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相模原障害者殺傷事件・植松聖死刑囚からの手紙と、早期執行の嫌な予感

篠田博之月刊『創』編集長
2020年6月下旬の植松聖死刑囚からの手紙

 死刑が確定した相模原障害者殺傷事件・植松聖死刑囚から6月下旬にも封書が届いた。彼が東京拘置所に移送されてから3通目になる。手紙は届くけれど、内容は限定的なものだ。私が彼に金銭の差し入れをした礼状で、その目的に限定して死刑確定者から手紙を発信することが認められているのは大阪拘置所なども同様だ。

 ただ、あくまでも本人が裁判所に申請し、そのつど判断を得ることになっているようだ。だから手紙と言っても自由に何でも書けるわけではない。「お身体を何卒ご自愛下さいませ」と私の健康を気遣う一文は含まれているが、差し入れへの礼状という目的に沿った内容しか発信は認められない。

 何回やり取りしてもそれだけでは定例的な文章で、植松死刑囚がいまどういう状況でどういう心境なのかという、知りたいことはわからない。だから、当然、それを乗り越えるべき、いろいろな試みをしている最中だ。

連続幼女殺害事件・宮崎勤元死刑囚とは特別接見が認められたが

 私は2006年、埼玉連続幼女殺害事件の宮崎勤元死刑囚に死刑が確定した直後、特別に接見を許可されて何回か面会をしている。その2006年は、旧監獄法が改正され、死刑囚や懲役刑服役者などの処遇が大幅に改善された時期だった。しかも、私は死刑確定まで宮崎死刑囚とは12年にわたって密に交流しており、そのことは拘置所当局も把握していた。だから、特別に接見が許可されたのだと思う。

 ちなみに私は、宮崎元死刑囚の50万円弱の財産も預かり、彼の銀行口座を作って管理していた。なぜそうしたかというと、宮崎元死刑囚から毎月、相当量の本の差し入れ要請リストが届き、私が預かったお金から購入して送っていたからだ。本のリストのほとんどはマンガだったが、既刊本は大半が絶版・品切れだった。マンガのほかに彼は、自分の事件関係の本や精神鑑定や刑事弁護の本などを購入していた。ただ、マンガ以外はどの程度きちんと読んでいたか定かでない。

 特別接見許可が拘置所から出て、私が接見に行った時、宮崎元死刑囚は本当に喜び、全く無表情だったいつもと違って口元をほころばせた。

 しかし、その後、死刑確定者の処遇は制限が厳しくなり、家族と弁護人以外の「知人」については、一度広がった弾力的運用の道が再び閉ざされていった。

 だから今回は、当時と状況がかなり違う。2006年当時は私だけでなく、死刑囚と接見できることになった人たちがたくさんいた。それが再び制限が厳しくなって、例えば私は、奈良女児殺害事件の小林薫死刑囚についても大阪拘置所で接見許可がおりなかった。

 昨年、寝屋川事件の山田浩二被告が控訴取り下げで一時期、死刑確定者になってしまった時は、以前から接見していたキリスト教関係者だけが接見を許可された。

漫画も連載中断。背景に処遇の厳格な運用が

 さてそういう事例を幾つも見てきて、大体事情は知っているつもりだが、植松死刑囚との接見は、上記の礼状以外、いまだに認められていない。彼が横浜拘置支所にいた頃は頻繁に接見をしていたが、そういう記録もどれだけ東京拘置所に渡っているか定かではない。

植松死刑囚がいる東京拘置所
植松死刑囚がいる東京拘置所

 

 「知人」枠での接見希望は植松死刑囚を通じて東京拘置所に申請されているはずだが、それがすぐには実現しないと思った私は、6月19日、弁護士と一緒に東京拘置所を訪れた。もちろん接見するのは弁護士で、私は待合室で待機するつもりだった。

 これまで弁護士であれば、本人が承諾すれば死刑確定者にも接見できる事例があったからだ。というか、そのへんは拘置所側の裁量なのだが、弁護士が接見を希望し、本人が応じれば、接見が許可されることが通例だったように思う。

 しかし、残念ながらその時は不許可になった。約1時間待たされたから、拘置所側もいろいろ検討したのだろう。接見申し込みが植松死刑囚本人に伝わる前に、拘置所側の判断で不許可になってしまったのだった。

 ちょっとこれは予想外で、思った以上に現状が厳しいことを実感せざるをえなかった。

 後で確認したら、植松死刑囚の連載漫画を掲載している『実話ナックルズ』も予想に反して接見許可が得られず、原稿の受け渡しも不許可になったという。最新号から、連載は突然、休載になってしまった。

 死刑囚の処遇は、全国一律で基本的には決められているのだが、細かい点については拘置所長の裁量によると言われる。今のところ、植松死刑囚については、あまり柔軟な対応が期待できないのが現状のようだ。もちろん今後も粘り強く交渉は続けるつもりだが。

控訴取り下げでの死刑確定は早期執行に影響も

 そういう状況のなかで、少し気になるのが、死刑執行まであとどのくらい時間的猶予があるかということだ。いまだに植松死刑囚との接見にこだわっているのは、1~3月に行われた裁判がほとんど事件の本質的な解明になっておらず、あの凄惨な事件がいったい何だったのか、本質は何だったのか、明らかになっていないことが多いからだ。

 6月に、裁判での詳しい証言などをまとめた本『パンドラの箱は閉じられたのか』(創出版刊)を刊行し、今までに比べれば相当、事件の本質に迫ったつもりだが、この本にも「相模原障害者殺傷事件は終わっていない」と副題をつけたように、真相が解明されていないことはかなりたくさんある。このままだと、この社会は、あの凄惨な事件からほとんど何も教訓化せず、何の対応もできないままになってしまう。それではいけないという思いがあるからだ。

 

 知らない人も多いのだが、死刑確定者は、法律上は半年以内に刑が執行されることになっている。ただその法律は厳格に守られておらず、何十年も拘置所で過ごしている死刑囚もいる。なぜかといえば、死刑囚の場合、刑を執行してしまえば二度と元に戻すことはできない、それだけ重たい刑罰だからだ。帝銀事件の平沢元死刑囚のようにどう考えても冤罪としか思えない人もいて、どの法務大臣も執行命令書にサインできず、高齢化して病死したケースもある。死刑執行というのはそれだけ重たい事柄なのだ。

 しかし、比較的執行が早いのは、死刑囚自ら控訴を取り下げて死刑を確定させた場合だ。これまで一番早かったのは付属池田小事件の宅間守元死刑囚で、確定から執行まで1年だった。宅間死刑囚は、控訴を取り下げたばかりか、早期執行を望んで法務省に要請を行うなどしており、それが執行を早めたのは明らかだ。 

 私が取材で関わった死刑囚で言えば、土浦無差別殺傷事件の金川真大元死刑囚も、自ら控訴取り下げを行い、早期執行を望んだが、死刑確定が2010年1月、執行は2013年2月21日だった。その日は同時に3人の死刑が執行されたのだが、金川元死刑囚のほかに私が関わった奈良女児殺害事件の小林薫元死刑囚も含まれていた。2人とも控訴取り下げを行ったことは共通していた。自ら望んで死刑台へのボタンを押したという事情は、やはり執行にあたって考慮の対象になっているのは間違いないと思う。

 現在、日本の死刑確定者は100人を超えており、死刑判決も死刑執行も多くなっている。私が関わった死刑囚で言えば、宮崎勤元死刑囚も、確定が2006年2月で執行が2008年6月と早かった。宮崎元死刑囚は判決に納得しておらず、当時、再審を考えて弁護士にせっせと依頼の手紙を書いていたから、その矢先の早期執行には、多くの人が驚いた。

 これについては当時の鳩山邦夫元法相(故人)がテレビで自ら事情を説明していた。自分が法相になって死刑執行のペースを早めようと考えた時、見せられた資料で知っている名前が宮崎だったというのだ。死刑執行早期化を考えた法務大臣の目にたまたま宮崎元死刑囚は入ってしまったのだった。

 そんなふうに死刑執行のタイミングについては、いろいろな事情が影を落とす。執行に多くの人が異を唱えず、しかも本人が自ら控訴を取り下げているという意味では、植松死刑囚の執行も早い時期になると思われる。

 植松死刑囚も、いつ執行されるかわからない状態だ。私のもとにはいまだに、相模原事件はまだ解明されておらず、このまま真相が闇に葬られてしまってはいけないという声が、精神科医や専門家から寄せられている。

 この間、特別接見を試みて拘置所側が示した原則的な対応を見て、ちょっと気になる印象を得た。オウム幹部らの一斉執行の例でもわかるように、社会的注目を浴びた事案については、いろいろな政治的判断が影を落とす。植松死刑囚について法律を厳格に運用しようという意思が働けば、執行は一般に思われている以上に早いかもしれない。

  

事件の本質はまだ解明されていない

 相模原事件についての一番大きな疑問は、なぜ植松死刑囚が障害者支援という職業に就きながらあのような考えに至り、凶悪な犯行に踏み切ったのかということだ。刑事責任能力については裁判で決着がつけられてしまったが、刑事責任能力の有無と、彼が何らかの病気になっていたのではないかというのは少し別のことだ。

 2016年7月の事件へ向けて、半年ほどの間に、植松死刑囚が、日本滅亡を認識し、自分が救世主になるという思いに取りつかれていったこと、その自分が救世主だという思い込みも、イルミナティカードから自分が察知したというように、論理の飛躍が否めない。 

 前述した『パンドラの箱は閉じられたのか』では、裁判が始まって以降、頻繁に植松死刑囚に接見した記録も書かれているのだが、最後、植松死刑囚は、面会する人全員に、6月に首都圏は壊滅するから少しでも地方に逃れたほうがいいと何度も忠告していた。壁が崩れていく幻覚も見た、と言っていた。控訴を取り下げた理由には、どうせ刑の執行を待たずに自分は東京や横浜の壊滅に巻き込まれるというのも挙げられていた。

 そうした妄想的観念が、死刑確定で誰にも会わず独居房に隔離されるという生活の中で進行していくことは明らかだ。死刑確定者の接見を制限する理由として、法律には、確定者の心情の安定を図るためとされているのだが、知人にも会えずに拘禁状態に置かれることのほうがよほど心情の安定を阻害するのは明らかだろう。死刑確定直前、植松死刑囚も接見できる状態が続くことを望んでいたし、私を含めた接見希望申請を2人ないし3人提出しているはずだ。

 心情の安定というのであれば、接見希望者に会えるような環境を作った方が彼の心情の安定に役立つのは明らかだと思う。

 だから植松死刑囚と再び接見できるようになれるよう、いろいろな試みを続けたいと思う。

 控訴取り下げで自ら死刑を確定させてしまうという事例がどういうことを意味しているのかについては、7月18日(土)13時半から、死刑反対運動で知られる安田好弘弁護士らと議論する集会を行う予定だ。主催は「フォーラム90」で、コロナ対策で入場者を100人以下に限定し、それ以外の方にはウェブで配信も行うという。同じく控訴取り下げを行った寝屋川事件とともに、こんなふうに死刑が確定していくことの意味を考えてみようという趣旨だ。ぜひ参加いただきたい。詳細は下記から。

http://forum90.net/event/archives/32

相模原事件・寝屋川事件から 頻発する上訴取下げを考える

 また相模原事件については7月24日(金)19時からロフトプラスワンのオンラインの集会を開催する。こちらはウェブ配信だけだが、主な出演者は新宿のロフトプラスワンに集まり、無観客配信を行う。出演は『こんな夜更けにバナナかよ』作者の渡辺一史さんや、作家の雨宮処凛さんらだが、今問題になりつつある障害者施設のあり方にも踏み込むつもりで、この間、その調査を行ってきた専門家にも加わってもらう。詳細は下記をご覧いただきたい。

https://www.loft-prj.co.jp/schedule/plusone/149059

≪配信版≫相模原障害者殺傷事件の真相に迫る~「パンドラの箱は閉じられたのか」出版イベント~

 さらに相模原事件の起きた7月26日にも集会が開催される。

 この機会にぜひ多くの人に一緒に考え、議論してほしいと思う。

 前述した『パンドラの箱は閉じられたのか』の内容も最後に紹介しよう。下記を参照いただきたい。

https://www.tsukuru.co.jp/gekkan/2020/06/post-4.html

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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