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法廷で「控訴しません」と宣言した相模原事件・植松聖被告が気になる接見禁止処遇に

篠田博之月刊『創』編集長
2月19日、裁判終了後に会見に応じる尾野剛志さん(筆者撮影)

 相模原事件の裁判は、いよいよ3月16日の判決を残すのみとなった。2月17日の公判で、検察側は死刑を求刑した。それに対して19日の最終弁論で弁護側は、改めて心神喪失による無罪を主張した。

 その2月19日は第16回公判にあたるのだが、傍聴した人たちの注目点は、植松聖被告が最終意見陳述を行うのかどうか。行うとしたらどんな主張をするのか、ということだった。

「控訴しません」と法廷で宣言

 その日、10時半から始まった公判は、まず弁護側が植松被告の犯行は大麻精神病によるもので、責任能力は問えないと主張。前回公判の検察側の主張に反論した。そして正午をわずかにすぎた頃、裁判長が「それでは最後に被告人からの意見陳述ということになります。被告人は証言台に座ってください」と促した。

 植松被告が証言台に移動すると、裁判長が「最後に被告人から何か述べたいことがあれば述べてください」と語り、植松被告は比較的大きな声でこう発言した。

「恐縮ですが、3つあります。一つ目に、ヤクザはお祭りやラブホテル、タピオカ、芸能界など様々な仕事をしています。ヤクザは気合の入った実業家なので罪を重くすれば犯罪ができなくなります。しかし、捕まるのは下っ端なので、司法取引で、終身刑にします。刑務所の中で幸せを追求できれば問題ないし、その方が生産性も上がるのではないでしょうか」

 

 突然、ヤクザだのタピオカだのという話が登場して、傍聴していたほとんどの人が面食らった。私も傍聴席で聞いていて、「え?大丈夫なのか」と思った。しかし、それに続いた言葉は、私にはいささか衝撃的なものだった。

「2つ目に、私はどんな判決でも控訴致しません。1審だけでも長いと思いました。これは文句ではなく、裁判はとても疲れるので負の感情が生まれます。皆様の貴重なお時間をいただき大変申し訳なく思いました」

 法廷で控訴しないことを宣言してしまったのだった。そしてさらにこう語った。

「3つ目に、重度障害者の親はすぐに死ぬことがわかりました。寝たきりなら楽ですが、手に負えない人もいます。病は気からなので、人生に疲れて死んでしまいます。日本は世界から吸血国家と呼ばれており、借金は1110兆円になったと、2月11日に報道されました。もはや知らなかったで済まされる範囲をとっくに超えています。文句を言わず、我慢された33名のご家族と親を尊敬致します」

 この3つ目の発言について、新聞は、差別的な言葉を繰り返したと報道していた。確かに植松被告の主張は全体が障害者への差別的発言ともいえるのだが、ここは恐らく、この裁判で犠牲者の遺族や被害者の親の話を直接聞いてきたことについての彼の感想なのだろう。もともと植松被告は、重度障害者を安楽死させるべきという主張に至ったきっかけとして、小中学校時代に、同じ学年に障害者がいて、その送り迎えをする母親を見て、疲れ切っていると受け止めたという話をしてきた。また津久井やまゆり園の入所者の親についても、短期入所者の親の疲れ切った表情について何度も口にしていた。

 「文句を言わず、我慢された33名のご家族と親を尊敬致します」とは、法廷でいろいろな事例を聞いた植松被告の改めての感想なのだろう。ちなみに33名というのは43名の言い間違いで、やはり植松被告は、最後の証言機会に何を言うか、かなり緊張していたのだろう。

 そして最後にこう付け加えた。

「最後になりますが、この裁判の本当の争点は、自分が意思疎通がとれなくなった時を考えることだと思います。長い間皆様にお付き合いいただき、厚くお礼を申し上げます。ご静聴、誠にありがとうございました」

この裁判の本当の争点とは…

 この後、一般傍聴席にいる人からすみやかに退廷してくださいとされたので見ていなかったが、最後まで見ていた特別傍聴席の尾野剛志さんによると、植松被告は、傍聴席や検察、弁護人などへ次々と頭を下げていたという。やはりこれで終わった、という気持ちだったのだろう。

 植松被告の3点の証言は聞いていてわかりにくいもので、特に1番目のヤクザの話は何を言いたいのかわかりにくかったため、法廷を出た後、『こんな夜更けにバナナかよ』作者の渡辺一史さんや雨宮処凛さん、それに新聞記者らと輪になって付け合わせを行った。

 私にとっては、何といっても、法廷で「控訴しません」と植松被告が宣言してしまったことが重たく胸に残った。彼が控訴しないという考えであることは、昨年末の接見以来言っていたことだったが、私はそんな彼を説得しようと、近々接見したいと手紙を書いたばかりだった。

 判決は恐らく死刑で、控訴しても結果が変わる怖れはあまりないのだが、この裁判で初めて明らかになったこともあり、事件の解明のためにはここで裁判を終わらせることは反対だった。これまで植松被告との2年半にわたるやりとりで断片的に聞いてきたことが、裁判での証言などを聞いて、点と点が線で結ばれていったことも多かった。

 2016年2月の衆院議長公邸への手紙から、措置入院を経て、犯行にのめり込んでいった経緯も、かなり明らかになった。国家に支援を訴えたのに、その回答が措置入院と知らされ、自分一人でやらなければならないと考えるに至ったという流れも、いろいろな面で理解できた。前年の夏から犯行までの1年間、植松被告がどう変化していったのかも、いろいろな証言によってかなり理解が促進された。

 植松被告が最後に語った「この裁判の本当の争点は、自分が意思疎通がとれなくなった時を考えることだと思います」という言葉も、彼がどう考えて言ったかはともかく、興味深いものだった。例えばその「自分が」という中に、植松被告は自分自身をも含めているのかどうか。

 この裁判では、彼は弁護側の主張では心神喪失、彼自身の言葉で言えば「心失者」であると言明された。そして間もなく出る判決では死刑囚になる可能性が高い。確定死刑囚は、彼の認識で言えば、生きていても意味のない存在ということになる。心失者は生きている意味がないと言って犯行に突っ走った植松被告にとって、今の自分はどう位置付けられているのだろうか。

 

 このままだと死刑判決が出た後、弁護団が控訴手続きを取り、植松被告自身がそれを取り下げるという展開になる可能性が高いのだが、彼がどう裁かれるのかという問題と別に、私は、相模原事件はまだ十分解明されていないと思っているから、彼が早急に取り下げ手続きをとることに反対するつもりだった。

 ただ、法廷で「控訴しません」と宣言することは、もう迷うことのないように自分を追い込んでしまおうという彼の意思であることは明らかだった。彼自身が相模原事件に幕を降ろそうとしているのだった。

 法廷で彼がそう宣言するのを聞いた時、これはもう基本的に説得する余地はないなと思った。19人殺害という罪の大きさを考えれば死刑判決は当然予想されるが、本当ならもう少し事件解明がなされてほしかった。植松被告がやまゆり園で何を見て、何を考えて、障害者の大量虐殺という犯行に突き進むことになったのか。事件の核心はまだわからないことだらけだった。

その後の植松被告の気になる現況

 法廷を出たところで、マスコミにマイクを向けられ、私はそんな思いを語った。私がこれから会って説得しようと思っていることの機先を制して植松被告が法廷で「控訴しない」と宣言したことは、私の胸に重くのしかかっていた。

 その後、地裁前では尾野剛志さんの囲み会見が行われた。

「判決が出て確定するまでは落ち着かない気分ですね」

 尾野さんはそう語った。植松被告に死刑を望む被害者家族としては、その思いは当然だろうと思った。法廷では、犠牲者遺族や被害者家族が次々と、被告人に極刑を!と訴えた。家族を殺傷された人たちの当然の感情だろう。

 

 その後、植松被告については、気になる状況が続いている。もうかなりの期間にわたって接見禁止がつけられているのだ。昨年も彼は一度懲罰を受けており、今回は1月9日の房内での自傷行為を処罰されているのだろうと思った。しかし、それにしては期間が長い。彼は第一回公判で自傷行為を行って以降、法廷でも相当な監視体制を受けているし、拘置所の房内では自傷行為防止のために四六時中、ミトンをつけさせられているという。

 拘置所が最も恐れているのは、植松被告が自傷、さらには自殺を図ることだろう。彼は法廷で「控訴しない」ことを宣言し、死刑を受け入れるつもりでいる。控訴しないのは、「どうせならカッコ良く終わらせたい」という彼の考え方に起因する。

 

 そこで気になるのは、もう植松被告にとっては、生きている意味がなくなってしまったことだ。これまでも書いてきたように、彼は2017年夏、初めて接見した頃は、自分の考えを何かに取りつかれたように前のめりで語っていた。大量殺傷事件を含めて、自分のやろうとしていることを革命と呼んでいた彼にとっては、捕らわれの身になっても社会へ向けて自分の考えを発信しようという思いだったのだろう。

 しかし、そういう姿勢は長い閉鎖生活の中で、明らかに変化していった。そして今回の裁判で控訴しないことを宣言したのは、彼が自らの死について考えていることを意味する。謝罪のためと右手小指を噛み切った自傷行為もそこへ向けての行為ではないだろうか。

 だから接見禁止の懲罰が異様に長期化しているように見えるのは、もしかすると植松被告がその後再び何らかの行為を企てたのかもしれない。自殺を意図した何らかの行動を起こすことは十分考えられる。あるいはこの間、植松被告が連日、マスコミと接触していろいろな発言をしていることを当局が気にしているという情報もある。

 果たして真相はどうなのか。困ったことに接見禁止になると、本人宛の手紙も本人の手に渡らないため、何が起きているのか確認するすべもなくなることだ。もしかすると判決まで接見禁止がついたままになるのではないかと懸念する声もある。

 今回の裁判で求められているのは、相模原事件の真相に一歩でも近づくことだ。判決によって植松被告への裁きがなされることは間違いないが、同時に真相解明もなされなければ、障害者の虐殺という恐ろしい事態が何によって引き起こされたのか、植松被告は病気だったのかそうでないのか。病気だったとしてもなぜあの犯行まで行きついてしまったのか。この社会は何も対応策を見いだせないまま、恐怖だけが残ることになる。 

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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