事「弾劾裁判」は三権分立を危機に陥れる

 座談会は岡口裁判官の人となりから入り、それがこの一連の事態のどんな背景になっているかが話されるのだが、ここでは割愛。そもそも弾劾裁判、そしてその前にあった分限裁判とはどういうものかについて、大賀弁護士が説明するところから引用しよう。

《大賀 今回の問題については、まず最初に制度の説明をしますね。

 裁判官は憲法では非常に高い身分保障がされていて、在任中に職を奪われたり給料を下げられたり、行政機関によって懲戒処分を受けたりすることはないと規定されています。

 ただ、その例外が、弾劾裁判です。国会と内閣と裁判所という三権分立のもとで、国会に設置された裁判官弾劾裁判所が「裁判官としての威信を著しく失うべき非行」などがあったと判断した場合は、その裁判官を罷免することができるという制度です。

岡口基一裁判官
岡口基一裁判官

 裁判所内部の処分としては懲戒処分というのがありますが、これも裁判を経なければいけません。これを分限裁判といいます。地方裁判所や家庭裁判所、簡易裁判所の裁判官に「品位を辱める行状」などがあった場合には高等裁判所で、最高裁判所や高等裁判所の裁判官に同様の問題があった場合には最高裁判所で、この分限裁判が開かれます。

 分限裁判の結果、懲戒相当となった場合には、戒告または1万円の過料の制裁という2種類の処分ができます。それを超える、例えば民間企業や一般の公務員のように減給や停職、懲戒免職といったことはできません。分限裁判と弾劾裁判の違いはそこにあります。

鴨志田 要するに、裁判官は公正中立に職権を行使するために、他から影響を受けないように憲法が身分を保障しているという前提があるわけですね。

 しかも弾劾裁判による罷免というのは、法曹資格も奪われて退職金も出ないというすごく厳しいものなんですね。罷免されるかされないかしかなくて、中間がないんです。

 分限裁判と弾劾裁判、岡口さんはどちらの対象にもなっているということですね。》

岡口判事の一連の事件の経緯

《大賀 一連の事件は大きく2つに分けられます。

 その1つは、2017(平成29)年12月に強盗殺人、強盗強姦未遂事件の被告人に控訴審判決が出た後、その判決書が、性犯罪に関する判決はネット公開しないという裁判所の内規に反して、裁判所のウェブサイトに載せられたのですが、そのURLを引用した岡口さんのツイッター投稿がきっかけになりました。被害者遺族からの抗議を受け、2018年3月、東京高裁長官が、岡口さんの投稿について厳重注意をしました。

 その後、遺族が国会の裁判官訴追委員会に岡口さんの訴追を求めるとか、ネットで岡口さんの罷免を求める署名を呼びかけるといった色々な経緯があって、2019年11月、岡口さんは、フェイスブック上で、こうした遺族の行動が「東京高裁と毎日新聞に洗脳された」という表現で、遺族は、内規違反をした東京高裁は悪くない、その引用をした岡口さんだけが悪いと思い込まされたのではないか、という趣旨の投稿をしました。

 この投稿が問題になって、今度は仙台高裁長官から懲戒申立てがあり、最高裁判所が分限裁判を開いて、2020年8月に戒告処分が出されました。

 もう1つ事件がありまして、「捨て犬訴訟」と言いますが、公園に犬を捨てて3カ月経ってから元の飼い主が名乗り出て、犬を拾って育てていた飼い主に犬を返せと言っても応じなかったことから裁判を起こし、東京高等裁判所は元の飼い主に軍配を上げました。

 2018年5月、岡口さんが、この判決を取り上げた新聞のウェブ記事を紹介するツイッター投稿をしました。これに対し、元の飼い主が東京高裁に抗議をしたため、東京高裁長官から懲戒申立てがあり、最高裁判所が分限裁判を開いて、この年の10月に戒告処分が出されました。

 「捨て犬訴訟ツイート」の方で先に戒告処分が出されたので、説明の順番は相前後しましたが、遺族と元の飼い主の両方が訴追請求をしたため、裁判官訴追委員会では2回にわたって岡口さんから事情聴取を行った上、今年の6月、岡口さんを弾劾裁判所に訴追した、というわけです。》

分限裁判の仕組みと今回の問題点

《鴨志田 刑事事件の判決に関する投稿の方は、東京高裁長官による厳重注意で終わったけれど、「捨て犬訴訟」の投稿については最高裁が分限裁判で戒告処分にした。その後遺族が「洗脳された」との投稿につき2回目の分限裁判で戒告処分になった、ということですね。

 弾劾裁判の話に行く前に分限裁判の問題に触れておきたいと思います。そもそもこんなふうにSNS上の発信でもって戒告にされるというのは、我々は裁判官は日本国憲法で高度な身分が保障されていると教わってきたので驚きでした。この辺りの分限裁判の動きについて、岡口さんご自身は思うところがあると思うので、お聞きしていいですか。

鴨志田祐美弁護士
鴨志田祐美弁護士

岡口 先ほど憲法の話がありましたけど、裁判官は独立が保障されていて、裁判所からも独立していなければいけません。したがって裁判所の裁判官に対する処分も戒告・過料に留めているわけです。

 戒告もよほどのことがあった場合に限られるので、単なるツイートで戒告になった例などこれまで全くない。

鴨志田 「捨て犬訴訟」のツイートについては、犬を拾って大切に育てていたら3カ月も前に捨てた人から返せと言われた新しい方の飼い主さんの気持ちとしてツイートされていると私は受け止めるんですけど、多くの人は岡口さんが元の飼い主さんを批判したように思えて、岡口さんの発信にも問題があったんじゃないかという指摘もあります。なので、こういう発信をされた背景とか、岡口さん自身はどういう意図だったのかを説明するのがいいと思うのですが…。

岡口 ネットでの情報発信は20年以上やってきました。こういう法律ができましたとか、こういう文献が出ましたとか、そういう発信をしてきたのです。当時はツイッターを使っていました。フォロワーは4万人くらいいまして、裁判官とは名乗らず一般の私人として実名でやっていました。

 その日に出た判決とか、一日に10から20のツイートをしていました。今回のケースも、そういうルーティンの中のひとつでしかありませんでした。とりわけ東京高裁を批判する記事は、当時自分が東京高裁に所属していたので意識的に載せるようにしていましたが、「捨て犬」訴訟は東京高裁の判決です。

 なお、これはほとんど報道されていないんですけど、捨て犬の事件も遺族の事件も全部氏名が仮称、すなわち仮名になっていまして、誰がどこでやった事件か全くわからない記事なんです。法律家は仮名になっているものはそのまま題材にして議論することを普通にやっており、今回の投稿を見ても誰の事件なのかわからないのです。判決の内容を紹介しただけであって、自分としては20年以上やっている判決紹介の一環としてやっただけの話です。もちろん元の飼い主さんを批判したつもりはありません。

 そもそもツイッターを実名でやるのはリスクが高くて、ちょっとしたことでも炎上してしまうんですね。裁判官が実名でやっているわけですからとてもリスクが高い行為なんですが、どちらのツイートも一切炎上していないし、普段から私のツイートを読んでいる方からすれば仮名の記事を紹介するだけのいつものルーティンでしかなかったと思います。

鴨志田 どちらの投稿も岡口さんが裁判例や法改正の情報をたくさん発信されてきた中のひとつだったということですね。

岡口 「遺族」の方も、ほとんど報道されていないですが、仮名処理がされていて、登場人物の実名等は示されていない判決なんですよ。 

 特にこれは最高裁のホームページにアップされているものですから、仮名処理されているものを法律家が拾ってきて議論するなんてことは普通のことなのに、報道ではそういうことを一切言わないんですね。

 刑事事件はなかなか新しい判例が出てこないので、珍しく現れた刑事の判例について、こういう事件ですよと紹介していつものルーティンでリンクを貼っただけなのです。なお、私は刑事裁判官ではありませんから、刑事判決に関する内規の存在など知りませんでした。》

白ブリーフやSMバーの独り歩き

 続いて鴨志田弁護士が突っ込みを入れる。一連の騒動のなかで岡口裁判官が白ブリーフ姿をSNSに投稿したりといった、裁判官らしくない行動が波紋を広げているのだが、それについて岡口裁判官自身の言葉で説明することを求めたのだ。

《鴨志田 私たち法律家は岡口さんからたくさんの法律情報や裁判例情報を得ています。ツイッターのフォロワー4万人の内訳はわかりませんが、フェイスブックのフォロワーも1万4千人くらいいて、その多くは法曹関係者だったり、司法試験の受験生だったり法学部の学生だったりすると思います。そういう人たちにとって有益な情報を発信していただいていると私は思っています。

 その一方で、そういうものだけではなくて、例えば白ブリーフの写真だったり、SMバーで体縛っちゃったりとか、そういうキワモノ的な投稿も多いですよね。その辺りの発信の意図も知りたいです。なぜ白ブリーフにならなきゃいけないのかなとか思う人もいると思うので。

岡口 あれは、いつもやっているわけではないですよ。やっているのは、ほとんどが法律情報なんですね。それを基本的には裁判官を名乗らずにやっています。しかも、「上から目線」で発信したくはなかったので、自分を下げることは結構してきました。

 それとSMバーにいたわけではなくて普通の飲み屋さんです。そのお店にSMバーの人が来ていて、罰ゲームで誰か縛られてみようという話になって、ゲームに負けた私が胸の周りを二回り縛られた写真をツイッターに投稿しただけなんです。

鴨志田 そういうところが独り歩きしちゃうのかなと思います。色々なものをまぜるというか、目線を下げるというのは、私は弁護士なので裁判官ほどではないですが、私もあります。『大崎事件と私』という本を最近書きましたが、再審とか冤罪とか書かれた本なんて一般の市民は誰も手に取らないじゃないですか。だから、私生活をさらけ出すというか。例えば私は飲んだくれで、色々なところで酔いつぶれちゃったりするんですが、フェイスブックも飲みネタを半分くらいまぜないと真面目な投稿は読んでもらえないみたいな、そういうところは私もよくわかります。》

今回の弾劾裁判の大きな問題点

 このあたりから議論は佳境に入る。一連の事態の本質は何なのかという問題だ。

《大賀 一番の問題は、果たして訴追された一連の行為が、「罷免」すなわち岡口さんの裁判官としての身分のみならず法曹資格をも奪うという重罰を科すことに値するのかどうか、だと思います。

 戦後、新しい憲法のもとに弾劾裁判所ができてから、これまでに罷免の訴追をされた事件は9件あります。裁判官弾劾裁判所のウェブサイトに、過去の事件と判例が出ているんですが、事件のもみ消しだとか証拠隠滅・偽証、収賄、児童買春、ストーカーや盗撮とか、要するに犯罪かそれに類することで起こっているわけです。有名なものでは、検事総長をかたって内閣総理大臣に電話し、その録音テープを記者に聞かせる、というのもありました。

 分限裁判はもう少し軽いもの、刑事事件の判決に執行猶予をつけてはいけないのにつけてしまったとか、裁判記録をなくしてしまったとか、そういう職務上の非違行為が戒告処分になったりしているんですが、弾劾裁判は「罷免」という究極の処分を決めるわけですから、それだけ重大な非行のみが訴追の対象になるべきなんです。

 ついでに言うと、裁判官訴追委員会のウェブサイトには、訴追を猶予した事案が載っているんです。裁判官の非行は認められるが、弾劾裁判にかけるほどではない、いわば検察官の起訴猶予処分に当たるものです。調停調書に虚偽の記載をさせたとか、証人尋問をサボタージュして帰宅したとか、法律上付けられない執行猶予付の判決を検察官に指摘されて、後でこっそり判決書を直したとか、そういう前例があります。

 有名な事件では、吹田騒擾事件という、刑事裁判の法廷で被告人らがスターリンの死に対して黙祷を行うことを禁止しなかった裁判長の行為が問題になったものや、平賀書簡事件という、地方裁判所長が自分の担当している事件に対して、こうしたらいいんじゃないかと裁判介入ともとれる手紙をよこしたことを、当の裁判長が記者会見で公表した行為が問題になったものがあります。

 このように、訴追猶予になるだけでもインパクトがあるわけです。岡口さんの事件も、確かに被害者遺族に対して「洗脳されている」という投稿は、遺族のご気分を害されるものであることは否めませんし、「捨て犬訴訟」のツイートにも批判はありますが、分限裁判では足りないから弾劾訴追、というのはやり過ぎではないか、と思います。

 もうひとつ指摘しておきたいことは、訴追事由とされた岡口さんの言動のうち、平成29年のツイッター投稿など幾つかのものは、3年の除斥期間を過ぎており、もはや罷免事由にすることができないはずなんです。なぜこれらを訴追事由にしたのか、裁判官訴追委員会の言い分はこれから明らかにされるとは思いますが、われわれは大きな疑問をもっており、来たるべき弾劾裁判でも問題にしたいと考えています。》

権力に物申す人を排除する先例に

 《鴨志田 今までの弾劾裁判では、性犯罪や贈収賄など、判断者の所属政党や属性とは関係なく、罷免すべき理由が明らかな人しか対象にされていません。それと岡口さんの弾劾裁判は本質的に違うと思います。表現行為という、市民として尊重されなければならないところにターゲットが向いていることに、とても危険なものを感じてしまいます。

大賀 国会自体、第二次安倍内閣以降、立憲主義を忘れているような、今までできなかったことを次々とやっています。たとえば集団的自衛権に関する閣議決定をあっさり変えてしまったり、それを法制化して国会で強行採決するということが繰り返されています。自分たちは選ばれしものだから何でもできるんだ、という意識が、モリカケや「桜を見る会」の問題に繋がっていると思いますし、ときの政権の意に沿う検事長を定年延長させてまで検事総長に据えようとするとか、気に入らない者は学術会議の指名があっても任命を拒否するとか、そんなことの延長と言っては言い過ぎでしょうか。

 裁判官も政府批判の発言をしているような人は、いささかの不適切発言があったのを奇貨として、という意図があるんじゃないかなと感じざるを得ません。これは個人の見解ですけれど。

鴨志田 岡口さんは、時の政権だったり、いわゆる権力側のしてきた様々な問題、多数派の横暴みたいなことについてはかなり批判する発信をしてきたと思うんです。岡口さんご自身も書籍に書いていましたけど、裁判所は少数者の人権を守るべく独立が保障され、だからこそ国会や内閣から独立して職権を行使するんだと。国会や内閣は多数決の論理が働いていて、結局多数の声に少数者がかき消されてしまうのを守る最後の場所が裁判所なのだから、裁判所のメンバーである裁判官に対して、その表現行為を理由に弾劾で罷免するというのは、岡口さんだけの問題にとどまらないと思います。政権が、権力に物申す人を、こういう手を使って排除していく先例になってしまうのではないかと危惧しています。》

これでは三権分立の根幹が揺らいでしまう

《岡口 読者の方に申し上げたいのは、憲法は国民の自由を守るためのものであることをわかってほしいということです。誰から守るかというと、それは権力者からです。今回のことはその根幹に関わっています。

 国民の自由が侵害された時には裁判所が違憲審査権を行使するなどしてその国民を救済します。これは三権分立という、人類の歴史が出したひとつの答えなんです。三権分立はとても重要なので、揺らいではいけない。今回は平気で国会が司法に対して弾劾裁判で介入してきているんですけど、これによって三権分立の根幹が揺らいでしまう。かなり基本的なところを攻められていることは理解していただきたいと思います。

鴨志田 色々な意味で権力のフリーハンド化が見受けられると思います。大賀さんが例に出したモリカケもそうですし、学術会議の任命問題にしてもそうです。権力者が横暴するから好き勝手しないように憲法ができていて、権力者の横暴を縛るために立憲主義というシステムが作られて、国会が暴走しないように憲法の守り手である裁判所が違憲審査権を行使するなどして自由を守るということを、長年の歴史で作ってきたわけですよね。

 ところが、今回のことに関して言いたいのは、裁判所もだんだん権力に溺れるというか、裁判所の人事や行政も自由や人権を守るということに対して後ろ向きになっているのではないかと思います。私たちはどこにすがればいいのか。多数派には踏みにじられ、救済を求めるべき裁判所では、例えば原発を止めたり再審を開始したりする裁判官が雪深い支部に飛ばされてしまっている。一般の人はどこに助けを求めればいいのか、と絶望的な気持ちになります。

大賀 まさに鴨志田さんのおっしゃった通りで、岡口さんを前にして言うのも何ですが、ご遺族についての「洗脳されている」発言は誹謗中傷の意図はなかったにしろ遺族の気分を害するのは確かなので、そういう意味では不適切な発言でした。しかしそれには遺族側が損害賠償を求める民事裁判を起こしているわけです。それで岡口さん側も謝罪して償いをしたいと言っているので、そこで解決が図られるべきだと思うのです。

 それなのに、国会があえて身を乗り出して今回のようなことになってしまった。果たしてそれでいいのか、というのが私の思いです。

 最近、「不当な訴追から岡口基一裁判官を守る会」のウェブサイトを立ち上げました。弁護士や学者の方に世話人になっていただき、弾劾裁判所に罷免をしない判決を求める共同声明を出し、著名な法学者をはじめ、学者・研究者やジャーナリストの方々に賛同していただき、ウェブサイト上で賛同者を募る形になっています。

 まだ1週間くらいしか経っていないのに、元裁判官とか裁判所職員、法律家だけでなく、多数の方から実名で、これはちょっとやりすぎじゃないかという声をいただいて大変心強く思っています。これからどんどんこの運動を広めていきたいと思います。

 また、9月18日13時半から「全国憲法研究会・憲法問題特別委員会 第8回公開シンポジウム(オンライン)」で、この弾劾裁判のことを取り上げて集中的に議論をしていただくことになっています。

鴨志田 岡口さんだけの問題にとどまらないということをもう一度考えておきたいです。裁判官がものを言えなくなるというのはやっぱり怖い。裁判所って、裁判官の人間らしさみたいなものが表に出ることをタブー視してますよね。

岡口 今回色々な反応を見ていて思ったのは、裁判官というのは雲の上にいて本当の姿を示さないでほしい、というのが、何となく国民の側にもありますよね。

鴨志田 裁判官が表に出てこないで顔と名前も一致しない、最高裁の裁判官の名前なんか一人もわからない国民が多数という中で、裁判官をとても遠い存在だと思ってしまっていることがこの問題からあぶりだされてきたと思うんですね。裁判官がどういう人となりで、これまでどういう判断をしてきたのかがもっと語られないと、雲の上の品行方正、清廉潔白な個性のない存在として市民に認知されてしまっている。そこにそうじゃない、個性的な人が出てくると批判の対象になるというのは由々しきことだと思います。

大賀 刑事裁判は検察や警察という国家権力を相手にしますし、民事裁判でも国や自治体、大きな企業を相手にすることがあります。裁判官にとっては、時の権力の意思に反する判決を出すには度胸がいる。われわれは、そういう英断を求めるために裁判をやるんですけど、よく裁判官の「当たり外れ」という言い方をします。いくら死力を尽くして証拠を集めたとしても、聞く耳を持たない裁判官には届きませんから。

 裁判官が上を見ないで世論におもねらず、自らの良心に基づいて判決を出せるようにしないと、国民にとっても不幸なことだと思います。》

憲法の根幹が揺るがされている現実

《鴨志田 本当の意味での「裁判官の独立」がなくなってしまっているということが今回の分限裁判と弾劾裁判の流れではっきりしたと思います。良い判断をするかどうかというところが裁判官の評価の対象になるべきです。「裁判所は間違わない」とか、一般の人から距離を置くということで裁判所の信頼を得ようとしているけど、本当はそうじゃない。「消極的信頼」と岡口さんは本に書いていたと思いますが、裁判所が信頼されるために何が必要なのかということについて、岡口さんはどう思われますか?

岡口 今回の弾劾裁判には深刻な問題があります。さきほどお話ししたとおり、自由主義の根幹部分である三権分立が平気で侵されていることです。しかし、それにとどまらない、さらに深刻な問題があるようにも思います。それは、裁判所当局と権力者のいわば連合軍による裁判官の統制です。権力者側としても、顔が見えない裁判官にしておきたい。裁判所当局と権力者の思惑が一致していることが裏にあって、今回の分限裁判と弾劾裁判が連続しているようにも思われます。しかし、そこまでして裁判所の顔を隠してしまうと、国民としては、そういう顔が見えない人たちに裁かれてもいいのかという問題になります。

 今回問題になった私の情報発信は実名でしてきましたけれど、これはいわばひとつの社会実験であり、裁判官が表現の自由を行使したらどうなるだろうというのを実際にやってみたものです。結果は案の定、裁判所当局に徹底的にやられました。そして最終的に権力者が乗り出してきました。

 これが通ってしまうと、本当に裁判官は一切黙り込んでしまいます。裁判官みんなが黙ってしまう。そうすると権力者プラス裁判所当局による裁判官統制が進むことになって、裁判官の自由がどんどん奪われていくことに繋がる。私が意図せずやった社会実験は大失敗だということになりかねない状況だと思います。

鴨志田 それを大失敗にしないために、ここで踏みとどまらなければいけません。弾劾裁判で罷免という結論が出てしまった日には、岡口さんが言ったような権力による統制がまかりとおって、適正な裁判という、少数者の人権を守るために機能すべきシステムが崩壊していく。それに誰もものが言えなくなってしまいます。》

 現役の裁判官と弁護士がこんなふうに顔を合わせて熱く議論することだけでも異例と思われるが、さて弾劾裁判をめぐる今後の経緯はどうなっていくのだろうか。

『創』10月号については下記をご覧いただきたい。

http://www.tsukuru.co.jp/

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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