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相模原障害者殺傷事件とALS嘱託殺人の共通性、そして思い出される「ドクター・キリコ事件」

篠田博之月刊『創』編集長
ALS殺人事件を報じるマスコミ(筆者撮影)

風化が急速に進む相模原障害者殺傷事件

 今年も7月26日がめぐってきた。津久井やまゆり園元職員の植松聖死刑囚が19人の障害者を殺害した相模原事件の起きた日で、今年は4年目にあたる。3月16日に横浜地裁で死刑判決が出されたという意味で今年は大きな節目だったが、コロナ禍の影響で県の追悼式は行われず、昨年までに比べて新聞・テレビの報道も小さなものだった。

 津久井やまゆり園に設けられた献花台を訪れた黒岩知事は「事件を風化させてはいけない」と強調したが、風化の印象は拭えない。7月26日へ向けて犠牲者である美帆さんの遺族が手記を発表して報道されたが、この動きがなければマスコミも素材がないとして「相模原事件4年」の報道そのものがあまりなされなかったかもしれない。

 本当は裁判で解明できずに残された障害者差別や障害者支援のあり方をめぐって議論がなされなければならないのだが、植松死刑囚も死刑が確定して接見が禁止されてしまったこともあって、マスコミも風化の流れを突破できずにいる。

相模原事件からもう4年が経過した(筆者撮影)
相模原事件からもう4年が経過した(筆者撮影)

 いったい相模原事件の何が明らかになり、どういう課題が残されたのか。さる7月24日、その問題をめぐってロフトプラスワンでオンライン討論会を行った。『こんな夜更けにバナナかよ』作者の渡辺一史さんや作家の雨宮処凛さんなどのほか、やまゆり園家族会前会長の尾野剛志さんや精神科医の松本俊彦さんらの興味深い発言がなされた。

 8月7日までは視聴ができるので、関心のある方は下記からアクセスしてほしい。

≪配信版≫相模原障害者殺傷事件の真相に迫る

~「パンドラの箱は閉じられたのか」出版イベント~

https://www.loft-prj.co.jp/schedule/plusone/149059

同じ7月に起きたALS嘱託殺人事件と通底するもの

 さて、相模原事件の風化が進みつつあるという、そういう状況の中で、衝撃を与えたのが京都のALS女性に対する嘱託殺人事件だった。当初は「安楽死」殺人とも報じられたが、逮捕された医師の行為は本来の安楽死とは別のものだという専門家の指摘も受けて、「安楽死」という言葉が後景化した。そもそも相模原事件自体、植松死刑囚は重度障害者を安楽死させるという言い方をしていたが、当事者の意思に反して殺害するのは安楽死という概念とは全く違うという批判もされてきた。

 今回起きた事件の詳細な経緯は今後、捜査によって明らかになってくるだろう。ただ、相模原事件でも浮き彫りになった命の選別といった問題と今回のALS嘱託殺人に通底するものがあることは確かだろう。植松死刑囚は最終意見陳述でこう言った。

「この裁判の本当の争点は、自分が意思疎通がとれなくなった時を考えることだと思います」

 植松死刑囚のやったことはもちろん許されることではないが、相模原裁判でほとんど解明も議論もなされなかった「自分が意思疎通がとれなくなった時」を考えるというのは、今回の嘱託殺人事件でも議論すべきことなのかもしれない。

 今回の事件を受けて、れいわ新選組の舩後靖彦参議院議員が公式コメントを発表している。

https://yasuhiko-funago.jp/page-200723-2/

《報道を受け、インターネット上などで、「自分だったら同じように考える」「安楽死を法的に認めて欲しい」「苦しみながら生かされるのは本当につらいと思う」というような反応が出ていますが、人工呼吸器をつけ、ALSという進行性難病とともに生きている当事者の立場から、強い懸念を抱いております。なぜなら、こうした考え方が、難病患者や重度障害者に「生きたい」と言いにくくさせ、当事者を生きづらくさせる社会的圧力を形成していくことを危惧するからです。

 私も、ALSを宣告された当初は、出来ないことが段々と増えていき、全介助で生きるということがどうしても受け入れられず、「死にたい、死にたい」と2年もの間、思っていました。しかし、患者同士が支えあうピアサポートなどを通じ、自分の経験が他の患者さんたちの役に立つことを知りました。死に直面して自分の使命を知り、人工呼吸器をつけて生きることを決心したのです。その時、呼吸器装着を選ばなければ、今の私はなかったのです。》

逮捕された医師が「ドクター・キリコになりたい」と

 逮捕された医師は、これまでも今回のような事柄を予兆させるような書き込みをネットに行っていたようで、その中で「オレはドクター・キリコになりたい」などと投稿していたという。ドクター・キリコは、手塚治虫さんの人気マンガ「ブラック・ジャック」に登場する安楽死に積極的な医師のことだ。

 その話を聞いて、98年暮れに起きた「ドクター・キリコ事件」を思い出した。札幌に住む「ドクター・キリコ」を名乗る男性が自殺志願者に青酸カリを送り、実際にそれを使って自殺した人が出て大きなニュースになった事件である。その男性は事件が発覚した時点で自らも自殺したのだが、実は『創』は翌年99年に札幌のその男性の自宅を訪れて母親にインタビューし、同年8月号にそれを掲載している。

ドクター・キリコこと草壁氏が残したパソコン(筆者撮影)
ドクター・キリコこと草壁氏が残したパソコン(筆者撮影)

 その時、その自宅を訪れ、2階にあった男性の机とパソコンに触れたのだが、残念ながら当時はネットに全く疎かったため、そのパソコンを開いて中に残された情報を見ることができなかった。遺族となった両親もパソコンは使えず、男性は自殺してしまって事件にはならなかったため、押収されたパソコンは自宅に戻されたまま、誰も中のデータを解析できなかった。男性は自殺する前に恐らく問題になりそうなデータは消去したと思われるが、残されたデータだけでも見ることができなかったのは残念だった。

 今回の事件と同じように男性はお金を受け取っていたため、当時は金銭目当てのとんでもない人物であるかのように報道されたのだが、実はそう単純ではないことが取材によって明らかになった。

 男性は、自殺志願者にシンパシーを持ち、いつでも死ねる薬を持つことが自殺志願者にとって安心のためのお守りになり、自殺を思いとどまらせることもある、という考えから、青酸カリを渡していたというのだ。このへんはなかなか理解が難しい話だが、男性が金銭目的といった単純な動機でなかったことだけは明らかなようだ。

 今回の事件も2人の医師の行為は捜査の対象となり当然非難を浴びているわけだが、医師がどういう思いで嘱託殺人をやっていたか自分の見解を表明し始めれば、もしかしたらそう単純ではない問題を提起する可能性はある。

かつての「ドクター・キリコ事件」との共通点も

 そこで今回、『創』99年8月号に掲載した「ドクター・キリコ事件」母親の話を復元して公開することにした。

 もちろん今回の事件と通底する部分もあるし、そうでない部分もあるだろう。しかし、相模原事件で十分な議論がなされなかった問題も含めて、それらには何やら通底するような問題があるような気がしないでもない。

 再録した「ドクター・キリコ事件」の記事は下記のヤフーニュース雑誌に一部略で公開したのでご覧いただきたい。

https://news.yahoo.co.jp/articles/8c037cc60736085cffc6955bca00b69dba6d764e

ALS嘱託殺人事件で注目された「ドクター・キリコ事件」の真相

 ここでは、その記事の冒頭文の解説の一部を掲げておこう。

《ドクター・キリコこと草壁竜次さんのパソコンは、彼が生前使っていた2階の部屋の中央に置かれていた。98年暮れに警察に押収され、1月に返却されたものだった。

「警察から戻って来た時、故障しているようですよと言われたんです」

 母親はそう言ったが、起動させてみると、何の問題もなく動き出した。草壁さんが入力したアドレス帳が画面に表示される。その画面を通して、彼は「ドクター・キリコの診察室」に書き込みを行っていたのだった。

 日本中を震撼させたあの事件。来るべきネット社会への不安と怯えからマスコミは自殺事件をおどろおどろしい犯罪として連日大々的に報道した。ネットを通して青酸カリが売買されたとして草壁さんは凶悪な毒物の売人としてマスコミに避難された。

 しかし、当時の報道が実はだいぶ実態と違っていたことが、その後の関係者の証言を通して明らかになりつつある。最初のきっかけは、「ドクター・キリコの診察室」は自分が開設したホームページの一部だった、と告白した「練馬区の主婦」美智子さんだった。元々自殺志願者で人前に出るのも嫌だった彼女だが、勇を鼓して積極的にマスコミの取材に応じたのだった。草壁さんは金儲けのために青酸カリを送っていたのではないこと、いつでも死ねる薬を持つことが自殺志願者にとって安心のためのお守りになり、自殺を思いとどまらせることもあること、草壁さんもそれを認識していたこと、等々。――それらの証言は、草壁さんが最終的に自殺に追い込まれたのは自分の開いたホームページが原因であったという自責の念が、彼女を突き動かした結果でもあるように思う。

 そうした動きに触発されて、それまでいっさいマスコミの取材には応じなかった草壁さんの親も、重い口を開き始めた。そして今回、本紙に草壁さんの母親の詳細なインタビュー記事が掲載されることになったのだった。》

《様々な新しい事実が明らかになりつつある現在、もう一度冷静にあの事件は何だったのか考えてみる必要があるのではないだろうか。あの騒動全体がネット社会の到来に怯えたマスコミによる過剰反応の産物だったのではないか。

 一人息子を失ったうえに本人と家族の名誉も剥奪された草壁さんの両親の被った傷は、まだ全く癒えていない。》

 以下詳細はヤフーニュース雑誌に採録した記事をご覧いただきたい。

 また今回の事件と通底する相模原事件の詳細については、創出版刊『パンドラの箱は閉じられたのか』をぜひお読みいただきたい。裁判の詳細な記録と、この事件の論点がほぼ全てまとめられている本だ。

http://www.tsukuru.co.jp/books/

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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