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相模原事件・植松聖死刑囚が初出展した「死刑囚表現展」について接見時に本人と話したこと

篠田博之月刊『創』編集長
植松聖死刑囚の出展作品(提供:死刑廃止のための大道寺幸子・赤堀政夫基金

今年は注目されたが故に誤解も気になった

 2020年10月23~25日、都内で第16回死刑囚表現展が開催された。今年は、3月末に死刑が確定した相模原障害者殺傷事件の植松聖死刑囚らが初出展したというので、新聞が報道したため、例年になく注目された。

 注目されるのは良いことなのだが、その後、死刑囚の作品をこんなふうに展示することは被害者感情に反するのでは、という視点から幾つかの報道がなされている。私は死刑囚表現展には以前から関心を持ってきたが、こういう取り上げられ方をされたのが残念で、それについて書いておこうと思った。月刊『創』(つくる)では昨年もそうだったが、今年も11月7日発売の12月号で、表現展の運営にあたっている太田昌国さんの報告を掲載している。

 死刑囚の作品を展示する表現展を、被害者感情から見ていかがなものか、という問題の立て方は、この表現展がどういう経緯で行われ、どんな意図で運営されているかあまり知らない記者や編集者が思いついたものと言わざるを得ない。こういう誤解が生じること自体、この表現展がまだまだ知られていない証拠なのかもしれない。

 例えばどういう記事かというと下記のようなものだ。神奈川新聞の記事は両論併記で抑制は効いているが、そもそも被害者家族にコメントを求めれば、尾野剛士さんだって当然、批判的なコメントをするだろう。それを見越したうえで記事を作ろうという意図が感じられる。女性誌の記事はもっとそうだが、もう少しこの表現展について調べてから記事を書いてほしかった。

https://www.kanaloco.jp/news/social/article-274509.html

植松死刑囚が「作品」出展 都内で23日から「表現展」

https://news.yahoo.co.jp/articles/cb83ccbb86b055aab65fab4e2e617faebed51b29

植松死刑囚の出展する展示会が物議 遺族への配慮欠くと批判も

[追補]この記事は10月31日に書いたものだが、11月1日の現時点で少し補足しておきたい。というのも、私が思った以上に、この表現展について反響が広がっているらしいからだ。選考委員の一人でもある香山リカさんが私の記事を紹介する形でツイートしていたが、その中で、表現展事務局に抗議が来ていると書いていた。マスコミ報道は予想以上の影響を及ぼしているらしい。

 実は、表現展を訪れた人が別の感想をsnsに書いていて、私はそちらも気になっていた。今年はマスコミが報道した影響で、表現展の趣旨を理解していない興味本位の客が目につき嘆かわしく感じた、というものだ。死刑囚の描いたものが展示されているというので、興味本位に訪れる人が増え、一方でけしからんと抗議の電話をかけた人もいた、というわけだ。

 抗議する人がいたのは、例えば神奈川新聞の記事が「被害者家族失望『贖罪の気持ちない』」という副題をつけたゆえだろう。記事の中で被害者家族の尾野さんが「有害でしかない」と強く批判しているから、当然、それを重く受け止めた読者は少なくなかったはずだ。果たしてこのコメント取材を行った記者は、表現展について尾野さんにどう説明したのか、そもそも表現展の趣旨や経緯について記者自身がどのくらい理解してここに被害者家族のコメントを入れようと考えたのか。見方によっては、市民感情を煽っているようにも見える。

 以上が追補部分だ。以下、10月31日に書いた記事に戻る。

 この表現展出展作品については、10月に開催される「フォーラム90」の死刑廃止を訴える集会で、毎年、かなりの時間をとって選考委員による選評が行われる。選考委員は、加賀乙彦さんや川村湊さんら見識のある人たちで、選考もかなり突っ込んで行われる。決して犯罪を犯した人たちの書いたものをそのまま垂れ流すといったものではない。死に直面してぎりぎりの心情に立たされた死刑囚たちが、その思いを作品にどんなふうに昇華させるか、その選評も考えさせるものだ。

 今年は10月10日に「いのちの選別と死刑」というタイトルで集会が開催され、その動画はホームページで公開されている。

http://www.forum90.net/

 長時間の集会をそのまま録画したもので全部見るのは相当疲れると思うし、この死刑囚表現展の選評は休憩をはさんだ後半なので、そこから見るとよいだろう。今年は都合により、選考委員のごく一部しか出席できなかったのが残念だ。

 今回出展された植松死刑囚の作品は不評だった。酷評と言ってもよいかもしれない。植松死刑囚が『創』に精緻なイラストなどを投稿していたのは多くの人が知っているから、そういうものに比べると、今回出展した作品は自分の主張をただ投影しただけで作品になりえていない、という評価だ。

 この表現展では、一貫してそのことは選考委員によって語られている。自分の主張をそのまま書いたり、自己を正当化するだけの表現は、これまでも酷評されてきた。だから、犯罪を犯した者の表現をそのまま展示するのは被害者を傷つけるのでは、という一部マスコミの取り上げ方自体、そういう表現展の事情を知らないゆえに出てくるものだ。

山田浩二「すぐに終るから」
山田浩二「すぐに終るから」

 表現展出展作品全体の選評をコンパクトにまとめて報告したのは前述した『創』12月号の記事で、これを読むと、表現展のスタンスがよくわかる。植松死刑囚の作品も、寝屋川事件の山田浩二氏の作品も、作品性という観点からみると厳しい評価をされている。

風間博子「命 弐〇弐〇之壱 獄窓パラダイス」
風間博子「命 弐〇弐〇之壱 獄窓パラダイス」

 今回、『創』では、絵画作品などを初めてカラーグラビアで紹介した。上述した2人のほかにも、常連出展者である秋葉原事件の加藤智大死刑囚など重大事件の当事者の作品がずらりと並んでいる。

 特にすごいと思ったのが、埼玉愛犬家殺人事件の風間博子死刑囚の作品で、この事件については先頃、フジテレビでドラマが放送されたが、風間死刑囚は一貫して冤罪を主張している。以前は表現展の出展作品も冤罪の訴えをそのまま描いたようなものが多かったように思うが、今年の作品は生死の境目にいる彼女の思いが込められている。

 死刑囚表現展についての太田さんの『創』12月号の記事にはこう書かれている。

《複雑な思いを深めつつ、死刑囚表現展第16回目に当たる2020年度の応募作品に触れた。従来は、平均すると、死刑囚(確定・未決の双方を合わせて)のうち15%から18%程度の人びとからの応募があった。今回は23名からの応募で、死刑囚の20%を超える割合に相当する。それは、この間の執行の速度と処刑される人の数とが急速に増したことを意味している。》

表現展について植松死刑囚と4月の接見で話した

 さて、今回話題になった植松死刑囚の出展についてだが、実は彼の死刑確定直後の4月初めに、横浜拘置支所で彼に出展を勧めたのは私だった。彼は『創』を読んでいたから、死刑囚表現展については知っていたと思うのだが、その話をした時、当初はあまり乗り気でない反応だった。

 植松死刑囚が獄中で描いたイラストなどは、『創』で紹介され、先ごろ出版された『パンドラの箱は閉じられたのか』では表紙を飾っている。観音像を描いたものだが、それ以前に描いた鯉や龍のイラストも、説明的な要素は全くないだけに作品としては興味深いものだ。母親がプロの漫画家だったこともあるのだろうが、死刑を覚悟してからの彼の獄中でのイラストなどの作品にかける情熱はかなりのもので、私は当然、それらをもっと描いて死刑囚表現展に出展することを提案したのだった。

植松死刑囚の出品作品(4枚組)
植松死刑囚の出品作品(4枚組)
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 彼は最初、うーんという感じの反応だったが、そこで私が言ったのは、もう死刑確定によって君は社会と隔絶さ れ、君の声が社会に出ることはなくなってしまう。そういう状況において何か社会に表現するなら、この表現展に作品を出展するというのは貴重な機会だ、というものだった。

 出展作品を描いたのは6月だったようだから、その後、東京拘置所へ移って接見禁止となり、実際に社会と隔絶された彼は、いろいろ考えたに違いない。私が勧めたのは、もっと作品性の高い表現だったのだが、考えた末に、自分が一貫して訴えてきた7項目を表現しようと、植松死刑囚は考えついたのだろう。彼のその7項目は、裁判での被告人質問でも詳細に語られたものだが、それ自体が差別的だから反発を受ける恐れがあることは彼も自覚していたろう。もしかすると公表されずにボツになるかもしれないとも考えたかもしれない。

 しかし、考えた末、もういつ死刑執行されるかわからない状態に置かれている自分にとって、最後に表明したいのはやはりそれだと判断したのだろう。

 4枚組の作品の最後の1枚をよく見ると、真ん中へんに唐突に「創」という文字が書かれている。植松死刑囚なりの私への意思表示なのかもしれない。

 多少背景などに工夫は凝らしているものの、自分の主張を並べただけの作品だから、それが高い評価を受けるとは本人も思っていなかったろう。獄中生活を素描した絵なども『開けられたパンドラの箱』では紹介されているが、そうやってイラストやマンガを描いてきた彼には、デッサンの技術も見につき始めていたし、自分でもどういうものが評価されるかくらいわかっていたはずだ。

 でも、それにもかかわらず、一見稚拙とも見えるような、7つの主張を並べただけの作品を、植松死刑囚は出展してきたのだった。10月10日の集会での選評で、選考委員の一人でもある香山リカさんは、彼にとっては最初の出展なのでまずは腕試しという感じじゃないですか、とフォローをしていた。確かにこの表現展には、秋葉原事件の加藤死刑囚もそうだが、常連という人たちが毎年出展し、選考委員の酷評をばねに翌年再び挑戦するという、ある種のコミュニケーションができつつある。その点では、植松死刑囚には来年に期待、という選評だが、でも現実を考えれば、死刑囚にとって、来年そんなことができる保証はどこにもない。

 実際、常連だったこの方が執行されました、という報告が今年もなされたように、安倍政権以降、死刑執行は相当増え、ペースも早まっている。自分で控訴取り下げをして死刑を確定させた植松死刑囚の場合、執行が早いことは明らかだ。同様に自ら控訴取り下げを行った池田小事件の宅間守死刑囚の場合は、確定から1年後に刑が執行された。

 死刑囚とはそういう存在であり、そんな中で言葉を紡いだり、自分の心情を絵画に表現しようと出展してくる彼らが、社会と接点を持てるわずかな機会が、この死刑囚表現展だ。今回、被害者感情を取り上げて、物議をかもしたと報道されているのは、そういう経緯や内容が十分に知られていないためだろう。死刑をめぐる状況がどうなっているのか、死刑囚たちはどういう心境に置かれているのか、表現展をきっかけに少しでも多くの人が知ってほしいと思う。

作品提供:死刑廃止のための大道寺幸子・赤堀政夫基金

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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